忍者ブログ
蝶になった夢を見るのは私か それとも 蝶の夢の中にいるのが私なのか 夢はうつつ うつつは夢


[1]  [2]  [3]  [4]  [5
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

女が屋敷の中に姿を消すのを見届けた後、仁雲が阿南に謝った。

「すいません、阿南さん。今の人の名前、思い出せなくて……」

仁雲の謝罪に対して、阿南の反応は特にない。
人名の覚えが悪いのは、仁雲にとって今に始まったことではない。

「えーっと、ミス……フウノでしたっけ? なんか……胡乱な感じの人ですね」

「お前もそう思ったか」

いつもなら阿南は自分の相棒の観察力や直感力をあまり当てにはしていなかったが、
この時ばかりは仁雲の言葉に賛成した。

「確かに、この家に群がる高価な宝石や衣装の話が得意な人種じゃなさそうだ。
ちょっと堅気ばなれした雰囲気だった」

決して上流階級ではない。
かと言って、強請り、たかりなどを生業とするような輩にも見えない。
阿南を見返した女の真っ直ぐな瞳には、凶悪や剣呑の欠片は見当たらなかった。

仁雲が相槌を打つ。

「阿南さんもそう思いましたか?……どういう女ですかねぇ」

「分からん。前もってミヨシの爺さんに聞いてなけりゃ、
門をくぐる前に追い返したかもしれんな」

阿南はあながち冗談でもなさそうな口振りで答えた。

「でも、美人ではありましたね。ちょっとキツイ感じですけど」

「まあ…な」

仁雲の言葉に、阿南は曖昧に賛成した。
確かに美形といっても良い顔立ちだった。
そこらを歩いている女達を10人適当に集めて、 
その中にいたなら、まず最初に目を引く女に違いない。

だが、阿南の目を捉えたのは、それだけの理由ではない。
美醜では片付けられない、独特の雰囲気が女を取り巻いていたせいだ。

「お前、ああいうのが好みなのか?」

「好みというか、自分は美人は皆好きです」

「……」

阿南は小さくため息をついた。

仁雲の女好きは今に始まったことではない。
元・軍人にして元・マセナリィであった技量はそこそこあるにもかかわらず、
女に対してかなり無防備だ。
付け加えれば、無節操なところもある。それがこの男の欠点だと阿南は思っている。

何しろ、雇い主である笥村聖の若い妻にまで好奇を抱いているのには困り者だ。

「……だが、仁雲。美人といっても、今の女みたいなタイプはちょっとヤバいぞ」

「ヤバい? どこがですか?」

「勘だ」

そうとしか言いようがない阿南である。
女と視線が合った時に感じた奇妙な感覚は、ある種の 「ヤバさ」 を伝えていた。
しかし仁雲は、

「そうですかねえ?」 と、阿南に目を向ける。
「でも、自分、結構ヤバイ女って好きですけど。 何か、こう、緊張感があるというか……」

「女の趣味にケチをつけるつもりはないがな。
お前の為に忠告しておくと、あの手の女は止めといた方が無難だぞ。
お前は結構根が単純だから、いいようにあしらわれるだけだ」

「そんなことありませんよ。 一度くらいなら、ああいう女にあしらわれてみたい気もします」

「お前はいつかきっと女で身を滅ぼすな」

女に入れ込むタイプは、これだから。半ば諦めたように阿南が言う。



→ ACT 3-8 へ
PR

距離が縮まるにつれて、2人の目に女の外見が明確な形をとって映り込んでくる。

「阿南さん、奥様の友人というには、あの人何だか……」

仁雲は言葉を切ったが、その言わんとするところは阿南も理解した。

女が無造作に羽織っている生成りのコートは遠目にも色あせて見える。
それは、まるで長年着古した印象を2人に与えた。
対照的に黒いTシャツと同じく黒い皮の光沢を持つパンツ。
女に似合っていないわけではないが、
個性や好みという点を無視して女のいでたちを客観的に見てみれば
それはダウンエリアの住人以外の何者にも見えなかった。

仕事柄、上流階級と呼ばれる人種を嫌と言うほど見慣れている2人である。
その2人から見て、女は笥村の客人としてはおよそ似つかわしくない胡散臭さを引きずっていた。

しかし逆に、そのことが阿南の興味を引いた。

身なりのみすぼらしさに反して、女はなかなか目を引く容貌をしていた。

まっすぐな黒髪が、歩くたびに肩の辺りで波打っている。
切れ長の瞳は髪の色と同じく黒く、思いがけず白い肌を際立たせていた。
まるで忍び足で近付く猫のようだ、と阿南は思った。

