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ヴェサニールの都を南下してひたすら進んだところに、一本の川が流れていた。
ハリトム川と呼ばれるその川は、ヴェサニールの国境線と流れをほぼ同じくしており、旅行く者の多くはこの川を越えることでヴェサニールの領域外に歩みを進める目安としていた。
川の両岸には、ところどころに獣が隠れられるほどの茂みが点在する野原が広がり、今の時節ならではの心地よい風が吹いては、背丈の短い草の間を揺らしていく。
ちょうど、ヴェサニールの城で持ち上がった騒動がようやく収まりかけていた、その頃。
ハリトム川のほとりを行く、二頭の馬に騎乗した三人の人影があった。
「今頃、城は大騒ぎだろうな」
一人が、ふと馬の歩みを止めて後ろを振り返り、ため息交じりの呟きにも似た口調で言った。
華奢な体つきと整った容貌は少年のようでもあり、未成熟な少女のようでもある。
「まあ、今さらそれを言うても仕方あるまい」
同じ馬に乗るもう一人の人影が返事を返す。
三人の中でもっとも小柄で、皺だらけの顔と、それに似つかわしくない若々しい輝きを持つ瞳が印象的な老人である。
「なあ、ちょっと休まない? 夜中からずっと馬の上じゃないか。疲れちまった、俺」
残りの一人が、不平というよりも頼み込むような口調でそう言って、もう一頭の馬の上でぐったりと身体を傾けた。背が高く均整の取れた体つきと甘い容姿は、もしこの場に女性がいたら必ず目を留めるだろう、と誰もに思わせるような優男だった。
「軟弱者め」 最初に言葉を放った人影が呆れたように言った。
「まだ、国境近くだぞ。本当はもっと進んでいる筈なのに、お前がそういうことを何度も言ってゴネるから、まだ川も渡ってないんだぞ」
「だって、馬の揺れがひどくてさ、身体中痛いったらないんだよ。俺、あんたみたいに体力ないんだからさ、王女サマ」
「お前の性別と年齢を考えたら、私よりも力強くあって然るべきだ、バカ王子」
「だから、その呼び方やめてって」
「これこれ、喧嘩はいかん、喧嘩は」 小柄な老人が二人の間に割って入る。
「仲間内で諍いがあると、旅が楽しくなくなるぞい」
「だって老シヴィ、このバカ王子、自分から 『付いて行きたい』 って言ったくせに、一番足手まといじゃないか。何が仲間だ」
「俺は王子だから、こんな強行軍の馬旅は馴れてないんだよ」
「馬が嫌なら歩け、軟弱者」
「その呼び方も嫌だなあ」
ヴェサニール国王女サフィラと魔法使いの老シヴィ、そしてフィランデ国王子タウケーンの三人が連れ立ってヴェサニールを離れたのは、今からほぼ半日前の真夜中のことである。
日は既に高い位置にまで上り、草原の上に三人と二頭の影を色濃く落としていた。
もはや都からは遠く離れ、この辺りには集落もないため、当然他に人の姿はない。目に見える景色一帯が緑にそまり、のどかではあったが国を離れる者、すなわちサフィラにとっては若干の物寂しさも感じさせる、そんな風景が広がっている。
「ほれほれ、王子、わしを見ろ。一番年寄りじゃが、わしが一番元気じゃぞ」
励ましているのか、それとも揶揄しているのか分からない口調で老シヴィが言った。
「あんたは王女サマの馬に乗ってるだけだろうが」
タウケーンが恨めしげに馬上で身体を伸ばした。
「馬を操るのは結構大変なんだぞ」
「乗馬は王族のたしなみだ」 素っ気なくサフィラが答える。
「どうせ、くだらない世情の戯れ事に夢中で、まともに馬に乗ったこともないんだろう」
「そりゃね」 タウケーンがにやりと笑う。
「馬なんぞに乗る時間があったら、他の物に乗る方が……」
「老シヴィ!」 タウケーンの下世話な言葉を遮るように、サフィラが声を尖らせる。
「何で、こんな軟弱なヤツと一緒に旅をしなければいけないんだ! あなたと私の二人だけで良かったじゃないか!」
「えー、だって、旅の道連れは多い方が楽しいじゃろ?」
「楽しくない!」
サフィラの怒声が吹き抜ける風に混じって辺りに響き渡る。
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