笥村邸の前には、例の2人の警護役がまだ立っていた。
なんという名前だったかな。
思い出すつもりはなかったが、J はミヨシが言っていた名を反射的に自分に問うた。
だが、覚える気もなく聞き流した名前は、当然浮かんでこない。
屋敷から出てきた J の姿に最初に気付いたのは長身で黒髪の男の方だった。
男は、ごく一般的に客人に対してするように軽く J に頭を下げた。
一秒ぐらい遅れて、もう一人の明るい髪の男がそれに倣う。
黒髪の男が顔を上げた時、先程と同じように J と視線が合った。
相変わらずの冷徹な視線。
瞳孔に見え隠れする切れ味のよいナイフのような光は、見られる者を畏縮させる。
探るような男の目を先に避けたのは、J の方だった。
この男に見られると、何故か気分がザラついてしまうのだ。
やはり、マセナリィ上がりに違いない。
確信に近い予想を抱きながら、
J は痛い視線を意識しつつ無言で2人の傍らを通り過ぎる。
黒髪の男とすれ違った瞬間。
J は自分の身体の中を微弱な何かがピリッと走ったのを感じた。
「……?」
軽い緊張が J の身体を走る。
何だ今のは。
同様の張り詰めた気配が自分の真横にいる男から
じわりと伝わってくるのを感じて、思わず J は歩みを止めた。
この男……何だ?
しばしの沈黙の後。
「どうか……されましたか?」
身動きしない J の傍らで、低い声が耳を打つ。
黒髪の男の声だった。
「……別に」
J は男を振り返らずに短く答え、再び歩き始めた。
心持ち、足取りは先程よりも早い。
歩幅を大にして歩み去る中、J の意識だけは背後の男から離れなかった。
あの静電気のような感覚。
軽い殺気。いや、敵意か?
すれ違う瞬間に黒髪の男から漂ってきたのは、そう呼ばれる類の気配に似ていた。
そして、それは明らかに J に向かって放たれたものだった。
何のつもりだ、あの男。
J は歩きながら眉をひそめる。
脅しか、拒絶か。あるいは、その両方か。
いずれにしても不躾な。
剥き出しの圧力をいきなり人にぶつけてくるなんて。
番犬のクセに。
レーダーが探りを入れるかのような男の気配は、J の不快指数メータを跳ね上げる。
男が発した無言のプレッシャーは、否応なしに J に誰かを思い出させた。
上司を上司とも思わず、平気で 「お前」 呼ばわりする態度のデカい、どこかの誰か。
そう、諛左だ。
さりげなく他人を制しようとする時、諛左が必ず醸し出す威圧感。
男が放った見えない空気は、それに似ている。
それだけではない。
諛左の目を時折よぎる光と同質のものが、
男の瞳の中にも宿っていたことに J は気がついていた。
いや、男が全身から滲み出している雰囲気そのものが、
J には、冷酷で皮肉屋のパートナーと奇妙にダブって見える。
イヤなことに気づいてしまった。
J の心に鬱気が忍び寄る。
諛左は J にとって鬼門だ。
男が諛左と同種の人間ならば、単純な三段論法が成立する。
諛左を苦手とするように、自分はこの男の事もきっと苦手になるだろう。
J には断言できた。
笥村家に関わる以上、あの男を避けることはできないかもしれない。
だが、進んで親しくなる気にはさらさらなれない J である。
→ ACT 3-19 へ
その後、J はさらに30分ほど費やしてミヨシへの質問を続けたが、
老人の返答が律儀で誠実であるにも関わらず、そこから特に大きな収穫は得られなかった。
念のためにまた後日訪れることになるかもしれない。
そう J が告げてもミヨシは拒絶しなかった。
麻与香の命令は、忌々しくも実に行き届いているようだ。
「ああ、そうだ」
席を立ちかけて J はコートのポケットにある物を思い出した。
聖の部屋にあった卓上カレンダーである。
「ミヨシさんに、ちょっと見ていただきたいものがあるんですけどね」
「はい?」
「これなんですが」
「カレンダー……でございますね」
目の前に差し出されたものを見て、ミヨシが首をかしげる。
「これが、何か?」
「いえね、さっき笥村氏の部屋で見つけたんですが」