恐らく単一のニホン人種に違いない。今時珍しい、と阿南が思った瞬間。

女と阿南の目が合った。

女の目を見た瞬間、奇妙な感覚が阿南を捕らえた。
アイスブルーの瞳がすっと細くなる。

女は驚くほどまっすぐな瞳で阿南を見返した。
鋭く、切れ味のよい黒曜石に似た瞳だ。
観察とも値踏みともいえる視線を、2人に、とりわけ阿南の方へ向けていた。

何か引っかかる。
阿南は女が醸し出している雰囲気が気にかかった。
何だろう。

声をかければ届く位置まで女が近づいた時、仁雲が一歩前に出て、
失礼に当たらぬ程度に女の前に立ちはだかる。

「失礼ですが、ミス、あー……」

流暢なニホン語ではあったが、
それ以前に、客人の名前を未だ思い出せない仁雲は、つい口ごもった。
仁雲の背後から、阿南が慇懃に言葉を発する。こちらもニホン語だ。

「ミス・フウノでいらっしゃいますか?」

問われた女は一瞬複雑そうな表情を見せたが、

「……そうだけど」

と簡単に答えた。
囁くような、低い声が阿南の耳を打つ。

「そちらはボディガードってやつかな?」

問いかけとも独り言とも取れる女の言葉の中には、
やや小馬鹿にするような微笑のトーンが含まれていた。
阿南はそれを無視して型通りの言葉を返す。

「奥様から伺っております。どうぞ、お通り下さい」

女は何か言いたげな視線で阿南と仁雲を見比べていたが、
やがてついと目をそらして笥村邸の玄関口へと向かう。
呼び出し口で名を告げ、現われた使用人に導かれて、
女はそのままドアの内側に吸い込まれていった。



→ ACT 3-7 へ

仁雲が幸運かどうかについて、阿南は反論も含めて特に何も言わなかった。
部下の心境を推し量ることは阿南にも容易にできた。
ただ、それを理解あるいは賛同できるかどうかは、別問題だった。
逆に、自らをラッキーと言う仁雲が、阿南の心情を察することはできないだろう。

仁雲と違って阿南はかつての自分を恋しがっている。
恐らく再びキナ臭い世情になれば、阿南はすぐに笥村家を辞すだろう。
そして、争いの予兆が渦巻く中へ飛び込んでいくだろう。

それは仁雲にはもう二度とできない生き方である。

闘うという本能が阿南の中には未だにくすぶっている。
それは恐らく一生自分の中に存在し続けるのだろう。

救いようがない。

阿南は再び自嘲せざるを得なかった。


     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「阿南さん」

仁雲の呼びかけが、物思いにふける阿南を現実に引き戻した。

見ると仁雲の視線が、街路に面した笥村邸の外門の辺りに向けられている。
阿南は仁雲に倣って、目を向けた。

女が一人、立っていた。

阿南は急速に自分の職務を思い出し、姿勢を正して正面から女の姿を見つめた。

外門から屋敷の入り口までは、弧を描くようにレンガを敷きつめた道が続いている。
その道の一方の端に阿南と仁雲が、その逆の端に女がいた。

女はしばらく門の外から屋敷の様子を眺めていたが、
やがて、ゆっくりと2人の護衛がいる方へ向かって歩き始めた。

その足取りは落ち着いていて、淀むところがなく、
天下のハコムラ・コンツェルンの根城に踏み入れたことへの躊躇も畏怖も感じられない。

「誰ですかね、阿南さん」

不審そうに女に目をやる仁雲に、阿南は素っ気なく答えた。

「執事のミヨシが言ってただろう。近々客人があるってな」

「……ああ、奥様のご学友とかいう。あの人がそうなんですかね。
なんて名前の客でしたっけ? ええっと……」

客人を誰何するべき役目の人間が発する言葉とは思えない、頼りなげな後輩である。
仁雲には答えず、阿南は徐々に近付いてくる女の姿を見据えた。



→ ACT 3-6 へ

阿南が時折見せる倦怠の表情を何とか解きほぐそうと常々努力しているのが、
笥村邸の前で阿南の傍らの位置を占めている部下の仁雲(ニグモ) だった。

『考え過ぎない方がいいですよ、阿南さん』

今ではこの台詞は仁雲の口癖になっている。
事あるごとに仁雲はこういって阿南をなだめるのだ。

褐色の肌とやや明るい茶色の髪を持つ仁雲は、
ニホン名ながら南国人種の血を引く生まれだった。
血筋のせいか、性格は阿南よりも遥かに陽気な方である。
年は30前だが、子供のような表情のせいで実際よりも若く見える。

