結局、あれこれと推量するのに飽いてきた J は、
那音との会話で得た情報全てをパートナーの諛左に丸投げすることに決めた。
諛左は J にとって方向指示器となる存在である。
闇雲に考えて疲れ果てるだけの J と異なり、要点だけを押さえて物事を理解する。
多少口うるさく理屈っぽいところはあるが、
思考して結論を出すのは、それが得意な人間に任せるに限るだろう。
そう決心すると J の心は途端に軽くなった。
現金なものである。
ようやく頭の中をすっきりさせた J は、周囲の景色に目をやると、
考え事をしている間に随分と足を進めていたことに気づいた。
そこはバザールの中心地だった。
商店街という俗な呼び方に似合わず、やはりセンターならではの優雅さがどこか漂い、
値切り交渉や品へのダメ出しが飛び交うダウンエリアの雑然とした市場とは大違いである。
この辺りは、かなり古くから市が立っていた商業ブロックだったが、
いつの頃からか住民層のレベルに合わせて店舗は淘汰され、
○○御用達と売り文句が飾られる権威高い店が多く生き残ったという。
J 程度の人間がこの界隈で何かを購入しようとすれば、
それは消費どころか乱費と呼ばれる類のものになってしまう。
ウィンドウに並ぶ商品は、最初から買う人間の階級を選ぶ物ばかりだ。
しかし、物欲とはあまり縁のない J ではあったが、この辺りを歩くのは嫌いではなかった。
通貨と引き換えに物を購入する、という当たり前の行為は
センターもダウンも変わらないのだ、という事実を目の当たりにできるからかもしれない。
もっとも、それぞれの店頭に並ぶ商品の数や質、価格、
そして何よりも、それらに群がる人々の生活レベルを比較すれば
雲泥の差があるとは言うものの。
両エリアで差がないのは、見上げた頭上を覆う空の色だけである。
見るともなしに J はくすんだ空に目をやって、軽く身震いする。
どんよりとした雲は先刻よりも少し厚みを増したようで、それに伴い、気温も少し下がったようだ。
冬の足音が少しずつ近づいているのを、J は感じた。
HBCを出て小一時間も歩いた頃、
薄暗い空の下に広がる街の様子に、ようやく雑然さが目立ち始め、
J の視界には見慣れたダウンエリアの景色が戻ってきた。
様々な考え事によって、いつもより足取りが急いていたためか、
J が思っていたよりも早い時間の到着になった。
ここに来てようやく J は心の底からホッと息をつくことができた。
やはり自分にはここの空気が合っている。
そう意識しての反応である。
つくづく自分は上層に向いていないのだ、と J は思う。
薄暗い路地や気安い戯言が飛び交う街の、なんと居心地の良いことか。
テリトリーに戻った安心感に満たされながら
数時間前、那音の車に乗り込んだ大通りまでたどり着いた J は、
すぐそばのバス停前で所在なさげに座っている1人の少年を見つけた。
遠目でもはっきりと判る、明るいオレンジの髪。
それを見て、J が唐突に思い出す。
ああ、そういえば、メシをおごると約束してたんだっけ。
明らかに人待ち顔の少年に、J は声をかけようとしたが、
きょろきょろと辺りに目を走らせていた少年の方が、それより早く J の姿を見つけたようだった。
少年は勢いよく立ち上がると、いつものように子犬にも似た表情で J めがけて走ってきた。
本当に子犬だったら、尻尾すら振っていそうな勢いである。
「J、遅ーい」 と、J にぶつかるような姿勢で立ち止まった少年が口を尖らせる。
髪と同じ明るいオレンジの瞳がくるくる回る。
→ ACT 5-3 へ
ACT 4 の終わりから、だいぶ間が空いてしまいましたが、
本当は今の時点でまだ ACT 5 の内容について迷っている部分があります。
大まかな帰着点は決まっているんですけど、
そこに至るまでの細かい道筋については、
ACT 4 同様、登場人物の出方によってそのつど微調整していくことになりそうです。
最初にこのストーリーを思いついた数年前は
「とにかく倦んで飽いて疲れている人々を書いたら、どうなるだろう」 みたいなことを考えて
そこから生まれた PURPLE HAZE なんですけど
そのあたりの暗い発想は、書いていくうちにやや希薄になってきたような気がします。
当時はワタシ自身がミョーに世の中を斜めに見ていたためか
何かにつけてウンザリしたり、イライラしたり、まわりに噛み付いたりすることが多く、
その辺の影響もあっての発想だったと思うのですが、
年をとるにつれて穏やかになってきた、ということでしょうか。
うれしくもあり、悲しくもあり。
「人探し」 という設定が根底にあるためでしょうか、