J はパラパラと数枚をめくってみせた。
「日付に印がついてるでしょう。これがナンなのかご存じないか、と思って」
「はあ」
ミヨシはカレンダーを手に取ると、目を眇めるようにして紙面に見入った。
ただでさえ細い目が、ミヨシの額に流れる皺と同じくらいの幅になる。
2月、3月と順に紙面をパラパラとめくりながら、ミヨシは眉をしかめた。
「はて……何でございましょうか? 私にも分かりかねますが……」
「……ですか」
青い丸印。
笥村聖がプライベートで記した、何らかの印。
取るに足らないことなのかもしれない。
たとえば、愛妻との会食の約束であったり。
ご贔屓のスポーツチームの試合観戦であったり。
もしかしたら、麻与香の与り知らぬ不倫相手との密会であったり。
「……そういえば」
分からないと言いつつ、ミヨシは懸命に何か心当たりがないか、
記憶の底を辿っているようだった。
「旦那様は定期的に医療機関で定期健診を受けておられますが……
でも、どうやらその日付とも違うようですし」
「定期健診ね」
「はい、月に一度」
「ふうん」
気に入らない。
この世の権力と財源を一身に集めながら、
その上、人並みに自分の健康を欲する、という人間臭さに
何となく身勝手にも軽い反感を覚えてしまう J である。
せいぜい長生きして我が世の春を謳歌したいのだろうが、欲の深いことだ。
「まあ、いいか」
いずれにしても、日付の謎についてミヨシからは何の情報も得られなかったが
念のため J はそのカレンダーをしばらく借り受けることにした。
ミヨシは相変わらず人の好い笑顔で 「ご自由にどうぞ」 と応じた。
それにしても穏やかな老人だ。
暇乞いをして席を立ちながら、J はミヨシの顔を改めて見た。
始終笑みを浮かべ、それが決して上辺だけではない温かさを持っている。
向き合って話をしているだけで、気分が和んでくる相手というのもそうはいない。
少なくとも、J の周囲では見かけないタイプである。
自分の事務所にも、こういう人間が一人いてくれれば
諛左との間で毎日のように繰り返されるギスギスした雰囲気も少しは和らぐだろうに。
どうでもよいことを考えながら部屋を出た J は
深々と頭を下げた、その穏やかな老人に見送られながら笥村邸の外へ出た。
→ ACT 3-18 へ
「ところで」
J は質問を変えた。
「笥村氏に一番近しい人間というと、どなたが挙げられます?
勿論、ご家族以外で」
「奥様以外には……そうですね、狭間様でしょうか」
「ハザマ……ああ」
首席秘書とかいうエラそうな肩書きの男か。
事務所で麻与香から話を聞いた時に、
そのような名前が挙がっていたことを J は思い出す。
「旦那様の送り迎えは必ず狭間様が同行されておりました」
「家を出る時も、家に戻る時も?」
「はい」
「『当日』 はどうだったんです?」
「あの日の朝はいつも通り挟間様が迎えに来られました。
特に変わった様子はなかったと思います。
夜になって挟間様から突然、
『総帥の悪い癖が、また出た』 とお電話がありまして」
「誰にも言わずにフラつく癖ですね」
「そうでございます。旦那様の外出癖は狭間様もご存知のことでしたので、
その時は挟間様も私共も、正直 『またか』 と……」
ミヨシが嘆息混じりで俯く。
己の主人の悪癖を軽んじていたわけではないだろうが、
危機管理の意識が足りなかったことで自らを責めているのだろう。
しかし、それを言うなら、狭間も同罪だろう。
主席秘書の彼ですら、
笥村総帥の気ままな性分をコントロールすることはできなかったのだから。
そして、ミヨシや狭間も含めて誰もが
『またか』 と思ってため息をついた夜が明ける頃。
いつものように聖の部屋を訪れたミヨシは
そこに人の気配がないことに気づいた。
胸騒ぎを覚えたミヨシは麻与香を起こし、狭間に連絡し、
ミヨシ本人が先程口にした 『バタバタ』 せざるを得ない状況に
追い込まれてしまった、という訳である。
「その時の麻与香……じゃなくて笥村夫人や狭間氏の様子は、どうでした?」
