「……この部屋が一度でも使われたコト、あるのかね」
人の存在感を全く感じさせない部屋を見回しながら
J は感じた通りのことを率直に口にした。
「うーん、考えてみたら、ないかもしんねぇ」 那音はついと机の上を指でなぞった。
「でも、ちゃんと掃除はしてくれてるみたいだ。
俺、滅多にここに来ないんだよ。来なきゃならないような用も特にねぇし」
「仮にも一企業の専務の言葉かい、それが」
「そういう専務が一人ぐらいいたところで、ハコムラは不動だぜ」
「それ、あんたが会社に居ようが居まいが、
ハコムラには全く支障ない、って聞こえるけど」
「そう言ってるのさ。俺だって自分を知ってる。
表立ってハコムラを動かそう、なんて大それたことは考えてないし、
そんなことが出来るとも思ってねぇよ。所詮、その程度の男だよ、俺は」
「……殊勝なことを」 那音の言葉を信じた様子もなく、J が冷たく言い放つ。
「でも確かに、あんたみたいなチンピラ風情に入り浸られたら、
会社の方が迷惑するかもね。いくら麻与香の親戚筋とはいえ」
「そういうこと。分かってるじゃん、フウノ。俺がいなくてもノー・プロブレムってヤツさ。
それに、どうせ会社を支えているのは役員じゃない。底辺で働く人間達だぜ」
「……『その程度の男』 なクセに、殴りたくなるほど上から目線だな、お前」
「だって、事実だろ」
「……成り上がりめ」
J は蔑むような視線を那音に向け、短く言葉を吐き捨てた。
それに応えるように、那音が性悪な笑みを浮かべる。
お飾り人形に過ぎない 『専務』 呼ばわりされて喜んでいる、
お手軽といえばお手軽な男。
それが那音に対する J の認識だった。
しかし、どうやらこの男は、J が思うよりも冷ややかな目で自分や世の中を見ているようだ。
それでいて那音の言葉の端々には、時折、どこかしら腹黒い感情が浮き上がる。
今までの会話の中でも、その兆しを J は感じていた。
『働くのが生き甲斐』 というタイプの男では、決してない。
かといって、見返りさえあればそれで満足だ、というふうにも思えない。
ハコムラを動かす度量などない、と言い切りながらも
何かを企んでいるかのような狡猾さが見え隠れしている。
那音に関して J が得たわずかな見識は、
逆に那音本人を不可解な人物に仕立て上げていた。
那音に進められるままにソファに身を沈めた J は
目の前のテーブルに置かれた灰皿が大理石製であることに気づいた。
よくよく見てみれば、テーブル、机、絨毯、壁紙に至るまで、
あらゆる内装品が、恐らくは J など手が出ない程の高級素材を使用している。
つい先日 J が訪れた笥村聖の本宅がそうであったように。
「こんなに金をかけた部屋まで用意されていながら、
働く素振りも見せないで毎日暮らしていけるとは、ホントいい身分だよね。
あくせく日銭を稼いでいる自分がイヤになる」
差し向かいに席を占めた那音に、半ば本心から J は言った。
もっとも、そんな生き方を選んだのは自分自身であることをJはよく知っていた。
だが那音を見ていると、愚痴の一つも言いたくなってしまう。
しかし、意外だったのは J の言葉に対する那音の返答だった。
「フウノ……いくら大雑把な世の中とはいえ、
何もしないのに金だけ入ってくる、なーんて都合のいい話、本気であると思ってんのか?」
だらしなく足を広げ、優雅さとは無縁のポーズで
ソファの背もたれに体重を預けた那音は、意味ありげな視線を J に注いだ。
その顔には、先程ちらりとこの男が見せた食えない表情が浮かんでいる。
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