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蝶になった夢を見るのは私か それとも 蝶の夢の中にいるのが私なのか 夢はうつつ うつつは夢


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キャンパス内を颯爽と歩いていた麻与香の姿は今でも J の脳裏に焼き付いている。

特異な存在だった。
男の目を引くには充分すぎるほどの美貌を持つ女。
しかし、彼女自身は特定の相手を作ることもなく、取り巻きに囲まれるに任せていた。

女王様気取りだ、まるで。
ちやほやされて舞い上がっているだけの女。つまらない。
遠巻きに麻与香の姿を見る度に J は思ったものだ。

J は他人と一緒にいることが苦手で、単独行動を取ることが多かった。
それ故に麻与香の女王ぶりは、いっそう胡散臭く思えた。


ある時、J はさざめきながら構内を歩く麻与香の集団とすれ違った。
そのために、いつもより近くで彼女を観察する機会に恵まれた。
J 自身は特にその気もなく通り過ぎ、何気なく目を麻与香に向けた。

J はふと気が付いた。

まわりに群がる連中の浮かれた表情とは対称的に、麻与香の目は冷ややかだった。
長い睫に隠れた瞳に、疎ましげな色が浮かんでいるのが見えた。

その瞬間、麻与香も J を見た。
2人の目が合った。
麻与香は J を見つめた。

長い時間が経ったような気がした。
そして次の瞬間、麻与香は J に向かって婉然と微笑みかけたのだ。

麻与香の笑顔は、J の歩みを凍りつかせた。

鳥肌が立った。
何故かは分からない。
だが、本能的に、そして瞬時に J は悟った。

まるでクモのようだ。この麻与香という女。
その目だけで、蝶を絡めとるように人を捕まえる。

たった今、自分自身の足を竦ませたように。

J は視線を無理矢理麻与香から引き剥がし、足早にその場を去った。
背後に麻与香の目が突き刺さっているのが痛いほど感じられた。

あの女には極力近寄らないようにしようと、J は思った。
近付けば近付くほど、目に見えないクモの糸で身動きが取れなくなりそうな気がした。

しかし、J の決心はいともたやすく裏切られた。

翌日、J に言葉をかけてきたのは、麻与香の方だった。

「ねえ、フウノ」

麻与香は J に呼びかけた。
その翌日も、そしてその翌日も。
視線が合ったあの日を境に、麻与香は日を置かずに J に話しかけてくるようになったのだ。



→ ACT 2-15 へ

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そんな J の姿を見つめていた麻与香は、しばらく黙った後、再び口を開いた。

「それからね」

「まだ何か?」

早く帰れ、と言わないだけマシ、というくらい無愛想な声で J が一応答える。

「あたし、アンタのことを調べさせたって言ったけど、どうしても判らないことがあったのよ」

「ハコムラの力でも判らないことがこの世にあるとは思えないけど」

「それ皮肉? こっちの力にだって限度があるわ」

「そんなもんかね」

「フウノ」

麻与香が J を見つめた。

「アンタ、カレッジを出てこのオフィスに居着くまでの数年間、一体 『何処』 で 『何』 をしてたの?
その間のアンタの足取りが、さっぱり掴めなくってね」

J の動きが止まった。
ゆっくりと目を挙げて麻与香を見る。

その視線を麻与香が捕らえた時、初めて麻与香の表情から微笑みが一瞬だけ消えた。

立ち入ることを許さない不可侵の領域に麻与香は足を踏み入れようとし、
J の瞳は、それに対する警告に似た光を湛えていた。

J はすぐに目を煙草に戻し、何事もなかったかのように火を点けた。
ライターを手の平の中で器用に転がし、時折火を点けては消す動作を何度か繰り返す。

麻与香はしばらくの間 J を見つめていた。
自分の問いに J が答を与えるつもりがないのを見て取ると、再び背を向ける。
そして、ドアの向こうへと姿を消した。

麻与香が去った後、J は椅子から立ち上がろうともせず、煙草の紫煙に取り巻かれていた。
右手の薬指を飾るメッキの薄板を無意識のうちに親指で弾く。
J はいつまでもその動作を繰り返していた。

頭の中では、たった今姿を消した疫病神との思い出がまざまざと浮かび上がっていた。


     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


J が麻与香の名を初めて聞いたのは、カレッジ時代のことだった。

セントラル・カレッジは通常は22歳以上でないと入学を許されない。
そこに、ハイスクールから異例のスキップで進学してきた学生が、同時期に2人。
それが J と麻与香だった。

