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蝶になった夢を見るのは私か それとも 蝶の夢の中にいるのが私なのか 夢はうつつ うつつは夢


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那音の言葉に、J は眉をひそめる。

「だって実際、何もしてないんじゃないの、あんた?
会社に顔も出してないって言うからさ」

「ちっちっち」 那音は指を立てて左右に振ってみせる。
「それじゃ、俺がただの給料ドロボーみたいじゃねえか」

「みたい、じゃなくて、その通りだ、と言ってるんですケド」

「あのな、フウノ。いくら俺が麻与香の血縁者だからって、
ハコムラがタダで俺なんかに 『専務』 なんて大層な地位をくれるわけないだろう?」

「そうなの?」 J は作り物ではない驚きの表情を浮かべた。
「そんなモンだと思ってた」

「違うって。ハコムラは聖のワン・マン組織ではあるけど、
決して同族で結びついたシステムじゃない。身内には結構シビアだぜ」

「じゃあ、あんたの仕事って何なのさ」

「それはヒ・ミ・ツ」

妙に子供めいた仕草で那音は自分の口にチャックをする仕草をしてみせた。
こういうワザとらしいところが、いちいち J のカンに触る。

「この大仰な部屋の中だけが仕事場じゃないんだぜ、フウノ。
誰にだって仕事の向き不向きはあるだろう?
今俺がやってることは、とっても俺に向いている仕事……とだけ言っておこうかな。
ホントはフウノになら全部話してもいいんだけど、
いろいろウルサイことを言う奴もいるんでね。そこはナイショ」

「……成程」 ようやく J が納得した表情を浮かべる。
「要するに、表沙汰にならないようなトコロでいろいろ画策しているってワケね」

「まあ、そんなところ」

那音の返事とともに、いったん途切れた会話の隙を見て、
J は煙草を取り出して火をつけた。
細く不安定な煙は、今の J の心境そのものだ。
邪魔な風に煽られて、行き着く先さえ不確かでふらふらと宙を漂い、散っていく。

短い沈黙の陰でしばらく何事かを考えていた J は、再び口を開いた。

「あたしに協力したい、なんて急に言い出したのも、
その辺りの事情が絡んでる……と考えればいいのかな?」

「そう言うコト」 つられたように那音も煙草の箱を取り出す。
「そんな警戒心モロ出しのカオすんなよ。
俺について来た、ってことは、フウノの方も何か情報が欲しいんだろ?」

「……」

那音の言葉に図星を指された J だが、口に出して認めるのも癪なので黙っている。
しかし、那音はそれを見透かしたようだった。

「どうせ大して情報つかんでないんだろうし、
ここは俺の提案に乗っかった方がいいんじゃないの?
少しは近道になると思うぜ」

「あんたの情報が、どの程度のモノなのか……それ次第かな」

慎重が過ぎるかもしれない、と思いながらも、J は用心深く答えた。

那音の持ちネタが、こちらのプラスになれば良し、
そうでなければ切り捨てるだけだが、
一度聞いてしまえば後に引けなくなるようなヤバイ情報では困るのだ。
これまでの J の経験からすると、
そういう場合は大概において、面倒な揉め事に巻き込まれることになる。

「それに」 J は言葉を継いだ。
「どうせ明日は主席秘書の狭間に会うことになってる。
その時に聞けるような話なら、今わざわざあんたから聞く必要はないからね」

「狭間が全てを話すワケがない。賭けてもいいぜ」 那音がニヤリと笑う。
「あいつにだって触れてほしくない話の一つや二つ、あるに決まってる」

「それを、あんたが話してくれんの? たとえば、どんな?」

「そうだな、たとえば……」 勿体ぶったように那音が煙を吐く。
「ハコムラ・ケミカル・アンド・サイエンスって会社、知ってるか?」



→ ACT 4-21 へ

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今日は音楽堂で開催されたコンサート
「金澤ジャズスクエア2008」に行ってきました。

ジャズについては、一時期ちょっとだけハマったことがあるけど、
ものすごく好き、というわけではありません。
ただ、今回のコンサートでは
ニューヨークから黒人のジャズ・ボーカルがやってくるとのことだったので、
これは是非、ナマで聞かねば! と思ったワケでして。

今回の出演ユニットは2組。
1組めは、日本ジャズ界の重鎮(と、チラシに書いてあった)、
4人組の「鈴木良雄 BASS TALK」。
最近のジャズ事情に無縁な私は、どの人も知らなかったのですが、
メンバーがベース、ピアノ、パーカッション……そして、あと一人が、フルート演奏者。