「それはもう、お2人ともかなり動揺なさっておられました。
特に奥様は、とても見ていられないようなご様子で……」
それは絶対嘘でしょう、いや嘘に決まってる、と
思わず反論したくなった J だが、辛うじて堪えた。
麻与香の言動全てを悪意という色眼鏡で見てしまう J にとって、
ミヨシが今言った言葉はいささかの信憑性ももたらさない。
「挟間様は、その後も毎日のように訪ねておいでです。
会社のことなどを奥様とご相談されている様子で」
「夫人も経営に関わっているんですか?」
「さあ……その辺りは私も詳しくは分からないので、お答えできないのですが。
ああ、そういえば時々、旦那様の、その、代わりの方も……」
「ああ、替え玉とやらですね」
「はい。その方も交えてお話されていました」
なるほど。
他人を笥村聖本人らしく見せるためには、
妻である麻与香の協力も必要なのだろう。
元々メディアに登場するシーンが極端に少ない男であったとはいえ、
この先、誰とも接することなく人生を全うするのは、まず不可能だ。
万が一の場合を想定して、
まことしやかな 『笥村聖』 たるべく、世間を騙す芝居のレッスンでもしていたのか。
無駄とは言わないが、ご苦労なことだ。
→ ACT 3-17 へ
先日も書きましたが、日帰りで訪れた白川郷の景色です。
橋を渡って郷に入るところが、なんか隠れ里っぽい。
周囲は緑、緑、緑。
そして、里は春。
ツタの這い方が、なんかキレイ。
最近、花を見ると撮るクセが。
茅葺の家の中では、ちゃんとヒトが生活している。
観光地だけど、居住地。なんかフシギ。
行き帰りの道程はヒヤヒヤものでしたが、
(何があったかは http://junnymoon.blog.shinobi.jp/Entry/250/ をご参照)
のどかな雰囲気は、総じて○。
高岡からインターに乗れば、意外と近い。
また行ってみよう。
重い足取りで先程たどった廊下を戻り、階下へ降りた J は、
何とか玄関口までたどり着くと、
目に付いた使用人の一人をつかまえてミヨシの所在を尋ねた。
ミヨシはすぐにやってきた。
老人にしては素早い足運びで、しかし、その表情は相変わらず穏やかである。
J は、どうも、と頭を下げた。
「今日はこれで失礼しますが……」
「はい」
「ミヨシさんにも少々お尋ねしたいことが」
「私でございますか? お役に立てますかどうか」
「いえ、大したことではないんです。その、『当時』 のことなんですが」
J は声の調子を落とし、『失踪』 という言葉を控えて曖昧に尋ねる。
周囲には他の使用人達が何人か控えているため、それを憚ったためである。
ミヨシはすぐに理解したようだった。
「そうですか。では、こちらへ」
ミヨシは玄関口の脇にある小部屋に J を促した。
事務室的な造りのその部屋は、
先程目にした主人の部屋とは違って簡素な雰囲気を醸し出していた。
恐らく、笥村邸に出入りする業者などと打ち合わせるための部屋だろう。
ドアを閉めれば、話が他者にもれることはなさそうだ。
J とミヨシは、向かい合う形で椅子に座った。
「では、お尋ねしますけど」
「はい」
「笥村氏は、仕事が終わったら毎晩きちんと家に戻る方だったんですか?」
「はい。時刻の早い遅いはございましたが、だいたいは毎日お帰りになりました」
「だいたい、というと?」
「はあ ……時折、私どもにお知らせいただくこともなく外出なさって、
明け方にお戻りになることはありましたが」
麻与香が言っていた、笥村聖の 『子供っぽいところ』 というヤツらしい。
「なるほど。では、『当日』 も最初はそのクチだと思われた?」
「はあ、お恥ずかしながら」
「でも、朝になっても姿が見えなかった」
「はい」
呑気なものだ、と J は口に出さずに思った。
世の中を動かす VIP の周囲というのは案外ノンビリしたものなのかもしれない。
それとも、奇抜な主人の行動にもはや馴れきってしまって、
