J の表情が少しずつ険悪になっていくことにも気付かず、那音は言葉を続ける。
「なあ、フウノ。あんた、さっき、忙しいっていってたけどさ、
何で忙しいか判ってるぜ、俺。……麻与香から、なんか頼まれただろう?」
その言葉に、初めて J は正面から那音を見た。
視線の先では、那音がニヤニヤと薄笑みを浮かべている。
本当はさほど忙しいわけでもない J だが、その辺りの事情は今は黙っておくことにする。
それよりも、意味深な那音の台詞の方が気にかかった。
J は顎に手をやり、数秒だけ何事かを考え込む表情をした後、
傍らで好奇心全開の瞳で成り行きを見守っていたアリヲに声をかけた。
「……アリヲ。悪いけど、ライブラリはパスしていいか?」
「えー、何で?」 アリヲが不平の声をあげる。
「せっかくここまで来たのにさ」
「ちょっとね、このロクデナシとつけなきゃならない話があるんでね。
物分りが悪い男だから、長くなりそうだし」
「むー」
アリヲは唇を尖らせて、突然現われた邪魔者を上目遣いに睨んだ。
それに応えるように、那音が手を振ってみせる。
「……分かった。一人で行く」
「悪いね、ホント」
「いいよ。ボクはその人と違って 『物分りがいい』 から」
「……」
「お、言うねえ、坊や。うんうん、物をはっきり言うのは、いいことだ」
口を挟む那音を J が睨む。
「黙ってな、那音」
「そんなコワイ顔すんなよ、フウノったら」
「うるさいんだよ」
那音の軽口を冷たくあしらう J をしばらくの間じっと見ていたアリヲは
その袖口を軽く引っ張って、J の耳元でこっそり囁いた。
「ねえ、『フウノ』って、J のコト? J は J じゃないの?」
「……そう呼ぶ人間もいるっていうだけだよ。
お前は J って呼んでくれりゃいい。『フウノ』って言ったら怒るぞ」
「ふうん……まあいいけどね」 よく分からない、という顔つきでアリヲは頷いてみせる。
「じゃあ、ボク行くから、その 『オトモダチ』 と仲良くね」
「……」
アリヲの言葉に応えようがなく、J は困惑めいたため息を吐いた。
やっぱり、似てきている。
アリヲの皮肉めいた言葉の切り返し。
諛左の影響を受けているとしか思えない。
拗ねた口調は別にしても。
ユサ化が進んで、将来、あんな大人にならないように、よく注意しておかないと。
と、自分の口の悪さなど、すっかり棚に上げている J である。
のろのろとライブラリに向かって歩き始めたアリヲの背に、付け足すように J が声をかけた。
「アリヲ、後で事務所に寄りな。千代子さんに頼んで、メシ食わせてやるから」
「ホント?」 振り向いたアリヲの表情が一転して嬉々とする。
「やったあ! 寄る寄る、絶対寄る!
今日はアゲダシかな、モズクかな? ツミレ汁でもいいなあ」
「……アリヲ、その献立チョイスは12歳のコドモには似合いません」
「だってボク、和食 - ニホニーズ・フード -、大好きだモン」
年齢にそぐわず、アリヲの食の好みは渋い。
その発言内容はともかくとして、
反応自体はいかにも子どもらしい現金さを見せるアリヲの姿に、幾分 J はホッとする。
この素直さがあるうちは、ユサ化の心配はないだろう。
先程とは打って変わって元気に駆け出したアリヲの後ろ姿を見送った後、
再び J は那音に向き直った。
「さて、那音」 J の表情は固い。というより、無表情である。
「さっきの話の続きをしようか」
→ ACT 4-12 へ
「俺だって判ってたんだろ?」
「いーや、これっぽっちも気付かなかった」
無表情に答える J の皮肉に動じる様子もなく、
那音は J のすぐ側まで来ると、ようやくサングラスを外した。
J は素早く目の前の男を観察する。
背が高い方ではなく、真っ直ぐに立つと目の位置が J とそう変わらない。
自分の貧弱な体格を隠すためなのかどうかは知らないが、
この男は、いつも実際の体型より一回り大きいサイズの服を身につけていた。
その習性は今でも健在のようで、
スーツの肩幅は那音の肩の線よりもかなり下の方に下がっている。
自分では颯爽と着こなしているつもりかもしれないが、傍から見ると滑稽だった。
