隣の部屋から聞こえる茶器の音に耳を傾けながら、シヴィはぽつりと言った。
「怖いものを怖いと言うてどこが悪いんじゃろな」
「円滑な人間関係を保つためには、正しいことであっても発言を控えた方が良い場合があるから」
「ほうほうほう」 サフィラの真面目ぶった答えに、シヴィがしたり顔で声を潜めて笑う。
「マティロウサの話では、お前さまも結構言いたいことを言う性分だとか。人間関係うんぬんに気を使うタイプだとは聞いておらなんだ」
「マティロウサはろくでもない事ばかりあなたに吹き込んだようだな」 サフィラは隣の部屋を睨んだ。
「他にはどんな憎まれ口を叩いていた、あの魔女殿は?」
「うーむ、そうじゃな。聞いた事といえば、お前さまが15の年に魔道騎士の位を手に入れたこと、そしてその優秀な騎士は実はこの国の世継ぎの、しかも王女の身分にあること、それから、近々その王女様の婚礼が行われる予定であること、その相手は隣国の第二王子とやら」
「第三」 不機嫌そうにサフィラが訂正する。
「ほいほい、第三王子。そして今、城では婚礼の準備がつつがなく執り行なわれている……。ま、こんなところじゃな」
「さすがマティロウサ、適確で無駄のない話。でも、それだけじゃないだろう」
「ふむ?」
「あの魔女殿のことだ。どうせ人のことを 『憎まれ口と減らず口と軽口しか知らなくて、年寄りに対する礼儀はおろか尊敬の念のかけらもない。人の話は聞かず、態度も生意気。第一、王女の身でありながら男の格好をして、剣を携え馬を駆り、城をこっそり抜け出しては勝手に城下を遊び歩く』 とか何とか言ったに決まってる」
「ほい、ご明察、ご明察。よくお分かりじゃな」
「いつも言われてることだから」
「ふむ。お前さんは」 笑いながら答えるサフィラをシヴィはじっと見つめた。
「マティロウサのことが好きなんじゃな」
突然の問いに戸惑ったサフィラは答えずに、開け放たれたままの扉にちらりと目をやった。
煮立った薬草茶の醸し出す鼻を突く香りに混じって、マティロウサが小さく呪文を唱えているのがとぎれがちに聞こえてくる。
旧き言葉。未だ土地も大気も若かった太古の時代から、あらゆる事物一つ一つに与えられている名。魔女にその真の名を呼びかけられ、アサリィという名の薬草はより高次な薬となり、与えられていた本来の香りを目覚めさせる。
「アサリィ茶、か」
魔女の呪文に耳を傾け、漂い来る香りを嗅ぎ取りながら、サフィラは独り言ちた。
シヴィの問いをはぐらかそうとしているわけでもなく、答えるべき言葉を探しているようだった。
「アサリィ、本来の名はレカレ・フォッサイ、古の言葉で 『香り立つもの』。全く、然るべき物に然るべき名が宿るとはこのことだ。魂まで溶かされそうな香りがする」
「ふむ」
シヴィは相変わらずサフィラの目をじっと見ている。
困ったようにサフィラは笑った。
「好き、という表現では片付けられないな。私にとってマティロウサは第二の母に等しい。魔道騎士としての知識は全てマティロウサから教わった。それだけじゃない、魔道を通して他にも色々な事をあの魔女から学んだよ。それは皆、城の中に閉じこもっていては知り得なかった事ばかりだ。魔道騎士になって本当に良かった、という気にさせてくれる」
サフィラは言葉を切った。
「……そうだな、白状しよう。大好きだよ。どんなに口の悪い年寄り魔女でも。マティロウサが大好きだ。でもこれは秘密だよ。マティロウサに知られたら、きっとまた嫌味を言われる」
「ほうほう」
シヴィはただ愛しげにサフィラを見つめ、サフィラは静かにその深い輝きを持つ老人の目を見返した。
見る者に悠久の時を感じさせる双眸。マティロウサと同じく、それは魔の道を駆る者特有の、奥深く、乾いた光を宿している。
サフィラは自分の体の中の汚れが全てその眼差しによって浄化されていくかのような錯覚を受けた。
→ 第二章・兆候 8 へ