PURPLE HAZE は、なんとなく探偵物っぽい雰囲気の話になりつつあります。
実のところ、こんなハズではなかった、と今にして思っています。
推理系の小説など書いたことがないので
その手の定石等についてはお構いなしに書き散らかしていますが、
この先も恐らくそうなることでしょう。
もう、J 達のやりたいように任せます。
放任です。
でも、悪いことやったら、叱ります。たぶん。
ちなみに、ACT 5 突入時点で、物語の中盤にようやく差し掛かったところです。
実は、今のところ全体的には ACT 10 ぐらいまで行きそうなイキオイなのです。
あくまで構想ですが。
物語が終わる頃には、『水晶異聞』 の更新回数をはるかに超えていることでしょう。
長いなあ。
というわけで、これまで読んでくださったありがたい方々、
満を持していない ACT 5 以降、
今後とも PURPLE HAZE をご愛顧いただければ、大変ウレシク思います。
よろしくお願いいたします。
ACT 5 - Everyone gets unlucky sometimes -
HBC の薄暗い地下道から徒歩で地上に出る階段を上りきり、
たどり着いた下界の空気を味わいながら、ようやく J は何かから解放された気分になった。
現代の要塞にも似た建造物の中に招き入れられ、
小奇麗ではありながら、どこか無機質な印象を与える内部の様子は
それだけで J の心を少しばかり冷えさせるものだった。
ひそかに監視されている空気感が、さらにその気分に拍車をかけていた。
営業日であれば、活気あるオフィスの日常風景を見せてくれるのだろうが、
休日の今日は、まるで金属の巨大ながらんどうの中にいるようで、
J にとっては実に居心地が悪かった。
ただでさえ、洗練された建物の中では自分の居場所を見つけづらい J である。
旧態依然とまではいかないが、
時間の経過によって多少の傷を負ったダウンエリアの事務所に居慣れている J にとっては、
どこか敷居が高いのだ。
明日、再びこの要塞を訪れなければならないと考えるだけで、気が重くなる。
威圧するような建造物から目を背け、J は足早に HBC を後にした。
帰り際、鳥飼那音は何度も 「送る、送る」 と言い張っていた。
必要以上に親切めかして裏心のなさをアピールするつもりなのか、
それとも、単に新車を見せびらかす機会を増やしたいだけなのか、
どちらの理由があるにしても(恐らくは後者であろうが)、J は勿論その迷惑な申し出を断った。
センターエリアの中心にある HBC から事務所まではかなりの距離だが、
もう一度那音の運転で命をすり減らすよりは、歩いて帰った方がましというものである。
そうでなくても、J は車に乗るより自分の足で移動する方を好む。
だから車のライセンスも持っていない。
細々と入り組んだダウンエリアでは車は逆に不便なのだ。
徒歩の方が小回りも利きやすい。
ここから事務所まで歩けば恐らく1時間は超えるだろうが、
J にとっては苦痛なことではなかった。
J はひたすら歩き続けた。
那音の車で肝を冷やされた行きの道筋は比較的交通量の激しい通りだったが、
帰りはそれを避けて、ビル街から居住区の外れを抜けるルートを J は選んだ。
その辺りはバザールと呼ばれるブロックで、センターエリアの人々が集う商店街である。
高級品しか気に召さないエリア住人達のお眼鏡にかなった老舗や、
今では手に入りにくい天然食材を扱った大型ショッピングセンターなどが
軒を並べて客の往来を待ち構えている。
品よく賑わう人々の間をすり抜けながら、
J は那音からの提案について、再び考え始める。
那音から執拗にインプットされた割には、C&S の情報に J はあまり食指が動かなかった。
笥村聖の捜索にさほど関わりがあるとは思えなかったし、
不確かさ、曖昧さという理由で、今ひとつスッキリしない。
しかし、全体的に胡散臭くはあるものの、
ところどころのディテールに真実味が見え隠れしているのも J の判断を迷わせている。
J の疲労した頭の中では、さまざまな思考が飛び交っていた。
そもそも、那音の頭ひとつから出たことなのだろうか。
那音は否定したが、背後で操っている人物がいるとしたら、やはりあの女のような気がする。
大層な依頼を投げつけておきながら、いろいろな方向から茶々を入れて
J を混乱させようとしているだけなのかもしれない。
もしもそれが真意であれば、今の時点でその狙いの75%は成功を収めているだろう。
だが、そうなると、本来の目的である聖探しもアヤフヤになってしまう。
一体、何を狙っているのか。
自分に何をさせたいのか。
連中、いや、麻与香の本意は?
