ファンタジーを書きながら、いつも思うことは
物語世界の中に、どれだけ現実世界の「当たり前」を取り入れるか、ということ。
『水晶物語』については、
あまり細かいことまでこだわらず、既存の知識を使って書いていますが
空想した物語であれば
現実世界とはまったく違う尺度で成り立っている世界観もあり得ます。
登場するのは、必ずしも私達と同じ形態の人間でなくてもいいわけだし、
大きな視点になると、必ずしも空は青ではなく、太陽だってない世界もある。
どうしても、現実に自分が見たもの、聞いたものが土台になってしまうんですよね。
『水晶物語』についても、
何となく中世ヨーロッパ的な世界を舞台にしています。
そこには、人がいて、現実と同じく馬という生き物がいて、人は井戸で水を汲んだりしています。
朝起きて、歩いて、食べて、働いて、夜には眠る。それが当たり前。
呼吸するのが当たり前、人は家に住んでいるのが当たり前。
雨が降るのも、雪が降るのも、水が透明なのも当たり前。
でも、それって現実世界の延長にしか過ぎない……。
現実世界の中に、魔法とか、魔物とかを持ち込んでいるだけなのでは……。
それって「空想小説」「ファンタジー」と言えるの?
……というようなことを、一時期ほんとうに真剣に考えてしまい、
「空想って一体ナンなんだ?」と
書いているものすべてが嘘くさく見えて、書くのがイヤになったことがあります。
たとえば、ファンタジーをテーマにした映画を見ても
台詞が全部英語だ、というだけで
そこに現実くささをどうしても感じてしまう、という状態でした。
「指輪物語」にしたって、ホビットやオークが何でフツーに英語しゃべってんだよー、とか思ったり。
考えすぎだなあ、と自分でも思ってたんですけどね。
でも、じゃあ実際に本当に現実世界とはかけ離れた世界を表現するとしたら……
とんでもない作業になるでしょうね。
何しろ、一からその世界を作り上げなくてはならないんですから。
どんな生き物がいるのか、どんな生活をしているのか、どんな外見をしているのか、
どのようにその生き物が生まれたのか、生まれる前はどうだったのか……。
こういうことを、すべての物事、現象において考えなくてはならないとしたら
……気が遠くなります。
世界を作る、というのもある意味では楽しいですが、キリがありません。
現実世界の常識から100%逃れられるか、というと、それは無理だと思いますし。
そして、そこまでこだわって、いざ物語を作ろうとしても、
あらゆるシーンが気になって、書いていて楽しくないんです。
「違う、この世界の人たちは、こんなことしない!」とか思って。
一度やってみて、挫折しました。
で、最近は、もうこだわるのはやめました。
既存の世界、知識を使って物語を作ったっていいじゃないか、という心境に
ようやく落ち着きました。
今の自分にとっては、とにかく書き続けることが重要。
でも、いつかは書いて見たい……という気はしますけどね。
本当に空想の中でしかあり得ない、現実とはかけ離れた世界の物語というものも。