当時、15歳と17歳の入学生は必要以上にカレッジ内で騒がれて、J をかなりウンザリさせた。
だが、次第に注目されるバランスは麻与香の方へと傾いていった。
麻与香の常人離れした美貌は、その頭脳以上にカレッジの連中に影響を与えた訳である。

暗い緑の瞳に黒髪。
エキゾチックな風貌。
女神を模したかのような絶妙のプロポーション。

耶律麻与香を構成するほとんどの要素が、周囲の人々に魅惑をもたらすためだけにある。
そう錯覚させる女だった。



→ ACT 2-14 へ
「それにしても」

ドアノブに手をかけて、思い出したように麻与香は J を振り返った。

「こんなダウンエリアの片隅で、
その日暮らしでくすぶってるアンタの姿って、ナンか不思議だわ」

「別に不思議なことはないと思うけど。分相応ってヤツ」 

「あら、そうかしら?」

麻与香は妙に挑戦的な視線を J に送った。
J の胸の内に嫌な予感が走る。

「フウノ……あたし、調べさせたって言ったでしょ、アンタのこと。
で、いろいろ分かっちゃったのよね」 

「……何を」 

「ん? だから、いろいろ、よ」 

「麻与香、相変わらず回りくどいよ、言うことが」 

「だからね」

麻与香は、知らない人間から見れば極上の笑みを浮かべた。
J にとっては極悪な笑み。

「フウノ、アンタさ……センターエリアに大きな人脈、持ってるでしょ」 

「……」 

「だから、こんな事務所で生計を立てていく必要なんて、ないワケじゃない?
そこが不思議、って言ってるのよ」 

「……何が言いたいのさ」 

「んー、だからね、アンタの後ろにいる 『誰か』 さんのこととか……。
いろいろ知ってるってワケよ、あたし」 

「……」

J は麻与香を見た。
見られた相手は微笑みながら J を見返す。

J は手にしていた煙草を乱暴にもみ消した。

J は記憶の中にある 『笥村麻与香』 と名付けられたファイルのページをめくった。
そこにはカレッジ時代に得た様々な情報が無造作に書き記されている。
「不可解」
「パラノイア」
「魔性」
等々、好意的とはいえない単語の群れの中に、
今、新たに 「要警戒」 という言葉を加える必要があるらしい。

ハコムラの名を手に入れた時から、この世に溢れる情報のほぼ全てを手中にした女。
自分の事をどこまで調べたのか、J にとっては非常に気になるところであった。
知られても構わないこと、そして知られたくないことが、J の頭の中をぐるぐると駆け巡る。

麻与香の権力に思いを巡らせる J は、
目の前で艶然と足を組む女に油断のない目を向けた。

「そんなコワい顔しないで。嫌なこと言ったかしら」 

「……別に」

嫌がると分かってて言ったくせに。この女は。
J は不機嫌さを隠すつもりもなく、新しい煙草に火を点けた。
麻与香の方には目も向けない。



→ ACT 2-13 へ

「それで? その後は?」

J は先を促した。

「その後? その後は勿論バタバタよ。どうやら本当に行方知れずらしいって分かったから。
大変だったわよ。聖を探すと同時に、見つかるまでの対応も考えなきゃいけないし、
替え玉まで用意して。でも、あまり騒ぎ過ぎても世間の目を引くし。
水面下での大騒ぎ、ってところね」

さすがの麻与香もその当時は、今 J が目にしている涼しげな美貌を曇らせて、
愛してやまない夫のことで気を揉んでいたのだろうか。慌てふためいていたのだろうか。
J にはそんな麻与香の姿が想像できなかったが。

「それで、さっきもアンタに言った通り、聖を探すあらゆる手段を尽くしたつもりなんだけど……」

「見つからない、と」

「そう。で……」

「あたしのところに来た、と」

「そういうこと」

「……やっぱり、降りていい? この依頼」

「ダメ」

麻与香は悪戯を企てている子供のような表情を浮かべて J を見た。

「アンタに受けてもらいたい、って言ったでしょ」

「……」

メンドくさい。J の心の中では、正直な感想が渦巻いていた。
散々手を尽くした後に頼られても、どんな成果が挙げられるのか。
いや、それよりも、これだけ日数が経っているのに、失踪の手掛かりなど見つかるものだろうか。