考えれば考えるほど、
迷路の中で出口を求める子供のような気分になってしまう J である。
→ ACT 5-2 へ
ようやく体調が戻ってきました。
ブログ書くのも、サイトめぐりもしばらくお休みしてましたが、
とりあえず、今日は書いてみました。
明日ぐらいからは完全復活するのではないか、と。
カゼだと思っていましたが、なんとなく違うっぽい。
ワタシの知ってるカゼの諸症状ではないような。
全身ダルいんですが、とにかくアタマが痛くて、シンドかった。
今日になって体調不良は収まってきましたが、
ここ数日、自分でも驚くぐらい大人しくしてました。
年齢が上がってくると、身体のちょっとした変調にもビビる今日この頃。
治りが遅いのも、トシのせいか?……と自分で思っておきながら、
その考えに自分でショックを受けている、センサイなお年頃のワタシです。
ノドの痛いのは治りましたが、
友だちが龍角散トローチを差し入れてくれたので、
せっかくだから、と頂いております。
龍角散、という響きがもうワタシにとっては懐かしいですね。
よく、粉のヤツを飲まされました。
耳かきみたいな小さいスプーンがついていて、
料理の本なら 「塩 小さじ1/4」 ぐらいの分量が一回の飲み分。
苦くて、嫌いだったなあ。
ちなみに、龍角散トローチをなめていると、
大昔の CM ソングを思い出します。
というか、今まですっかり忘れていたけど、実物見たら思い出しました。
当時のワタシには、なかなかインパクトのある歌詞でした。
どんな歌詞かというと。
♪
ノドが痛いので 龍角散トローチをなめておりますと
彼ったら 恥ずかしそうに モジモジしながら
「君のが欲しい」 と申しますので
ワタシめ ムカっときまして
弟のしゃぶっていたアメをあげましたら
彼、 「幸せ♪」 ですって
ピントのズレは180度
♪(別バージョン)
ノドが痛いので 龍角散トローチをなめておりますと
つっぱりヘーキチ(※違う名前だったかも)がワタシの前を通るとき
「ミチコ一人の身体じゃないんだ 大事にしろよ」 ですって
ワタシ プレゼントします あなたのバースデーに
はっきり写る鏡を
ピントのズレは 180度
……というもの。
最後の決めフレーズ 「ピントのズレは~」 がクラスでも流行ってました。
どちらのCMも、女の子がトローチをなめていたら
彼女に気のある男子がからんでくる、というヤツですが
女の子サイドのシビアな歌詞が結構笑えました。
確か、もうひとつ別バージョンがあったハズ。
内気な男の子が木陰から覗いていて、
最後には女の子に 「勇気もないのに 恋などするな」 と歌われてしまうバージョン。
それは歌詞がうろ覚えなのでパスしますが、
どれも当時のCMとしては秀逸だったと思います。
龍角散のCMって、最近のはフツーになってしまいましたが
昔はなかなか際立っていて、好きでした。
「……と日記には書いておこう」 という名文句も、
確か龍角散トローチか何かのCMだったと記憶しています。
他にも、舞台の袖から黒子(プロンプター?) が台詞を小声で教えているときに
「ゴホン! おい、龍角散」 とワキの人に言った言葉を
そのまま舞台の人が台詞だと思って言ってしまう……というヤツもありましたね。
……と、トローチをなめながら、今日はこんなことばかり考えていました。
頭の中は、懐かCM でいっぱいです。
アルシンドに なっちゃうよー。とか。
どうやら、久しぶりにカゼをひいたらしい。
日曜の夜から体調が悪くなり、昨日は最悪。
