旅の目的はともかくとして、唯一無二の親友ともいえる魔道騎士と別れるのは、やはりサフィラにとって辛い想いをもたらした。
出立の夜のこと。
見送る者と見送られる者がマティロウサの家の前に集まった。
サリナスは気遣わしげな瞳をサフィラに向けてきた。
「サフィラ、身体には気をつけるんだぞ」
「分かってる」
「老シヴィが一緒とはいえ、あまり無茶なことはするなよ」
「分かってるって」
「それから、見たことがない植物や木の実を見つけても、すぐに食べようとするなよ」
「……サリナス、それは子供の頃のことだ。今はやらん」
「今もまだ、そういうところがあるから言ってるんだ、俺は。それでよく腹をこわして、マティロウサの世話になってただろう?」
「……」
幼い頃からの付き合いとはいえ、旅の出発際に子供時代のことまで引き合いに出すサリナスの世話焼きには多少閉口するサフィラだったが、それでも、しばらくはこの口やかましい説教を耳にすることができなくなるのだと思うと、心の中を寂しさが支配する。
「お前こそ」 サフィラはサリナスの顔から目をそらして、俯きながら小声で言った。
「人の心配ばかりしてないで、自分のことに気を配れよ。お前、魔道の研究とか始めると、食べるのも寝るのも忘れるほど没頭するからな。そういうところが心配だ」
「お前に心配されるとはな」 サリナスは笑った。「だが、まあ、気をつけよう」
「それから」
サフィラは、少し離れたところでシヴィと言葉を交わしているマティロウサをちらりと見た。
「……マティロウサのことを頼んだぞ。魔女という存在がどこまで頑丈にできているかは知らないが、年寄りであることは違いないからな」
「……分かっているさ」
サリナスは、サフィラの目に浮かぶ沈んだ光を見逃さなかった。
普段は憎まれ口の応酬が耐えないサフィラとマティロウサだが、二人が互いのことをどれ程大切に思っているかサリナスは知っていた。
「未熟ながらも俺にできる限り、気を配るさ。もっとも、そんなことをしても魔女殿には煩わしいと思われるだけかもしれんがな」
サリナスはサフィラを安心させるように笑って見せた。
一方、マティロウサはマティロウサで、同じような事をシヴィに頼み込んでいた。
「……あの子を」 魔女の声は、いつもよりも低く、しわがれていた。「頼んだよ、シヴィ」
うむ、とシヴィが頷く。
「わしの力の及ぶ限り、あの娘を見守ろうぞ」
「魔法使いの長老が言うんだったら、間違いないね」
そう答えながらもマティロウサの表情は暗い。
この先、『あれ』 が、あの 『水晶』 が背負い手であるサフィラにどんな影響をもたらすのか、誰も予見することはできないのだ。その不確かさを思えば、どうしても老魔女の心を不安がよぎる。
『谷』 にさえ行けば何とかなる、というものでは決してない。
むしろ、大きな歯車はそこから回り始めるに違いない。
マティロウサは小さくため息をついて、二、三度頭を振ると、傍らにいるウィルヴァンナを呼び、小さな声で何かを指示した。先ほどからタウケーンに散々話しかけられて多少辟易していたウィルヴァンナは、ほっとした表情で急ぎ家の中へと小走りに駆け込んだ。
残されたタウケーンは、ちぇっ、と舌打ちする。
やがてウィルヴァンナは、手に小さな袋を持って家から出てくると、それをマティロウサに手渡した。
マティロウサは、今度はサフィラの方へ目を向け、魔白、と魔道名でサフィラに声をかけた。
「ちょっとおいで」
呼ばれたサフィラは、複雑な表情を浮かべながらも素直に魔女の元に近づいた。
マティロウサは、ウィルヴァンナに取りに行かせた袋をサフィラに差し出した。
「餞別だよ。持ってお行き」
「何だ?」
「何が起こるかわからないからね。そんなものでも持っていれば、何かの助けにはなるだろうよ」
「……これ、ヴィリの実じゃないか」 袋の中を見たサフィラは、驚いてマティロウサを見た。
「しかも、こんなに」
万病に効果があるヴィリの実は、この辺りでは採ることができない珍しい木の実である。これまでサフィラがどんなに頼んでも『お前には勿体ないよ』と言って決して分けてはくれなかった、マティロウサの秘蔵薬であった。
量からすると、恐らくマティロウサが持っているすべての実を詰め込んだのだろう。
恐らくは危険なことも多くあるに違いない、そんな不安な旅に出ようとしている愛弟子に、自分ができるのは、これくらいしかないのだ。
サフィラはしばらく魔女を見つめ、やがて小声で、ありがとう、とだけ呟いて、その袋をみずからの荷物の中に収めた。
向き合った二人の間に言葉はない。お互い、何と言っていいのか分からなかった。
しばし沈黙が流れた後、ようやくサフィラは
「じゃあ、マティロウサ」 と声をかけた。「……行ってくるから」
「……ああ」 マティロウサも短く返す。「気をつけて」
マティロウサの言葉にサフィラの顔が少しだけ歪んだが、サフィラは他の者達にそれを悟られないよう俯くと、身を翻して愛馬カクトゥスに歩み寄る。
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