J に言わせれば、子供が父親の服を黙って持ち出して着ているような印象しか沸いてこない。
おまけに童顔で実際の年よりも若く見えるため、
なおさらこういう恰好をされると違和感を覚えてしまう。
確か、麻与香よりも10歳ほど年上の筈だが、
明るい日の下で見ると、麻与香よりも年下に見えた。
麻与香自身もそうだが、那音も時間の流れを無視して生きているようだ。
どうしても好きになれない人間は必ず何人かいるものだ。
この男も J にとってはその中の一人に当たる。
人格的なことをとやかくいう気はない。
それを言い出したら切りがない。
ただ、麻与香の親類というだけでも、J にとっては充分、会いたくない理由となるのだ。
数年振りに出くわした相手の軽そうな表情にちらりと目をやると、
J はアリヲの手を引いて、そのまま那音を通り過ぎようとした。
その腕を那音が掴む。
「そりゃないぜ、フウノ。久し振りに会ったのに。
もうちょっと愛想よくしてもいいんじゃねえ?」
J は応えない。
聞こえないフリをしている、というよりも、那音の存在そのものを無視している。
那音と J の顔を交互に見ながら、傍らのアリヲが J に尋ねた。
「このヒト、J のトモダチ?」
「違います」
きっ、とアリヲに目を向けて、きっぱりと否定する J に、那音は恨めしそうな視線を向けた。
「もう、相変わらず冷たいね、フウノは。……それにしても」
今度は那音が J とアリヲを見比べる。
「フウノが子連れとはねえ。いつの間に母親になっちゃったの……う、うわっ」
那音の言葉が終わらないうちに、J が無言で目の前の男のネクタイを引っつかんだ。
近い距離で J に睨まれた那音は急いで訂正する。
「……って、ンなワケねえよな。分かってる、分かってる。
その年で、こんな大きな子ども、いるわきゃないもんな。
髪の色も全然違うし。冗談だって、冗談」
那音は身体をよじって J の視線と手から何とか逃れると、
乱れたネクタイを直しながら、改めて J に目をやった。
「しかしまあ、しばらく見ないうちに、いい女になっちゃって。
いや、昔も勿論いい女だったけどさ、青臭さが取れて熟してきたというか……」
「人のことを木の実か何かのように言ってんじゃないよ。
失せな、チンピラ。こっちは忙しいんだ」
これ以上この男との会話を続けていたら、
つい先程までは悪くもなかった機嫌のメータが秒刻みでレッドゾーンへ突入してしまう。
そう考えた J は、早々にこの場を切り上げようと、
目の前の男の言葉を遮って、きつい目で睨みつけた。
しかし、那音の方は J の不穏に気づいていないのか、
あるいは気づかないフリをしているのか、動じた様子はない。
「フウノ、子どもの前でそんな言葉使っちゃダメだろ。なあ、坊や」
那音は傍らのアリヲの頭に手を乗せて、ガラにもない台詞で同意を求めたが、
アリヲにとっては、J の乱暴な言葉遣いなど今さら珍しいことではないので
(それもまた、アリヲの情操教育にはよろしくないことなのだが)
那音の言葉にきょとんとした表情で答えただけだった。
「アリヲに触んな」 J はオレンジの髪をなでる那音の手を振り払った。
「ロクデナシが伝染する」
俺そんなヒドくねえよ、とぼやく那音の言葉を、当然 J は無視した。
→ ACT 4-11 へ
あの車。あれは確か。
J の記憶がフラッシュバックする。
耳障りなエンジン音に眉をひそめているうちに、
心のはるか奥底に鎖をつけて沈めておいた記憶の一つが、不本意ながら甦る。
まさか、ね。
J は記憶を打ち消そうとした。
だって今、目の前にある車は、自分が覚えているものとは型が違う。
きっと別物だ。
しかし、品のない赤い光沢は、否応なしに J に誰かを思い出させた。
モノトーンの街で悪目立ちしている、軽薄で趣味の悪い、この車。
甦った記憶は、カレッジの学生だった当時のものだ。
意に反して麻与香と行動を共にすることが多かった、あの頃。
派手な赤い車がカレッジの門前で、誰かを待ち受けるようにしょっちゅう止まっていた。
今みたいに、エンジンをかけたまま。
麻与香はその車を見つけると、いつも手を振って車中の人間に呼びかけていた。
『ナオト』 と。
