J は窓から離れ、重い足取りで部屋の隅へと向かった。
壁に打ち付けられた鏡は古ぼけていて、明かりの少ない部屋の内を一層暗く映し出している。
鏡の前に立った J は、目の前に映る自らの影を見据えた。
J。
彼女の通り名。
本名ではない。
しかし、誰もが彼女を 「 J 」 と呼んでいた。
J が生まれたのはニホンではない。
海を隔てて遠く離れた国である。
しかし、両親のいずれもがニホン人だった。
ゆえに J も、いわゆる 「純粋単一」 と呼ばれるニホン人種であり、
雑然とした今の世の中では、ある意味、稀少とも言える出生であった。
しかし、J 自らはそれを意識したことはない。
血統に価値を見出す者は、無為な研究を続ける人類学者以外にはいない。
そもそも、『純粋』 の基準はどこにあるのか。
歴史上、唯一無二の民族で構成された国など、存在しないのだ。
何代も過去に遡れば全く異なる血と血があり、
それらが複雑に混ざり合って、新たな起源 - origin - となった。
その、どこが純粋なのか?
そう呼ばれるたびに、J の胸中を皮肉な思いが襲う。
ある時。
アースと呼ばれる惑星のどこかで、
「ヒト」 と呼ばれる種族が誕生しました。
唐突に J は、幼い頃に読まされた子供向けの歴史の本に書かれていた文章を思い出した。
それは、国、民族、ヒト、あるいは、そういう類の括りについて、何某かの思いを抱くたびに、
必ず J の頭に浮かぶフレーズだった。
ヒトは、わずか数千年の間にアースの表面を覆い、
「国」 という領域を作って
その中で暮らすことをルールとするようになりました。
そして、今から1000年前のこと。
J が生まれるよりも遥かな昔、突発的で大規模な地殻変動がアースを襲ったのだ。
今では 『大災厄』 と呼ばれているその現象によって、主だった大陸のほとんどは分断された。
その結果、アース上には、
分裂した大陸から、あるいは新しく海底より隆起した地面からなる、大小さまざまなる島が生まれた。
以降、世界は 「トーン・ワールド」 すなわち 「千切れた世界」 と称されるようになった。
一度でも学校に通った者であれば、誰もが知っている事実であり、
一部の歴史学者以外の者にとっては、今更どうでもいい事実だった。
勿論、J にとっても。
1000年前の 『大災厄』 によって、アースの人口数は半減した。
それまで栄華を誇っていた高度な文化・科学水準は、崩壊の一途をたどり
その後、数百年は混乱と迷走の時代が続いたという。
かつての大国はほとんど消失し、『国』 という概念だけが残されたが、それすら曖昧だった。
やがて幾つかの都市が徐々に混乱から脱出し、
トーン・ワールドの新たな中心地として機能し始めた。
それが、七都市を拠点とする新領土 『ネオ・セブン』 である。
ネオ・セブンの一つに、ニホンが名を連ねていることは
そこに住まう者にとって果たして幸運なのだろうか。
J は思う。
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