強面で同僚にも避けられがちな阿南と、それに反して愛想がよく人好きのする仁雲は、
正反対の性格でありながら何故か馬が合っていた。


仁雲はかつて某国の軍隊で職業軍人として真っ当に勤務していた。

しかし、クーデターによる内乱が起こったことで、硝煙の道に進まざるを得なかった。
数年後、呆気なく内乱は終結し、
呆気なく軍は解体されて、仁雲は呆気ないほど簡単に無職の身になった。

『その日のメシにありつくこともできなくなった訳です』

仁雲は笑いながら阿南に言ったものだ。

結局、仁雲はマセナリィになっていろいろな国を渡った。

その後、何度目かに体験した内乱が終結を見る頃には、
硝煙の匂いに辟易していた仁雲は
稼いだ報酬を注ぎ込んで、ニホンへのパスポートを手に入れたのだ。

それまでの名前を捨て、ニホンに帰化して「ニグモ」を名乗り、
ともかく、数ヵ月後には笥村邸の警護役の一人に収まった。
そんな自らの境遇に充分に満足していることは、本人の言葉通りである。


『自分はラッキーです』

仁雲は笑顔で言った。

泥や血の染みとは無縁のスーツ姿で、食うに困ることもない。
しかも、自分の経歴を生かした職業でもある。
その上、雇い主は政財界に名を轟かせる笥村家なのである。

これは、この上なくラッキーなことではないか?
仁雲の表情は常にそう語っていた。

阿南自身が個人的に抱えている胸中の葛藤、
つまり 『争乱バカ』 である自分を捨てきれないでいるのに対して、
仁雲は明らかに阿南と意見を異にしていた。

仁雲は、現在自分が置かれている状況を幸運であると公言して憚らない。
常に無常観に苛まれている阿南にとっては、少なからず複雑な心境を抱かせる存在であった。



→ ACT 3-5 へ

阿南は、ふと頭をめぐらせて、背後に視線を送った。

そこには、ハコムラ・コンツェルンを象徴する大邸宅がそびえている。

見る者に前時代的な印象を抱かせる巨大な構えの扉。
それは、阿南を押し潰すかのように存在感を誇示している。

さすがにニホンで一番名を知られている男だけあり、
不穏な理由で笥村聖の屋敷に忍び込もうとする人間は決して少なくなかった。
誘拐目的、企業スパイ、テロ、ストーカー、狂信的な信奉者……
あらゆる可能性が考えられる中、
今まで大きな事件が持ち上がらなかったのは、ひとえに優秀な警護力があったからであろう。
阿南自身が危険を察知して活躍したことも、2度や3度ではない。

しかし、その鉄壁の警備の一端を担う阿南にとって、
雇い主や世間の評価の高さは、さほど自らの精神的な快感にはつながらない。
むしろ、阿南の心は自嘲に似た感情に満ちている。

毎日毎日、自分はこの尊大な扉の前で番犬となっているわけだ。
怪しい者に唸って吠えて噛み付いて、報酬という名の餌をもらっている。

そんな自らの日々を思い、そして在りし日と今を比べることによって、
阿南の心は、やはり倦んでいくのだ。

阿南の心にくすぶっている感情は、
盛りを過ぎた老人が抱くような過ぎ去った日の充実感を懐かしむ感傷に似ている。

世界が向かう方向が変わりつつあるのなら、自分もそれに合わせていく方が利口なのだ。
あの黒髪のニホン人が言っていたように。

人の生死が世界を動かす、と本気で信じていたあの頃、
時代の雰囲気に支配されていたあの頃の自分の方が、恐らくは異常なのだ。

しかし。

頭で考えて理解できることと、自分自身の感情とは必ずしも一致しない。
むしろ背反することの方が多い。
世間と折り合いをつけて生きていくことは阿南にもできる。
だが、心の底には湧き上がる寂寞とした感情はどうにもならない。
それに気付かない振りを続けていくのは、阿南にとって大きな苦痛だった。