ジャズにフルート?
と思っていたら。

演奏曲を聴くと、ジャズというよりは
ナンと言えばいいんでしょう、質のよい室内音楽を聴いている感じ。

私の中でジャズといえば、
アメリカ南部ディキシーランド系の華やかなビッグバンドか、
都会のクールなモダンジャズのイメージしかないんですが、
そのどちらにも当てはまらない。

ソフトでやさしく、しかもファンタジック。
フルートが入っていたせいでしょうか。とにかく耳に心地いい。
でも、盛り上げるところは盛り上がり、つい身体が動いてしまう。

ああいうジャズは初体験でした。
思わず、入り口で売ってた CD を買っちゃおうかな、と思ったほど。
(買わなかったんですけど)


そして、2組め。
「井上智トリオ」feat.マリオン・カウィングス。
NY からのボーカル登場です。

やっぱり、黒人の声はいい。
まるで、歌うために生まれてきたかのような。

黒人の声って、私の耳にはちょっとこもったように聞こえるんですけど
伸びる時には、ものすんごく伸びるし、
囁くように歌う時には、こもっているトーンがイイ感じで響くし。

何かの本で(マンガだったかな)、
「黒人が歌えば、何でもソウルになるんだ」 というフレーズがありましたが
それを実感。実に、ソウルフルなチャーミングボイスでした。


ちなみに、観客の年齢層は、やはり高かった……。
若い連中もいましたが、半分以上は中高年、というところ。
おそらく、ジャズ喫茶世代の方々ですね。

私の前に座っていた白髪のおじいちゃん(推定年齢70歳半ば)は
会場の中で一番ノッていたんじゃないでしょうか。
イイ感じのタイミングで 「イェイ!」 という掛け声も堂に入ったもので、
曲の終わりには一人でスタンディング・オベーション。
きっと昔はジャズ喫茶でブイブイ言わせていたんだろうなあ……などと
勝手な想像をしつつ。


ジャズに限らず、コンサートは久しぶりだったので
むっちゃ楽しかった。

来週は、小幡亨のパーカッション・ライブに行く予定。
これも楽しみです。


旅行やら、コンサートやら、最近遊んでばかりだなあ。

ま、いっか?

「……この部屋が一度でも使われたコト、あるのかね」

人の存在感を全く感じさせない部屋を見回しながら
J は感じた通りのことを率直に口にした。

「うーん、考えてみたら、ないかもしんねぇ」 那音はついと机の上を指でなぞった。
「でも、ちゃんと掃除はしてくれてるみたいだ。
俺、滅多にここに来ないんだよ。来なきゃならないような用も特にねぇし」

「仮にも一企業の専務の言葉かい、それが」

「そういう専務が一人ぐらいいたところで、ハコムラは不動だぜ」

「それ、あんたが会社に居ようが居まいが、
ハコムラには全く支障ない、って聞こえるけど」

「そう言ってるのさ。俺だって自分を知ってる。
表立ってハコムラを動かそう、なんて大それたことは考えてないし、
そんなことが出来るとも思ってねぇよ。所詮、その程度の男だよ、俺は」

「……殊勝なことを」 那音の言葉を信じた様子もなく、J が冷たく言い放つ。
「でも確かに、あんたみたいなチンピラ風情に入り浸られたら、
会社の方が迷惑するかもね。いくら麻与香の親戚筋とはいえ」

「そういうこと。分かってるじゃん、フウノ。俺がいなくてもノー・プロブレムってヤツさ。
それに、どうせ会社を支えているのは役員じゃない。底辺で働く人間達だぜ」

「……『その程度の男』 なクセに、殴りたくなるほど上から目線だな、お前」

「だって、事実だろ」

「……成り上がりめ」

J は蔑むような視線を那音に向け、短く言葉を吐き捨てた。
それに応えるように、那音が性悪な笑みを浮かべる。

お飾り人形に過ぎない 『専務』 呼ばわりされて喜んでいる、
お手軽といえばお手軽な男。

それが那音に対する J の認識だった。
しかし、どうやらこの男は、J が思うよりも冷ややかな目で自分や世の中を見ているようだ。
それでいて那音の言葉の端々には、時折、どこかしら腹黒い感情が浮き上がる。
今までの会話の中でも、その兆しを J は感じていた。