しかし、J は記憶に逆らって、自分の感情に素直に従うことにした。
クラクションを無視して踵を返し、車のことなど目にも入らぬ、とでも言いたげに
アリヲの手をつかんで歩き出そうとする。
その途端、
「フウノ、フウノだろ?」
背後から男の声が飛んできて J の耳に突き刺さった。
「……」
当たっても嬉しくない予感、むしろ当たると腹立たしい、というのは確かにあるもので、
今の J の心境が、まさにそれだった。
聞き覚えのある声。
不愉快な記憶とつながる、軽い声。
J は声を振り払うかのように、歩く速度を1割増し早めた。
「ちょ、ちょっと、フウノ、フウノったら」
車のドアが開く音がして、声の主は少し慌てたように再度呼びかけた。
明らかに J に向かって投げかけられたその声に、アリヲがつい振り返る。
「……ねえ、J。なんか呼ばれてんじゃない?」
「気のせいだろう。ほら、前見て歩く」
「うん、でもさ、あの人が」
「いいから」
さらに強く手を引く J だが、背後の声を気にするアリヲの歩調は自然と緩やかになり、
小走りに近付いてきた男に、結局2人は追いつかれてしまった。
「ちょっと、待てったら……フ、フウノ、歩くの、早いって」
男は息を切らせて、2人の前に回りこむ。
紺のラージ・スーツに濃い緑のネクタイ。
目はサングラスで隠れていて見えない。
「挨拶ぐらいしてくれたっていいじゃねえの、フウノ」
男は呼吸を落ち着けると、甘えるような、くだけた口調で J に話しかけた。
薄らと生えた無精髭は、男が喋るたびに口と一緒に蠢いている。
にやけた表情は、確かに J の記憶にある昔のままだった。
出会いたくない人間というのは、人生の一定期間中に重なって現れるものらしい。
J はため息をついた。
麻与香といい、笥村家の番犬(何という名前だったか忘れたが)といい、
最近出くわしたのは、どれも遠慮したい人種ばかりだ。
そして、今、もう一人。
J はウンザリした表情を隠そうともせず、舌打ちした。
「……相変わらずセンスの悪い服だな、鳥飼那音(トリガイ・ナオト)。」
血のつながらない、麻与香の叔父。
鳥飼那音との、それが8年ぶりの再会だった。
→ ACT 4-10 へ
J はアリヲと連れ立ってライブラリへと向かった。
他の公的施設の多くがそうであるように、
ライブラリはこの街区でもっとも広い大通りに面している。
今2人がいる場所からは、徒歩で約10分の道程だ。
さほど遠くはないので、バスは使わない。
それにアリヲは乗り物嫌いなので、
この少年と何処かへ行く時は、たいてい歩いての移動になる。
アリヲは J より一歩先を進み、時折振り返っては J に話しかける。
そのたびに段差につまづいたり、路地から出てきた人影にぶつかりそうになるので
危なっかしいこと、この上ない。
「アリヲ、ちゃんと前見て歩きな。フラフラしてんじゃないよ」
「だいじょぶ。ボク、後ろにも目があるから」
「そんな人間、いるか」
「J、ボクね、また身長伸びたんだよ」
何の脈絡もなく話題を変えるのは、アリヲの癖である。
以前なら、次々と話が移る目まぐるしさについていけなかった J だが、
今ではすっかり慣れてしまい、会話のリードをアリヲに任せっきりにしている。
「ふーん、今、身長どんだけ?」
「えーっとね、この前、学校の健康診断で計った時は、145センチだった。
前に計った時よりも2センチ増えたんだ。2ヶ月で2センチ。すごくない?」
すごいのかどうかは J にも分からないが、
普段から 「目指せ150センチ」 という目標を掲げているアリヲにとっては、
少しずつそれに近付いていく数値が嬉しくてたまらないらしい。
「1ヶ月ごとに1センチか。
単純計算したら、1年間で12センチ伸びることになるな」
「すごいでしょ。ずーっとこんな感じで伸びてくんないかなあ」
「そのペースで伸び続けたら、あたしくらいの年には、お前、身長3m超えるよ」
「あ、それ、いいね」
「いいのかよ」
他愛無い会話を繰り返しながら、2人はゆっくりと歩く。
ようやく裏路地から大通りに差し掛かり、
2人の視界にライブラリの古びた外観が見え始めた時。
BEEP! BEEP!