阿南は再び目を背後の屋敷へと向けた。

現在、この屋敷の中に笥村聖はいない。
聖の年若い妻・笥村麻与香によると、

『主人はプライベートでしばらくニホンを離れているの。当分帰ってこないわ』

とのことであった。
麻与香の言葉を聞いて、阿南の上司に当たる壮年手前の警備主任が、
驚いたように尋ねたのを阿南は他人事のように見ていたものだ。

『……護衛もつけずに、ですか? 自分は何も聞いていませんが』

『プライベートだって言ったでしょ。
あなた達みたいにデカい男が貼り付いていたら、逆に目立ってしまうじゃないの』

『しかし』

尚も言い募る警備主任とは裏腹に、
麻与香は退屈な会話を打ち切るように手を振ると、背を向けて歩み去った。
警備主任は、その後ろ姿をしばらく見ていたが、
やがて何事もなかったように部下達をいつもの警備配置に送り込んだ。
しかし、阿南は、主任が小さく舌打ちしたのを聞き逃さなかった。
権力者の気紛れに振り回されるのは今に始まったことではないが、
阿南には主任の心情がよく理解できた。

結局それ以来、神殿を守るガーディアンの彫像さながら、
一日中、主不在の屋敷の前で、訪れる人間相手に誰何を繰り返している阿南である。



→ ACT 3-4 へ

『考え過ぎることはないさ』

同じ時期にニホンへ渡ってきたマセナリィ仲間の一人が、阿南に言ったものだ。

『 完全な平和、とは言い切れない。
だが、ともかく世界は何とか落ち着きを取り戻そうと努力しているように見える。
そうなれば、マセナリィの出番は今後ますます縮小されていくだろう。
お前も俺も、その流れに乗り損ねないようにすればいいだけのことさ 』

その男は黒く光る鋭い瞳と黒髪のニホン人だった。
自分にとっては里帰りというところだな、と笑っていた。

そうなのかもしれない。
阿南は実際にニホンを目の当たりにして、男の意見を認めざるを得なかった。

小奇麗で整えられた街並み。
それゆえに硬質で冷たい印象をもたらす都市空間は、
近い未来には、ニホンだけではなくトーン・ワールド全体に広がる予想図なのだろう。
ため息とも吐息ともつかず、
曖昧に息を吐いて天にそびえる建造物を見上げたことを、阿南は覚えている。


平和なニホンではあったが、阿南は不思議と職には困らなかった。
そこそこハイレヴェルな階級 - クラス - のマセナリィに属していた彼は、
数多の選択肢の中で、結局、要人宅の警護というポジションに納まった。

そして、今ではニホンを動かす笥村一族の邸宅をガードする、という大役を獲得することで、
皮肉にもマセナリィであった頃の実力を証明することになったのだ。

しかし実のところ、阿南自身は今の自分の位置づけに、そう満足はしていなかった。

不平があるというわけではない。
報酬は申し分なく、それに見合うだけの働きをしているという自負もある。

ただ、それだけでは満たされない部分が、
自分の心の奥底に潜んでいることを阿南は気付いていた。

時々彼は自らに問いかける。

仕立ての良いスーツを身につけ、いい部屋に住み、なんら不自由のない生活。

何かが違うような気がする。
自分がいるべき所は、ここか?

つい数年前までは、
銃弾が飛び交い、明日の命の保障もない血なまぐさい場所にいた自分。
今はどうだ。
他人を守るためにのみ存在する自分が、ここにいる。
生き抜くことが目標だったあの頃の緊迫感を失った自分、『 生 』 への執着を欠いた自分が。

誰かを守ることが無意味だと断言するつもりは阿南にはない。
それはマセナリィも同じことだ。雇い主が 『 国 』 か 『 個人 』 かの違いに過ぎない。
そんなことは阿南にも判っていた。

ただ。

以前自分がいたのは、
自らが戦い、生き残ることが勝利につながる、ある意味シンプルで明瞭な世界だった。

今は違う。
敗北はないが、勝利もない。

ガードするべき対象を守り抜くことが勝利なのだ、と言えないこともない。
だが、そこには自分が生きている実感が皆無である。

結局、自分は血に餓えた、ただの争乱バカなのだろう。

阿南の結論はいつも諦めに近い形でそこに落ち着くのだ。



→ ACT 3-3 へ

プロフィール
HN:
J. MOON
性別:
女性
自己紹介:
本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
最新コメント
承認制なので表示されるまでちょっと時間がかかります。(スパムコメント防止のため)
[02/07 名無権兵衛]
[06/20 ななしのごんべ]
[05/14 ヒロ]
[04/19 ヒロ]
[11/06 ヒロ]
いろいろ
ブログパーツやらいろいろ。
※PC環境によっては、うまく表示されない場合があります。


●名言とか





●ブクログ





●大きく育てよ、MY TREE。



●忍者ツール



ランキング参加中
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
月毎の記事はこちら
ブログ内検索
携帯版バーコード
RSS
Copyright © 日々是想日 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]