『働くのが生き甲斐』 というタイプの男では、決してない。
かといって、見返りさえあればそれで満足だ、というふうにも思えない。
ハコムラを動かす度量などない、と言い切りながらも
何かを企んでいるかのような狡猾さが見え隠れしている。

那音に関して J が得たわずかな見識は、
逆に那音本人を不可解な人物に仕立て上げていた。


那音に進められるままにソファに身を沈めた J は
目の前のテーブルに置かれた灰皿が大理石製であることに気づいた。
よくよく見てみれば、テーブル、机、絨毯、壁紙に至るまで、
あらゆる内装品が、恐らくは J など手が出ない程の高級素材を使用している。
つい先日 J が訪れた笥村聖の本宅がそうであったように。

「こんなに金をかけた部屋まで用意されていながら、
働く素振りも見せないで毎日暮らしていけるとは、ホントいい身分だよね。
あくせく日銭を稼いでいる自分がイヤになる」

差し向かいに席を占めた那音に、半ば本心から J は言った。
もっとも、そんな生き方を選んだのは自分自身であることをJはよく知っていた。
だが那音を見ていると、愚痴の一つも言いたくなってしまう。

しかし、意外だったのは J の言葉に対する那音の返答だった。

「フウノ……いくら大雑把な世の中とはいえ、
何もしないのに金だけ入ってくる、なーんて都合のいい話、本気であると思ってんのか?」

だらしなく足を広げ、優雅さとは無縁のポーズで
ソファの背もたれに体重を預けた那音は、意味ありげな視線を J に注いだ。
その顔には、先程ちらりとこの男が見せた食えない表情が浮かんでいる。



→ ACT 4-20 へ

エレベータ・ルームの出口には、
二重になったドアが金属的な光を放って行く手を遮っている。
頑ななドアを開けて中へ入るには、やはり那音の AZ が必要なようだ。

「ここから上の階は重役オンリーってやつだよ」 J の表情に気づいた那音が説明する。
「俺の部屋もこのフロアにある。
一般人でここまで入ったのは、もしかしたらフウノが初めてかもな」

「それは光栄なことで」

ドアの横に貼り付いている認識装置に、那音が AZ をかざす。

PiPiPi……

小さな電子音がさえずるように答え、やがて頭上のスピーカーから声が聞こえてきた。

『認識シマシタ。ゴ苦労様デス、トリガイ専務。オ通リ下サイ』

同時に目の前のドアが開いていく。

「サンキュ」

誰に向かってか知らないが、那音は軽くウィンクしてみせる。
3回めのセキュリティ・チェックを経て、
ようやく2人はフロア内に足を踏み入れることができた。

「あんたが 『専務』 とはねえ……」
誘われるままに那音の後ろを歩く J は、驚きの中に皮肉を込めて呟いた。
「ある意味、すごい。ハコムラも思い切ったコト、するんだな」

「それ、どういう意味だよ」

「そういう意味だよ」

一介のロクデナシに与えられるにしては破格の地位である。
しかも、こんな男のために部屋まで用意してやるとは。
そんなムダ金が余っているなら、少しは社会全体に還元してもらいたいものだ、と
持てる者に対するいつもの反感が J の中で少しばかり頭をもたげてくる。
J は辛うじてそのマイナス感情押さえつけた。

仮にも専務と呼ばれる男の部屋があるフロアにしては、
エレベータを降りて以降のセキュリティがシンプル過ぎる点が J には気になった。
那音名義の AZ さえ持っていれば、本人がいなくとも容易に侵入できるだろう。

それとも、この階に関しては特に守らなくてはならない重要性がないということか。
その判断も J には納得できる気がした。
何といっても、この男が出入りするようなフロアなのだから。

しかし、J はすぐに自分の考えを改めた。
今、2人が歩いている廊下にも、
一見したところ、監視カメラの類などは設置されていない。
しかし、まるでビス跡のように壁に光る小さな丸い穴は、
巧妙に隠されたレンズであることを J は見て取った。
それらは2人の一挙一動を冷たく見つめている。
少しでも不穏な行動があれば、すぐにでも保安部隊が飛び込んでくるのだろう。

