運転の得手・不得手を語るよりも、
問題なのは、那音が一般道路の交通規制をほとんど無視しているところにある。
赤信号なのに勝負を賭けて突っ切ろうとする。
道路を渡ろうとしている通行人の姿も目に入っていない。
目の前を過ぎる人の姿に、
「バッカヤロー、何処見て歩いてんだっ」
と怒鳴りつけることはしょっちゅうなのだが、
どう考えても赤信号で止まるべきなのは那音の車の方なのだ。
「バカヤローはお前だ! このロクデナシ!」
運転席で前後左右に揺さぶられながら、堪りかねて J は隣の男を怒鳴りつけた。
数年ぶりに車酔いしそうな不快感がこみ上げてくる。
「ここがダウンエリアの路地だったら、ゼッタイお前、何人か轢き殺してるぞ!
このヘタクソ、ヘタクソ、ヘタクソ!」
「そんなに連呼すんなよ。
女に 『ヘタクソ』 なんて言われると、違うコト言われてるみたいでヘコむじゃん」
「くだらないこと言ってるんじゃない! 前見ろ、前!」
車は、道を横切ろうとした中年の女の脇を辛うじてすり抜ける。
サイドミラーに写った女が何か叫んでいるのを横目で見ながら、
J は心の中で固く誓った。
この先二度と那音の運転する車の助手席には乗らない。ゼッタイ。
やがて、交通量がそれほどでもない道に出たせいか、
那音の車の扱いも少しはスムーズになったようだ。
それでも時々シートの上で、予告もなくガクンと飛び上がる時はあったが。
当の運転者は、機嫌よくマシンガン・トークを続けている。
しかし J の方は、那音の話の10分の1も耳に入っていたかどうか。
どうやら話題は自分の愛車のことらしい。
この色は今年の限定だから、なかなか手に入らない、とか。
AZ を装着させて、GPS と連動したナビが可能だ、とか。
そういえば昔からこの男は車に金をかけていた、と J は思い出す。
運転が下手な割には、やたらといい車に乗りたがるのだ。
道楽者を地でいく那音には、常に俗物のイメージが付きまとっている。
車に興味のない J にとっては、
那音の言葉は質の悪い BGM のように耳をすり抜けていくだけだった。
しかし、自分の話が無視されていることも那音は気にしていない。
ただ、ただ話し続ける。
こいつは麻与香と同じだ、と J は思った。
会話を求めているのではない。自分が話したいだけなのだ。
血による結びつきなどない筈なのに、つくづく似ている叔父と姪。
鬱陶しさが J の胸中にじわりと広がっていく。
気分を紛らわせるように、J は窓の外に目を向けた。
車の速度に合わせて流れては消えていく街の景色が、
次第にモノトーンからカラーの波へと移り変わっていく。
時折目にする巨大な看板で、
J は自分達がセンターエリアとダウンエリアの境界にある
繁華街ブロックに差し掛かったことを知った。
道路の両側にびっしりと立ち並ぶ小振りの建物は、夜になれば毒を吐くような色彩に覆われる。
そして、疲れた顔の準センター族(真性センター族はこんな場末に現われない)や
成金の類(真性の資産者も同様である)がぞろぞろと現われて
ひとときの歓楽と引き換えに金を落としていくのだ。
ダウンエリアにはないその喧騒と艶やかさは、この辺り特有のものだ。
正午近いこの時間には、さすがに大人しい風情を保っているが、
それでも行き過ぎる人の数は、ダウンエリアとは比べ物にならない。
夜の徘徊を趣味とする J ではあるが、
この辺りまで足を伸ばしたことはほとんどない。むしろ、避けている。
日が落ちた後にこの界隈が見せる虚栄と煩雑は、
ダウナーズの J を、ただ、ただ疲れさせるだけだった。
やがて、その繁華街も通り抜けると、街の色は劇的なまでに変化する。
華やかでけばけばしいビルボードから、四角い巨大な金属の群れへ。
企業が争うように建てたビル街が現われ、センターエリアの中心部が近付いてきたことを告げる。
突然、大仰なブレーキングの反動が J を襲う。
軽い減速の G で再びシートに身体を押し付けられた J は
隣の那音をジロリと睨み、改めて窓の外に視線を向けた。
J の目の前に無機質で巨大な灰色のビルがそびえていた。
ビル街の中心に、王座のように場を占めるハコムラの本社。
ハコムラ・ビジネス・コンサーンである。
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