いきなり車道から派手なクラクションが鳴った。
J とアリヲを含めた周囲の人間たちが足を止め、皆の視線が音の元へと向けられる。
誰の目にも明らかな高級車がエンジンをかけたまま歩道に横付けされている。
艶光りしたシャープな車体と軽薄な赤い色。
乗り手の性格が自ずと知れるタイプの車だ。
ダウンエリアの風景に不釣合いなこと、この上ない。
J の隣でアリヲがオレンジの瞳を丸くしながら、
「わ、ハデな車」
と小さな声で呟く。
クラクションに振り向いた人々は、
ある者は胡散臭そうな瞳を車に向け、ある者は迷惑げに舌打ちした。
そして、何事もなかったかのように再び自分の道を急ぎ始める。
皆に倣うように、アリヲを促して足を先に進めかけた Jだったが、
ふと心の中で何かが引っかかり、もう一度立ち止まって車へと目を向けた。
それは、何となく見覚えのある車だった。
→ ACT 4-9 へ
書いてる小説が 『PURPLE HAZE』 というタイトルだからだろうけど、
来てみたら、お目当てのネタのことなんて、ひとっことも書いてないから
ガッカリされるんじゃないでしょーか。
なんか、スイマセン。
で、どんなゲームなんだろうと思って、サイトを見てみたけど
どうやらワタシの苦手なシューティング・ゲームらしく。
シューティングだけでなく、
コントローラをイジる際に、指先の反射神経が問われるゲームについては一切ダメなワタシ。
要するに、アクションゲーム全般的ね。
今までまともにクリアしたことがありません。
面白さにつられて途中までガンバってみたゲームもありますが。
「マリオ」 とか(ファミコン世代なのです)
「ICO」 とか 「大神」(これはグラフィックの美しさに魅かれて、かなりガンバった)とか
「ゼルダ」 シリーズとか、「塊魂」(これは超スキだ!)とか。
面白いんだけど、指がつりそうになります。
で、途中まで遊んでおきながら、しばらくゲームをせずに数日経つと
さあ、久しぶりにやってみようかな、と思っても
ボタンを押すタイミングとか、すっかり忘れていて自滅しまくり。
とはいえ、最近ではゲームそのものご無沙汰ぎみで、
たまに昔よく遊んだソフトを引っ張り出して、ちょいとやってみる程度。
主にRPGかシミュレーションゲームなんですが
今となっては、地道に経験値を稼ぐのもメンドくさくて、結局途中で放り投げてしまいます。
昔は寝る間も惜しんで遊んだというのに……。
忍耐力がなくなったんでしょうか。
それとも……年とったってことなのか?
おおう。痛恨の一撃。
とりあえず、今は
DS のドラクエ5と6が何となく待ち遠しい今日この頃です。
「どしたの、今日は? ガッコ休みだろう?」
「うん、休み。今日はライブラリに行くの。借りてたやつ、まだ返してないから」
アリヲは身体をよじらせて、背中のバックパックを揺らしてみせた。
数冊の本がぶつかり合ってゴソゴソと重そうな音を立てる。
「ホントはもう返却日すぎてるんだけど」
「また行くの? お前は本当に本が好きだね」
「うん。スキ」
この区画に一つしかない小さなライブラリに、アリヲを初めて連れて行ったのは J である。
オレンジ髪の少年は、書架に並んだ蔵書の列に眼を見張り、
その中から好きなものを無料で読むことができる自由さと、
書物の中に繰り広げられる知識や物語の魅力にたちまち取り付かれ、
以来、時間さえあれば足しげくライブラリに通うようになった。
もともと好奇心旺盛なアリヲは、知ることへの意欲が高く、
それ故に、彼が通うエレメンタリー・スクールでの成績も決して悪くない。
時々顔を合わせるアリヲの父親から J はそう聞いている。
J 自身も、アリヲと話している時に、
年に似合わぬ頭の回転の早さや
そんなことを誰に習ったのか、と思わせる言葉づかいに、内心驚くことも少なくない。
「J も一緒に行こうよ」 無邪気にアリヲが J をライブラリに誘う。
「なんかヒマそうだし」
「……」
悪意とは無縁の表情で 「ヒマそう」 などと指摘されてしまうと、
どうにも複雑な心境になる J である。
同じ趣旨のことを諛左に手厳しく言い放たれるより、1.2倍くらいこたえるのは何故だろう。
「いや、そんなヒマってワケでもないんだけど」
「じゃあ忙しいの?」
「いや、忙しいってワケでもなく……」
「どっち」
「……今日はヒマです」
コイツ、ツッコミ方が諛左に似てきたんじゃないか? と、J は心の中で舌を打つ。
他人の言葉に入り込んでくるアリヲの間合いは、
どこかしら、あの男と同じタイミングを感じさせる。
良くない傾向だ。少なくとも、J にとっては。
今度から諛左がいる時は、アリヲを事務所に寄らせないようにしよう。
「だったら、行こうよ、行こうよ」
J の勝手な思惑など当然気づくこともなく、アリヲは J の腕を引っ張った。
「他にやること、ないんでしょ?」
「うーん、ライブラリか……」
J はしばらく思案顔になる。
ライブラリには、本のストックだけではなく、
過去のデイリーペーパーもデータ化されていて、自由に閲覧することができる。
当然、笥村聖が失踪した時期のデータも例外ではない。
当時のコンツェルンの表層的な動きを探ることで、
今回の依頼を解決するためのヒントが、多少なりとも見つかるかもしれない。
マスコミ報道は、情報収集手段としては意外にバカにできないものだ。
「まあ……行ってみてもいいか」
半分アリヲに誘われるような形で、J は重い腰を上げることにした。
→ ACT 4-8 へ