第一、夫が消えた麻与香に対して、J は何の同情も沸き上がらなかった。
いつのことだったか、ダウンエリアの知人が青ざめた顔で、
いなくなった愛犬を探してくれと訴えてきた時は、よほど何とかしてやりたい、と思った J だったが、
今、目の前にいる女の表情は、慌てるでもなく、嘆くでもなく、平然と構えすぎて
どうしても J の反感を誘わずにはいられなかった。

胸中の投げやりな気分を口にこそ出さなかったが、表情にはありありと浮かべながら、
それでも J はさらに幾つか質問を投げかけた。

「うまく答えられるかどうか分からないけど」

そう言いながらも、麻与香はほとんんどの問いに素直に答えた。
時折脱線して、カレッジ時代の話に舞い戻ることもあったが、
J は忍耐を持ってそれを聞き流した。

尋ねるべきことをすべて確認し、
その中に手掛かりになりそうな事実が見当たらないことに落胆しつつ、J は質問を終えた。

麻与香が腹の内をすべてさらけ出しているとは思えなかったが、
今のところは、ここまででいいだろう。
聞き出した内容はともかく、麻与香と対面している時間を考えるなら、もう充分だ。
J は早速、美貌の疫病神を追い払いにかかった。

「とりあえず、今日はここまでだ。受けるかどうかは、また後で連絡するから」

「だから、アンタは絶対受けるわよ」

「……お引取りを」

「そうね。じゃあ、もう行くわ。連絡先はここにね」

麻与香は名刺を1枚机に置いてシガレット・ケースを仕舞い込むと、優雅な動作で立ち上がった。
オフィスを訪れた時と同じ歩調でドアへと向かう。

「こんな時でも会えて楽しかったわ。こんなことでもないと会えなかったでしょうけど」

どんなことがあっても会いたくなかった、と J は思う。
楽しかったと思ってるのは確実に麻与香だけである。



→ ACT 2-12 へ

「フウノ。あたしはあんたに頼みたいのよ」

麻与香の瞳の中には執着と懇願と挑戦が奇妙に同居していた。
西洋煙草の華奢な煙が J の視界をよぎる。

「……考えとく」

目の前で微笑む美しい厄病神の横っ面を張り倒したい。
そんな衝動を押さえて、J にはそう答えるのが精一杯だった。

「考えるなら前向きにね」

そう言いながら麻与香は再度バッグの中から白い封筒を取り出し、
無造作にテーブルの上に放った。

「依頼料とは別に、当座の経費にしてちょうだい」

触れてみなくても封筒の厚さから中身が知れる。
経費だけで、いつもは J には手の届かない上等なワインを箱買いできそうな額だ。

金払いのいい客はありがたい。だが、よすぎる客は要注意だ。
これは J の教訓である。

「金に関しては用意がいいね」

J は苦々しげに言った。

「さすがは天下のコンツェルンだ」

「アンタが金で動くとは思ってないけどね。一応、それなりの金額はあると思うわ」

「……」

実は、困ってる時なら迷わず金で動く J である。
そして、現状は、どちらかといえば困っている。
だが、麻与香の前では決してそんなことを口に出せず、J は複雑な表情を見せた。

