タウケーン王子がサフィラの同行者か否かについては、ヴェサニールの城内でも散々取り沙汰されたことではあるが、この状況から見るとどうやら事実のようである。しかし、どちらかがどちらかを拉致したわけでも、誘ったわけでもなく、ましてや示し合わせたわけでは決してない。
昨晩、サフィラが旅支度を整えて再び城を抜け出し、マティロウサの家をこっそりと訪れたとき。
本来の同行者である老シヴィ、そして見送りに来たサリナスとともに、何故かそこにはタウケーンの姿があった。
「……何故いる」
「俺も付いて行こうと思って」
「は?」 タウケーンの言葉にサフィラは目を剥いた。「何で」
「ヒマだし」
「……大人しく国に戻れ、バカ王子」
「いずれはね。でも、今戻っても良いことないしな。何しろ、花嫁には逃げられるし、未来の王にはなり損ねるし」
「だったら尚更、国に戻ってこれまでの不道徳を反省しながら余生を過ごせばいいだろう」
「それじゃ詰まらん。まあ、この機会に世の中を見て歩くってことで。爺さんには了解もらったぞ」
サフィラは問うような視線をシヴィに向けた。シヴィは罪のない笑顔をサフィラに寄こして、うんうん、と頷き、「その方が楽しいもん」 と子どものように言い足した。
それですべてが決まったのだ。
それに遡ること数日前、サフィラ達がマティロウサの家に押しかけた夜のこと。
サフィラが水晶に関する真実を知る間、老シヴィの術によって眠りに落とされていたサリナスとタウケーンは、術をかけた本人によって何事もなく目を覚ました。
勿論、二人は眠っていたことすら覚えていなかった。
シヴィから、サフィラが魔法使いの集う 『谷』 へ向かうことを告げられたサリナスは、あれだけ強固に反対していたにも拘らず、意外なことにあっさりと承知した。
「羨ましいことだ」 とまで、サリナスは言った。
「俺もできることなら 『谷』 に行ってみたいよ。魔道に関わる者すべての憧れの地だからな」
サリナスの豹変振りにサフィラは驚いたが、何食わぬ顔でアサリィ茶をすすっているシヴィに視線を向けたとき、その表情に空々しい何かを見つけて、ピンときた。
シヴィが、きっとサリナスに魔法をかけたのだ。恐らく 『承服』 か、あるいはそれに似た魔法を。
まったく魔法使いという種族は。
生真面目なサリナスをどう説得するか頭を悩ませていたサフィラは、その必要がなくなったことにほっとする反面、呆れ顔でシヴィを、そしてマティロウサを見た。
人の心を変えるような魔道は使うな、とサフィラに言っておきながら、自分達は都合次第でそれを実行する。何事も方便、というやつか。サフィラは軽く睨むように二人を見た。老いた魔女もシヴィと同様、素知らぬ顔で視線を反らす。
「なあなあ、谷って、どんなとこ?」
タウケーンが尋ね、シヴィが得意げに、それはな、と説明し始めるのを横目に、ばつの悪そうなマティロウサが出した茶碗の縁を軽く弾きながらサフィラはため息をついた。その憂鬱そうな響きを耳にして、サリナスは不審な顔をサフィラに向ける。
「どうした。『谷』 に行けるんだぞ。嬉しくないのか」
「そんなことはないさ」 サフィラは無理に笑って見せた。「嬉しいに決まっている」
だが、決して物見遊山に行くわけではない。
その真の目的を考えると、サフィラの気分も滅入ってくるというものだ。どうやら、それが表情に表れてサリナスを訝しがらせたようだった。
「それにしては元気がないな」
「そうか?」
サフィラはそれだけ答えて、サリナスの真っ直ぐな視線を避けた。
サリナスに本当のことを言ったら、どうするだろう。
ふとサフィラはそんなことを考えてみた。
水晶のこと。
魔の者のこと。
忌まわしき復活のこと。
そして、サフィラが負わされた運命のこと。
驚くだろうか。驚くだろうな。
信じるだろうか。恐らく、信じるだろう。疑いながらも。
自分以外の誰かに本当のことを知ってほしいという気持ちが、サフィラには確かにあった。
しかし、告げられたところで、サリナスにどうすることもできないのも分かっている。
むしろ、知ることによってこの男を苦しめることになるかもしれない。それならまだしも、水晶の忌々しい運命に巻き込むことにでもなったら。
そこまで考えてサフィラは思考を止めた。詮無いことだ。今さら何を。
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