最初は、あばれ祭りで飲みすぎた後遺症 (二日酔い、とも言う) か?……と思ってたけど
そのうちにノドも痛くなってきたし。熱っぽいし。
身体も何となくダルビッシュ。
会社を辞めてからは、カゼとは無縁だったので
久しぶりにひくと、結構こたえます。さすが、万病の元。
熱が上がってきて、なんとなくテンション高くなったので
この日記書いてますが……。
あー、やっぱダルい。
しばらく大人しくしているずら。
ゴハン作るのもメンドーなので、
以前友人からもらったアキバの名物? おでんの缶詰が余ってたので食べてみた。
……けど、ツミレの味と匂いが強烈で、
しかも、他の具材にまでしみこんでいるので
ツミレ汁くってるような感じだ。
やっぱ、おでんはおでん屋さんで食べるのがベストだ。
いかん。
胃が重い。
どうにもダルビッシュ。
元・同僚に招かれて、友人数人とお祭りを見に行きました。
「あばれ祭り」 という、能登町宇出津のお祭りです。
以前、取材もかねて一度見に行ったことがありますが、プライベートでは初めて。
祭りは2日間あるのですが、
1日目は、どちらかというと観光客向けのショー的な要素があり、
本当に祭りらしいのは2日目だ、ということなので、私たちもそれに合わせて出発しました。
「あばれ祭り」 は由緒あるお祭りで、その歴史は300年ほど前にさかのぼるとか。
地元の友人によると、祭りの由来は以下のとおり。
昔、この地方が疫病に悩まされていたとき、
それを鎮めるために、京都の祇園社から牛頭天王という神様にお出でいただいた。
その際に盛大な祭礼を行ったところ、大きな蜂が現れて、
蜂に刺された人々はたちまち病気が治った。
神様に感謝した人々が、キリコを作って町を練り歩き、
それが祭りの始まり……という言い伝えがあるようです。
ちなみに、キリコっていうのは、コレです。
これは昼間の写真。
横木の下には色とりどりの座布団。
担ぐときに肩に当てるためのもの。これがないとタイヘンだそうです。
で、夜になるとこのキリコに灯りがともり……。
こんな感じになります。
これが数本並んでいる光景は、幻想的でむっちゃきれいです。
キリコは奉燈とも呼ばれていて、神輿を先導するような役割。
巨大な行燈、というところでしょうか。
あばれ祭りに限らず、能登地方一帯で行われる祭りには
キリコが登場するものが多くあり、夏の能登の風物詩となっています。
あばれ祭りでも、約40本のキリコを見ることができました。
ところどころに焚かれるかがり火との競演が、またきれい。
ところでこの祭り、何が 「あばれ」 なのかというと、
とにかく神輿を壊しまくるんです。
除疫神である牛頭天王は、なかなか気性荒ぶる神様なので
暴れることが、すなわち神様のご意向に叶うことらしく、
暴れれば暴れるほどよいのだとか。
さて、どのように暴れるのか、と申しますと。
神輿を地面に叩きつけ……
川に落とし……
あまつさえ、燃え盛る火の中に突っ込む、という……。
なんとも、荒々しいお祭りです。
当然、神輿もボロボロ。
夜通し神輿があばれ、キリコが勇ましく練り歩き、
祭りが終わったのは夜の2時過ぎでした。
堪能しました。
地元を離れた人の多くも、
このお祭りのために休みを取って戻ってくることが多いのだとか。
今回招いてくれた友人もそのクチです。
「能登はやさしや 土までも」 というのは
能登の人々の人情をあらわす言葉としてよく使われますが、
やさしさだけでなく、勇ましさも併せ持つ、
そんな人々のエネルギーを感じまくった1日でした。