「ケミカル・アンド・サイエンス?」
「『C&S -シー・アンド・エス-』 っていう通り名の方が判りやすいかもな」
「……ああ、あれか」
その名は J の耳にも聞き覚えがあった。
ハコムラ・コンツェルンの医薬部門として作られた研究施設である。
新薬や医療器具の開発・販売などを手がけていて、
つい最近では、進行性疾患の新療法を開発したとか何とか、
そんな記事を J はデイリーペーパーで読んだことがあった。
系列会社といえども、コンツェルンの中ではそこそこ大きな規模を持つらしい。
「で? その C&Sが何だっつーの?」
「これはウワサなんだが……」 那音が声をひそめる。
「笥村聖が直々に、その C&S を密かに内部調査させていたらしいんだよ」
「内部調査? 査察ってこと?」
「いやいや、そんな穏便なモンじゃないらしい。
どちらかというと、不正疑惑がらみってヤツ」
「不正?」 不穏なキーワードに、J の関心がぴくりと動く。
「那音、その辺りを、も少し詳しく」
那音から聞き出した話は、次のような内容だった。
ハコムラ・コンツェルンでは、前期決算の利益の中から
傘下各企業に開発用の予算が割り当てられてることになっている。
その金額は、各社からの申請額を基に検討され、
最終的には役員会において認可・非認可の判断を受けることになる。
勿論、C&S も例外ではない。
しかし、今年に入って開催された役員会において、
当の予算案についてのささやかな議論が交わされた。
C&S から提出された予算申請が、
役員達の予想外に巨額であったことが原因である。
「何しろ、他社とは桁違いなんだよ」 那音が説明する。
「ウン十億って金だぜ? そんな金額を、よくもまあ提示できたもんだ。
何を開発するつもりなのかは知らないが、
さすがの俺も、C&S って度胸があるのかバカなのか、分からなかったね」
元々C&S は、資金面においてはコンツェルン内部で優遇されている機関らしく、
先年までは、かなりの開発費を分配されていたため、
他の会社から反感を買うこともあったのだ、と那音は付け加えた。
しかし、今年度の巨大な申請額においては、さすがに役員達を鼻白ませた。
結局、C&S 側の申請は却下され、前年と同額の配分に収まった。
「問題は、その後だ」 興が乗ってきたように、那音が身を乗り出す。
「毎月報告される C&S の売上額が、少しずつ落ち始めたんだよ。
悪い時には、前年比マイナスなんてこともあってな」
「たまたま景気が悪かったんじゃないの?」
「他の会社の売上が順調に延びてんのに?
上から下まで関係会社がガッツリ結びついてる組織の中で、
そこだけ落ち込むなんて、あり得ない話なんだよ」
そういうものなのか、と
ハコムラの経営状態にさっぱり関心がない J は思ったものだが、
当時のコンツェルン内部では、C&S の売上減はかなり問題になったらしい。
「そんなことが続くうちに、いつの頃からか
まことしやかなウワサが流れ始めたんだよ」
「ウワサ?」 J は尋ねた。「どんな」
「C&S が売上をちょろまかして、
却下された開発予算の不足分に当てているんじゃないか……ってね」
「……分かりやすいウワサだな」
「そうなんだよ、いかにもありそうな、って感じだろ?
元々、C&S はコンツェルン内部でも余り良く思われていなかったから
いつの間にか、そのウワサに尾ひれがついちまってさ。
あることないことが広まって、
一時期はちょっとした季節のご挨拶ぐらいに話題になったんだよな、これが」
そして、当然それはコンツェルン総帥の聖の耳にも入ってしまった。
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