想定外の出来事が起こる可能性など思案の外なのか。
「『当日』 前後に、何か変わったことや不審なことは?」
J の質問に対して、ミヨシは懸命に何かを思い出そうとする表情を浮かべて見せる。
もとより3ヶ月近く前の話だ。
老人の記憶を呼び覚ますのは簡単なことではないだろう。
尋ねた J も大して期待してはいない。
「特に……なかったように思います。
あの日の前日も、その前も、
旦那様はいつものように出社されましたし、ちゃんと戻ってまいりました。
ただ、あの日の翌日以降は、かなりバタバタいたしましたが……」
麻与香と同じように、ミヨシも言葉を濁す。
聖の行方知れずが判明し、それによってもたらされた混乱を意味しているのだろう。
今でこそ穏やかな表情を浮かべるミヨシ老人も、
恐らく当時はかなり憔悴したに違いない。
その姿を想像して、J は目の前の老人が少し気の毒になった。
→ ACT 3-16 へ
このヒトは誰かというと、
いまウチにある金星竜イーマ(イミルとも言うらしい)のフィギュアくんです。
以前ネット通販で買ったレイ・ハリーハウゼンという映画監督の
コンプリートDVDに特典としてついてきた、作品の中のキャラクターです。
結構デカいです。タバコは当社比。
実はワタシはフィギュアがさほど好きではない。
で、特典でもらったとはいえ、部屋に飾るわけでもなく
箱の中に入れたまま、押入れにしまっといたんですが、
正直ジャマなので、手放すことにしました。
知り合いのデザイナーさんが、わりとフィギュア好きで
実物を見て気に入ったら引き取るよ、と言ってくれたので
さっそく明日、持ち込みます。
アマゾンやヤフオクに出品したら? とも言われたんですが
メンドーだし、そもそもタダで手に入ったものだから
どのくらいの金額が妥当なのか分からないし、やめました。
で、明日の別れを前にして
実体をしげしげと眺めているんですが。
このイーマくん。
正面から見ると、さほどでもないんですが、
角度によっては何かにギョッとしているような顔に見えます。
ね、ギョッとしてるでしょ。
「え! マジすか!」とかゆってるみたいな。
「イーマ君、今月のノルマ、君だけ達成してないよ」
「え、マジすか!? オレ、結構ガンバったんっスけど」
「イーマさん、あたしたち、もう終わりにしましょう」
「え! 何で? オレ、なんか悪いことした!?」
「イーマ、実は私たちは、お前の本当の両親じゃないんだ」
「え! マジ?! つーか、オレ、人間だったの?」
みたいな。
飽きたから、やめるけど。
というわけで、明日、ドナドナの身となるイーマくん。
でも、もしかしたら、
デザイナーさん好みのフィギュアじゃないかもしれません。
引き取ってくれないかもなー。
そうなったら捨てるしかないか。
「え!! オレを捨てるんスか!?」
一番のショックらしい。
ちなみに、レイ・ハリーハウゼンというのは、ワタシの大好きな監督の一人で
ストップモーション・アニメの大家です。もう引退しちゃったけど。
メジャーな作品としてはシンドバッド・シリーズなんかがあります。
人形を一コマずつ動かして撮影する、というストップモーションも
今ではCG などの特撮に取って代わられてしまいましたが
ワタシにとっては、現実と全く変わらない美しい CG よりも
一コマ撮りならではのぎこちなさ、
そこから生まれる微妙な味わいを持つこの手法がたまらなく好きです。
中でもワタシのお気に入りのキャラクターは
「シンドバッド黄金の航海」に登場する破壊の女神カーリーや
「タイタンの戦い」のメデューサなんかです。
どちらも昔はTVのロードショーで放映していて、それを見てハマったワタシです。
もしも、特典フィギュアがイーマくんじゃなくて
お気にのカーリーやメデューサなら、手放したりせずに大事に取っとくんだけどな。
イーマくんには、特に思い入れもないし。
「え! あ、あいつらが良くて、オレじゃダメなんすか!?」
ダメだよ。
「ガーン!」
もういいよ。
てゆーか、ガーンって、昭和だよ。