このビル内に秘密裏に侵入する予定は今のところないが、
もしその必要に迫られたなら、大層苦労することになりそうだ。


「ここが、俺の部屋」

唐突に立ち止まった那音が廊下に面したドアの一つを指差し、開閉のスイッチを押した。

そこはオフィスというよりもプライベート・ルーム的な一室だった。
J が想像していたよりも小奇麗な、というよりは殺風景な印象を見る者に抱かせる。

入口と向き合った壁は一面窓ガラスで覆われ、下界の様子を窺うことができる。
その窓をバックに木製の机が座を占め、一応の重役室らしさを醸し出していた。
部屋の中心には、本革のソファとローテーブル。
壁際には、金属製のシンプルな書類棚があり、幾つかのファイルが立てかけられている。

しかし、それ以外に、目につくような仕事道具は何もない。
そのことが、部屋の主が不在がちであることを雄弁に物語っていた。
雑然とした J のオフィスとは大違いである。



→ ACT 4-19 へ

ドアが閉まってエレベータが動き出す。
緩慢な浮遊感が与える不快さに、J は眉をひそめた。
三方を囲むガラスの向こうでは、
エレベータが上へと移動するにつれてコンクリートの壁が下へ下へと向かっている。

「……階段の方がいいのに」

狭苦しい空間を嫌う J が、ぽつりと洩らす。
しかし、那音は鼻で笑った。

「78階まで? 日が暮れるぜ」

「……」

傍らの電光掲示に浮き出ている 『78』 というデジタルな数字を確認し、
J はため息をついた。
100近い階層を持つビルディングである。
78階というのが、恐らく重役専用のフロアなのだろう。

「まったく、『バカ』 と 『何とか』 は……」

すぐ高いところに昇りたがる。
小声で呟いた J の言葉は、今度は那音の耳に入らなかったようだ。
車の中と同様に、ここでも那音の問わず語りが始まっていた。
勿論、J も先程と同様に相手にしていなかったが。


エレベータはゆっくりと重力に逆らって上へと動いていく。
やがて地下を抜け、透明な円柱ボックスの周囲に外の光景が現れてきた。
数分ぶりの自然光は、J の気分を幾らか落ち着かせた。
そのまま更に上階を目指す。

閉ざされた空間の中、J は次第に足元よりも低くなっていく街の様子を眺めていた。
人が、車が、建物が、少しずつ街の中に溶け込んでいき、
やがて一体化して見えなくなる。

まるで化学の分子構造を見ているようだ。
J の頭の中に、遥か昔にジュニア・ハイで学んだ授業がふと甦る。
気の遠くなるほど小さい粒子が集まって形成される、一つの物質。
街も同じなのだ。
『街』 は最初から存在するのではない。突然生まれるわけでもない。
そこに生活する人、行き交う車の群れ、立ち並ぶビルの林……。
そういった様々な物質から構成されたものが、『街』 という曖昧な観念になっている。

見下ろす景色の中で、とりわけぼんやりと靄がかかっている区画。

あれは自分の棲息するダウンエリアの辺りだろうか。
住民の心境そのままにグレイに霞んでいる。
そう見えるのは、自分の錯覚なのだろうか。
虚しさとも鬱気ともつかない複雑な感情が、J の心に連なって襲い掛かる。

『街』 を基準にして考えれば、
人間一人一人の考えや行動など、取るに足らない些細なものだろう。
個の中の個。集団の中の個。
しかし、どんなに微少であっても、確かにヒトは存在している。

エレベータは既に遥か高い位置まで2人を運んでいた。
眼下に広がる街絵図。
ここからは見分けもつかないが、人間たちは今も地上に張り付いて蠢いている。
地上だけではない。
そびえる建造物、走り過ぎる車、どの一つ一つの中にも人間が溢れているのだ。

ヒトの集合体。一つの 『街』 から 『国』 へ。
K-Z シティ、ニホン、そしてアース……。
取り止めもなくマクロに拡大していく視点の中で、
蟻のように地面を動き回る膨大な数の人間の姿を想像した J は、
思わず吐き気がしそうになり、急いで目を閉じた。

エレベータの機械的な速度が、J の感覚を震わせる。
少し酔ったのかもしれない。
このまま上へ上へと昇り続けると、そのうちに天国まで辿り着いてしまうのでないか。
そんな錯覚すら覚えてしまう。
閉ざした瞼の裏で外の明るさを感じながら、J は目的の階への到着を待ち望んだ。


ようやく J の足元で速度が緩やかになり、
78階に到達したことを知らせる硬質な電子音とともにエレベータが止まる。
無機質に開くドアから出て行く那音の後を、少し青褪めた顔色の J が追う。
フロアの床を踏んだ瞬間、ちらりと背後を振り向いた J の目には、
透明な筒の向こう側、その遥か下方で地上が蠢いているような気がした。
ドアが閉まって視界が閉ざされた時、奇妙な安堵感が J の胸中に広がった。