「怖いものを怖いと言うてどこが悪いんじゃろな」
「円滑な人間関係を保つためには、正しいことであっても発言を控えた方が良い場合があるから」
「ほうほうほう」 サフィラの真面目ぶった答えに、シヴィがしたり顔で声を潜めて笑う。
「マティロウサの話では、お前さまも結構言いたいことを言う性分だとか。人間関係うんぬんに気を使うタイプだとは聞いておらなんだ」
「マティロウサはろくでもない事ばかりあなたに吹き込んだようだな」 サフィラは隣の部屋を睨んだ。
「他にはどんな憎まれ口を叩いていた、あの魔女殿は?」
「うーむ、そうじゃな。聞いた事といえば、お前さまが15の年に魔道騎士の位を手に入れたこと、そしてその優秀な騎士は実はこの国の世継ぎの、しかも王女の身分にあること、それから、近々その王女様の婚礼が行われる予定であること、その相手は隣国の第二王子とやら」
「第三」 不機嫌そうにサフィラが訂正する。
「ほいほい、第三王子。そして今、城では婚礼の準備がつつがなく執り行なわれている……。ま、こんなところじゃな」
「さすがマティロウサ、適確で無駄のない話。でも、それだけじゃないだろう」
「ふむ?」
「あの魔女殿のことだ。どうせ人のことを 『憎まれ口と減らず口と軽口しか知らなくて、年寄りに対する礼儀はおろか尊敬の念のかけらもない。人の話は聞かず、態度も生意気。第一、王女の身でありながら男の格好をして、剣を携え馬を駆り、城をこっそり抜け出しては勝手に城下を遊び歩く』 とか何とか言ったに決まってる」
「ほい、ご明察、ご明察。よくお分かりじゃな」
「いつも言われてることだから」
「ふむ。お前さんは」 笑いながら答えるサフィラをシヴィはじっと見つめた。
「マティロウサのことが好きなんじゃな」
突然の問いに戸惑ったサフィラは答えずに、開け放たれたままの扉にちらりと目をやった。
煮立った薬草茶の醸し出す鼻を突く香りに混じって、マティロウサが小さく呪文を唱えているのがとぎれがちに聞こえてくる。
旧き言葉。未だ土地も大気も若かった太古の時代から、あらゆる事物一つ一つに与えられている名。魔女にその真の名を呼びかけられ、アサリィという名の薬草はより高次な薬となり、与えられていた本来の香りを目覚めさせる。
「アサリィ茶、か」
魔女の呪文に耳を傾け、漂い来る香りを嗅ぎ取りながら、サフィラは独り言ちた。
シヴィの問いをはぐらかそうとしているわけでもなく、答えるべき言葉を探しているようだった。
「アサリィ、本来の名はレカレ・フォッサイ、古の言葉で 『香り立つもの』。全く、然るべき物に然るべき名が宿るとはこのことだ。魂まで溶かされそうな香りがする」
「ふむ」
シヴィは相変わらずサフィラの目をじっと見ている。
困ったようにサフィラは笑った。
「好き、という表現では片付けられないな。私にとってマティロウサは第二の母に等しい。魔道騎士としての知識は全てマティロウサから教わった。それだけじゃない、魔道を通して他にも色々な事をあの魔女から学んだよ。それは皆、城の中に閉じこもっていては知り得なかった事ばかりだ。魔道騎士になって本当に良かった、という気にさせてくれる」
サフィラは言葉を切った。
「……そうだな、白状しよう。大好きだよ。どんなに口の悪い年寄り魔女でも。マティロウサが大好きだ。でもこれは秘密だよ。マティロウサに知られたら、きっとまた嫌味を言われる」
「ほうほう」
シヴィはただ愛しげにサフィラを見つめ、サフィラは静かにその深い輝きを持つ老人の目を見返した。
見る者に悠久の時を感じさせる双眸。マティロウサと同じく、それは魔の道を駆る者特有の、奥深く、乾いた光を宿している。
サフィラは自分の体の中の汚れが全てその眼差しによって浄化されていくかのような錯覚を受けた。
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