NO に対する諛左の反応には、大抵の場合において、このような冷たい空気が付きまとう。
最初の頃は、それこそ腹の内が煮えくり返り、
諛左に掴みかかっては不二沢とショーンに止められていた NO だが、
J や千代子と同様、脅しても効果のない相手であることを悟ってからは、
極力自分を抑えて、舌戦に留まっている。
だが、そうなると NO の分は悪い。
元々、人を怒らせるのは諛左の特技の一つであり、それは J も認めている。
何を言っても辛辣な皮肉か、あるいは非難しか返ってこない男が相手では、
さすがの NO も、時に不本意ながらたじろぐことも多い。
しがない何でも屋の癖に。
その思いが、ますます NO の公僕としてのプライドを揺るがすのだ。
今でこそ、J という女に使われる身ではあるが、
かつては諛左も、硝煙漂う世界の住人の1人であっただろう、と NO は確信している。
身のこなし。
滲み出る雰囲気。
相手を突き刺すような視線。
どれを取っても、生まれてからこの方、ごく安穏とした日々を送ってきた男、とは信じがたい。
以前、NO は諛左に面と向かって 『マセナリィ上がりめ』 と毒づいたことがある。
諛左はそれを否定しなかった。
小馬鹿にした目つきで NO を見て、『だから?』 と短く答えただけだ。
だから、も何もない。
ショーンとの一件で懲りることもなく、相変わらず NO はマセナリィが嫌いだった。
いや、一件以来、ますます……と言った方が正確かもしれない。
NO にとって、マセナリィとは
戦争という理由だけで合法的に人を殺す職業以外の何者でもなかった。
今の世の中でも、マセナリィは全人口の中で、かなりのウェイトを占めている。
何故なら、戦火が少しばかり落ち着いたとはいえ、
戦争そのものが完全に終結したわけではないからだ。
大都市が消滅し、『国家』 という概念が、あっけないほど無力なものとなった現代。
世界を切り回しているのは、戦中、あるいは戦後に軍事産業で力を得た幾つかの企業だ。
筆頭となるのは、ハコムラ・コンツェルン、というところか。
結局、何度争いを繰り返そうと、金が世の中を動かすという事実は変えられないようだ。
つくづく、NO はそう思わずにいられない。
今のニホンはハコムラの力で成り立っている。
この瞬間にも、世界の片隅で起こっている紛争に、
ハコムラの類稀なる技術力が役立っていることだろう。
最も不謹慎で、最も効果的な金儲けの手段。
どんな物でも商品になる。たとえ、それが 『人』 であろうと。
マセナリィがあふれる訳だ、と NO は思う。
たとえ争いが終結したとしても、
現在の社会機構のベースには、必ず 『軍事産業』 が寝そべっている。
もはや、争乱のない世界など永遠に存在できないのかもしれない。
だが。
マセナリィが戦地で勝手に殺し合うのはいい。
しかし、一般社会の中でも大きな顔が出来ると思ったら、大間違いである。
それが NO の主張だった。
世の中で起こる犯罪の多くに、
マセナリィ上がりの人間が関わっている確率の、なんと高いことか。
その事実は裏返しようもなく、
世の治安を守る上で、無視できない社会問題となっているのは周知のことだ。
世間を騒がす発砲事件や乱闘、暗殺、etc. etc.……。
実際にマセナリィ、あるいはマセナリィであった者の仕業である場合が非常に多い。
金を払えば雇用関係が成立する今の社会では、
人を守るのもマセナリィ、人を害するのもマセナリィなのだ。
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