→ ACT 4-18 へ

HAKOMURA BUSINESS CONCERN、略称 HBC。
ハコムラ・コンツエルンの総本山。

見る人を圧倒する、まるで要塞のような印象の建造物。
正面の入り口を中心線として、嫌味なぐらいに左右対称のその建物は、
鉛色の空に突き刺さるかのようにそびえ立っている。

その尊大な外観は、太古の神話に登場する伝説の塔をふと J に思い出させた。

傲慢な人間の王は自分の力を示すために、
天にも届けと言わんばかりの巨大な塔を建てた。
当然、神はそれを許さなかった。
神は、塔を建てた人々の言葉を混乱させ、人々は混乱したまま各地へ散った。
その結果、世界には多くの民族と多くの言語が溢れ返った……。


この世界を見よ。
絶対的存在が人間達の頭上から世の中を見て嘲笑っているような。
J にはそんな気がした。

今、この世界はどうなのだろう。
溢れていた民族は、『大災厄』 とそれに続く争いを経て、数百年の間に人口を激減させた。
現在地上に残っているのは、かつて大都市と呼ばれていた地の残像。
今や人類は伝説の時代以上の混乱をきたしている。
移民や流出により、民族の血統は各地に散らばって混ざり合い、
生粋はごく稀少な存在となった。

そんな現代の混沌の中、
笥村聖は新たなバベルの塔を打ち建てて、世界の王を気取っている。
今、J の目の前にある光景は、ハコムラの傲慢さの象徴以外の何物でもない。


「駐車場に入れるから、もうしばらく大人しくしててくれよな、フウノ」

那音の声が J の物思いを破る。

やれやれ、ようやくこの車から解放される。
目の前の建物の尊大さはひとまず置くとして、J は心底救われた思いだった。
あの運転で無傷のままここまで来ることができたのが不思議である。
運だけはいい男のようだ。

さすがの那音も、HBC の敷地内では慎重にハンドルを操っていた。
建物の脇に、地下へと続く通路があり、銀色の遮断機が通り道をふさいでいる。
それが駐車場への入り口らしい。

ゲート横に車をつけた那音は、背広の内ポケットから AZ を取り出し、
傍らにある鉛色の機械にかざしてみせた。
那音のIDを読み取ったゲートが、緩慢な速度で遮断機を上げる。

車はグルグルと螺旋を描きながら地下へと続く走路を進んだ。
狭く、遠近感を狂わせるような薄暗さに J は息苦しさを覚える。
外の景色が見えない閉ざされた空間や、地面の下を行く圧迫感が苦手なのだ。


やがて、コンクリートで四方を囲まれた、だだっ広い駐車空間が現われる。
那音は派手なタイヤの摩擦音を鳴らしながら急停止した。
所定の駐車位置からかなりずれているが、那音は気にしていないようだ。
いつものことなのだろう。

駐車場内には車がほとんどなかった。
広さに反する寒々しさが J に今日が休日であることを思い出させる。
ハコムラにも休みがあるのか、と奇妙な感慨を J は覚えた。
世の中を動かす歯車にも、油を差すための運転停止日は必要らしい。

車を降りて、地上へのエレベータに向かって歩き出した那音の後を J が追う。

「部外者が勝手に入っていいモンなのか?」

独り言めいた J の台詞に、那音は事も無げな表情を返す。

「役員が同行すれば OK なんだよ。ちゃんとアレがチェックしてる」

那音が 『アレ』 と指差したエレベータ手前の頭上には、
アーチ型金属バーが鈍い光を放っていた。

非接触型の AZ 認識システム。
AZ 所持者はエレベータに乗る前にこのアーチをくぐることで、
勝手に AZ が電波スキャニングされ、ID が認識される。
ハコムラ関係者の ID がなければ、エレベータは稼動しない仕組みなのだろう。
駐車場の入り口と合わせてのダブルチェックは、さすがにセキュリティの厳重さを感じさせる。

控えめな電子音とともに、エレベータが2人の目の前で開く。
ガラス張りの狭い円筒形の箱に乗り込んだ那音が、J を促した。



→ ACT 4-17 へ

プロフィール
HN:
J. MOON
性別:
女性
自己紹介:
本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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