「あんたの命であたしが楽になるなら本望でしょ」
『冗談言うな。俺の命は俺のもの。
もっとも、俺が楽をするためにお前がカラダを張ってくれる、っていうんなら別だが』
「冗談言うな。あたしのカラダはあたしのモンだ」
『お互い様だな。ワガママ言うんじゃない。とにかく仕事だ。
内容は依頼人が直接話したいそうだ。それまで楽しみにしておけ』
「もったいぶるのは諛左の悪い癖だな。ますます気が乗らない」
『 J (ジェイ)、いい加減にプロになれ』
「お前」ではなく、名前の方で諛左は彼女を呼んだ。
日常茶飯事ともいえるフォン越しの応酬に飽いてきた頃になると、必ずこうだ。
諛左はいつも舌打ちとともに焦れったげな口調で彼女の名を呼ぶのだ。
J、と。
『仕事を運んでくる度にお前に文句を言われるのは飽き飽きなんだよ、J 』
「だったら、そんな生真面目に仕事を持ってこなきゃいい。誰も頼んでないのに」
『残念ながらお前と違って、職にあぶれて路頭をさまよう趣味は俺にはない。
何しろ、腐ってもお前は俺の雇い主だからな』
こちらが言えば、きっちり一言返す男である。
そう、口調も態度も超一流の強気を誇るこの男は、実は彼女 - J - の被雇用者であり、
J はそのボスということになる。
だが。
自分を雇い主だというのなら、少しは雇用人らしい態度を取れ。
そう言いたいところを J は辛うじて我慢した。
この数年間、諛左と話すたびに自分の忍耐の上限が増えていくのを実感する J である。
『俺は事務所にいるから』
「お早いことで」
『お前が遅いだけだ。遅れるなよ。11時だ。伝えたからな』
唐突にフォンが切れる。
再び戻ってきた静けさの中で、J は暫くの間毛布にくるまりながらぼんやりとしていた。
モーニング・コールと呼ぶには程遠く、
温かみのない諛左の声に部屋の空気までもが寒々としている。
ようやく J は上体を起こした。
光を通さないカーテンに染まった薄暗い部屋と、その中をゆっくりと泳ぐ煙草の煙が視界に映る。
9時半?
J は心の中で舌打ちをした。
なんてケンコー的な時間。
ケンコー的すぎる。
冗談じゃない。
声に出さずに毒づきながらも J はソファーから足をすべり落とし、どうにか姿勢を保った。
諛左に言われるまでもなく、最近の J はベッドの上で眠った試しがない。
正確に言えば、ベッドでは眠れなくなってきているのだ。
やわらかいシーツの感触に包まれていると、
そのまま永遠に目が覚めなくなりそうで、どうも馴染まない。
気分は羽毛付きの棺桶だ。
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