ACT 1 - All is fish that comes to my net -
煙草の火先から螺旋を描く紫色の煙が
唇から吐き返される白い靄に取って代わる
一度体の中を通すだけで
煙の毒はわずかに浄化され
非幾何学的な形を取りながら空気中に分子の渦を還元していく
毒性は全て身体の内に閉じ込められて
細胞の組織にゆるやかに染み透る
肉体をフィルターに代え
紫は白となる
紫の毒
次第に心も身体も妖しい紫色に変化させていく酸性の毒
鮮やかに
ひそやかに
紫色の毒は人を変え
空気を変え
街を変えていく
この灰色にくすんだモノトーンの街を
倦怠と欲望と
そして虚偽に満ちたこの街を
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝の気配が忍び寄る感触は、ある種の人間にとって決して好ましい代物ではない。
それが彼女の持論である。
勿論それは 『ある種の人々』 の中に、彼女自身を含めた上での考えである。
眠りは平穏であるという。
ならば何故、人はその平穏を打ち破ってまで目覚めるのか。
何故、身を起こし、無慈悲に降り注ぐ太陽の光の下へと這い出ていかなくてはならないのか。
結局のところ、朝起きるという行動は、
人々にとって 「そうしなければならない」 という一種の脅迫概念になっているのだろう。
目覚めなければならない。
シーツの中から抜け出さなくてはならない。
仕事に行かなくてはならない。
そして、それらを拒否する者には 『怠惰』 という形容詞を否応なしに与えられてしまうのだ。
しかし彼女にしてみれば 「怠惰でどこが悪い」 と主張せずにはいられない。
人々にどう思われるか。
そんなことは彼女には関係ない。
それよりも彼女にとっては、ささやかな願望の方がよほど重要なのだ。
つまり、いつまでも曖昧なまどろみの中を夢見心地で漂っていたい、という願望の方が。
しかし、望みはいつも打ち破られる。
その日の朝も例外ではなかった。
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コメントありがとうございます。
>パープルヘイズという題が気になったので、こちらから少し読ませて頂きました。ジミヘンの同曲名が好きなので。
お察しの通りでございます。
あの名曲のタイトルを勝手に引用してしまいました……。
初めてこの曲の歌詞を知った時に、やるせない、切ない、何も判らない……
そんな印象を持ち、かなり強烈に惹かれました。
物語全体のイメージも、この歌詞に影響された部分があります。
ダラダラ書いているうちに、かなり長い話になってしまいました。
とりあえず完成させるようにガンバってますので、
またお暇な時に、お立ち寄りください。