「うーむ……どうすればいいかの、マティロウサ」
「それを聞いてるんだよ、こっちは!」
待たされた挙句の質問返しに、魔女の口調がつい荒くなる。
「あんたね、ウチに来てから日がな一日食っちゃ寝て食っちゃ寝て、食っても寝てもいないときは訓練の邪魔までしてくれて、ちょっとは 『あれ』 のことを考えているのかと思えば、何も考えなしかい! 何しに来てるんだよ、あんたは!」
「またそうやって怒る……」 シヴィが拗ねたようにそっぽを向く。
「本当に気短な魔女様じゃ。わし、この家にいる間に何回怒られたかのう」
「怒られるようなことをするからだろう! あたしだって、いい年した爺さんに何度も何度も目くじら立てたかないんだよ」
「だったら、もう少し優しくしてくれてもいいのに。老い先短い老人じゃよ、わし」
「老い先短いって言葉は人間様のためにあるんだ。あと数百年は生きようっていう魔法使いが使っていい言葉じゃないよ」
「使ってみたかったんじゃもん」
この爺は。
マティロウサの忍耐が尽きかけようとしたとき、ふいに老いた魔法使いの口調が変わった。
「『あれ』 をここに置いておくわけにはいかんよ」
目の前の老人の突然の変わりようにマティロウサは居を突かれた。
いつの間にか老シヴィの目には厳粛で深遠な光が宿り、同じ魔法を生業とする魔女ですら、その輝きに軽い畏縮を感じるほどの力を放っていた。どんなにおどけて見せようと、魔法使いはやはり魔法使い以外の何者でもない。マティロウサはそれを実感せずにはいられなかった。
老人は言葉を続ける。
「放っておけば、『あれ』 は必ず 『魔』 を放つ。マティロウサ、『あれ』 を……」
老人はいったん言葉を切った。
「……あの 『水晶』 をここまで運んできた、あの哀れな男をお前も見たじゃろう」
『水晶』 という言葉を発するとき、呼んではいけない者の名を口にしたように老シヴィの口調は固かった。そして、聞いてはいけない名を耳にしたように、マティロウサの反応も同じく固かった。
言われるまでもない。
マティロウサは半月ほど前にヴェサニール国の裏に広がる彼方森からシヴィが連れてきた一人の男のことを思い出した。
痩せ衰え、正気を失って焦点が定まらない男の空ろな瞳は、たとえマティロウサの魔力がどんなに強力であったとしても決して癒せぬ狂気をはらみ、豪胆な老魔女をして気を怯ませるほどであった。
男が身につけていた荷袋の中に、『あれ』 はあった。
あの忌々しい 『水晶』 が。
男が現れたとき、ここにはサリナスがいた。そして、サフィラも。
そう、あのときサフィラは得体の知れない幻視を見て気を失ったのだ。
それは古の詩によって引き起こされた。
あれは何の詩だった?
七と一つの……。
マティロウサはみずからの考えを打ち消すように頭を振った。
だが、そうすればするほど、さまざまな考えに思いが及ぶ。
サフィラは男のことが大層気になっている様子だった。
いや、正確には、男の持つ荷袋の中身が。
いくつもの断片が組み合わさって、一つの形になろうとしていた。
それはマティロウサにとって決して好ましいとは言えない紋様を浮かび上がらせる。
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