「……金を用意してくるってことは、あんた、あたしが断るかも、なんて最初から考えてないだろう」

「あら、アンタの意志は尊重するわよ、一応ね。でも、アンタはきっと引き受けるわ」

「……」

「『慎重』 なアンタが考える気になったんだから OK したも同じよ。あたしにとってはね」

「……あたしの 『慎重さ』 が悪いクセなら、あんたの場合は 『根拠のない確信』 がそれだね」

「そうかもね。ふふ、あたし達、二人で両極端ね。今も昔も」

麻与香は他人事のように笑った。

その後、J は捜査を進めるために、さらにお決まりの質問を幾つか投げかけた。

「一応、亭主が消えた時の状況も聞いときたいんだけど」

「やっぱり受けてくれるのね」

「それは別。念のため聞くだけだから」

「慎重ね」

麻与香はまた笑った。

「どの程度まで話す?」

「話せる範囲で」

「OK。7月末、正確には7月29日。聖は傘下にある企業を視察に出ていたわ。
最近売り上げが落ちている企業が幾つかあって、まあ、その状況確認ってところね」

「視察に同行していたのは?」

「主席秘書の狭間と、他は役員が数人。
聖は大人数で動くのが嫌いだから、いつも4、5人ぐらいね」

「視察先は?」

「確か薬品会社とか……詳しくは聞いてないけど3社くらいあった筈」

「その3社には、ちゃんと顔を出してるんだね、あんたの亭主は」

「そう。連絡が取れなくなったのは、視察の後なの」

そして、その日の帰宅予定になっても姿を現さず、
以来、笥村聖は麻与香の言葉を借りれば 『消えて』 しまったのだという。

「でも、実はそんなに心配してなかったのよね、その日のうちは」

「何で」

「聖って、予定外にフラフラ歩き回ることが結構あるのよ。勿論お忍びでね」

「取り巻き泣かせだな」

「まあね。トップに立つ人間の行動としては誉められたものじゃないけど、
縛られるのが嫌いな人だから、気が向いたら一般人の格好に変装してよく出歩いてたわ。
そういう子供っぽいところがあるの、あの人。メディアに出るのは嫌いなくせにね」

「……」

現代のカリスマが、実は 『子供っぽい』 人間だった、という事実は
下世話な週刊誌のネタくらいには売れそうだが。
神秘性が囁かれる裏で、笥村聖という男は単に 『分別がない』 人間に過ぎないのかもしれない。
それを考えると、聖が麻与香と相性が良いというのも、何となく理解できる J である。



→ ACT 2-11 へ

「他に聞きたいことがなければ、あたしも聞くけど。受けてもらえるのかしら、この依頼」

「……」

すぐには J は答えなかった。

麻与香を信頼できる女だとはさらさら思ってはいない。
これまでの会話で一層その思いは深まった。

マトモな依頼じゃない。J は確信している。何かあるのは必至だ。

「気に入らない」

「どこが」

「ハコムラのヘッドが消えて何の動きもない世の中。
夫の不在に動じる様子も見せない妻。
ハコムラの名を出せば必要以上の捜査も厭わない諜報機関を無視して、
ダウンエリアのしがないオフィスを訪れた権力者。
……どう考えたってアヤシいことだらけだ。依頼を受けたが最後、ハマりそうな気がする」

「考え過ぎるのはアンタの昔からの悪い癖よ」

「慎重なタチでね」

J の言葉を無視して、麻与香は一目見て高価と判るバッグから小切手を取り出して机に置いた。

「現金で800万。勿論、イェンで」

「はっ……」 予想外の金額に、J は思わず絶句した。
「……ぴゃくまん……?」

J は目の前に置かれた薄っぺらな一枚の紙を凝視した。
価値だけなら J の事務所ビル全体の中で今のところ一番大きい。たかが紙切れの癖に。

ニホンの通貨であるイェンは、今や世界で最も信用のおける基準貨幣となっている。
金額も文句のつけようがない額だ。
文句どころか、普通なら 「引き受けた!」 と嬉々として即答してもおかしくない状況である。
普通なら。

だが、依頼人が。そして、依頼内容が。
そこが問題だった。

J は心の中で忙しなく計算機を叩いた。

先月から滞納している家賃が気にかかるが、
麻与香からの費用をそのまま当てれば、充分間に合う。
だが、麻与香の話には、どうも裏がありそうだ。
この女の腹の内に隠されているかもしれない秘密を推測すると、合計値はどうしてもマイナスになる。

「必要経費はその都度請求してちょうだい。
我が家への出入りは自由よ。家の者に言っておくわ。必要なら人手も貸すわよ。
それから、亭主の秘書長だった人間にも話はつけておくから。狭間(ハザマ)っていう男よ」

「……至れり尽くせりでヒジョーに有難いところだけれど、気に入らないのは変わりないねえ」

「フウノ」

突然、麻与香はカレッジ時代の J の呼び名を口にした。

あの頃と同じ調子で、厄介なことを頼むように、面倒を押し付けるように。
夜の街に誘い出す時のように。
歩いている後ろから声をかける時のように。
J の頭の中をフラッシュバックがよぎる。

『フウノ』 『フウノ』 と、何度呼び止められたことか。
何度無視したことか。それでも抗いきれずに、結局、何度振り返ったことか。

振り返ると、そこにはいつも麻与香の微笑みと宝石のような瞳が待っていた。
とびきり上等のブラック・サファイアのようなキツい目が。

何年もの時間をトリップして、今 J の前には当時と少しも変わらない麻与香の瞳があった。



→ ACT 2-10 へ

プロフィール
HN:
J. MOON
性別:
女性
自己紹介:
本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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