建物自体の旧さに加えて、長い間持ち主がいなかったせいもあり、
ビルの様子は内外ともにくたびれていた。
しかし、それすら J は気にしていなかった。
たとえ、外壁のコンクリートが変色してヒビが入っていようと、
同じようなヒビが J の室内にも侵食していようと、
それによって、ただでさえ荒んだイメージをもたらすところに
より一層、胡散臭い印象を与えることになろうと、まったくもって無頓着であった。
少しは修理した方が良いのではないか、と親切めいた助言をする人間もいたが
J はお節介な友人たちに 「そのうちね」 と答えるだけで、未だに実行されたことはない。
かつては駐車場として使われていたらしい 1階のスペースは倉庫になっている。
そこには、とても生活に必要とは思えないガラクタが無造作に散らばっていた。
見栄えがよくないために
通常はネズミ色のシャッターで通りの人々の視線から仕切られている。
通常以外にも、めったに開放されることはなかったが。
シャッターの横には階上へ続くコンクリートの狭く薄暗い階段が伸びていた。
仕事の依頼に訪れる人間は、その息苦しい通路を通って 2階にある事務所のドアへたどり着く。
そのまま階段を上れば、仕事用の資料室ともう一部屋ある 3階。
さらにその上にある J の私室と、もう一つ空き部屋がある 4階へと続く。
その日の朝、諛左からの無礼なフォンの後、
シャワーを浴びて適当に身支度を整えた J は私室を出て階下へと向かった。
数段先の左手にある古ぼけた金属性のドアには、薄れかけた手描きの文字で、
J of all trades (何でも屋の J )
と記された木の板が無造作に貼り付けられている。
その向こう側に事務所がある。
ドアをくぐった J が事務所に姿を見せると、待ち構えていたように中年の婦人が現れた。
「お早うございます、ミス J 」
「お早う、千代子さん」
「奥に諛左さまがおいでです」
「そう」
「何かお食べになりますか」
「うーん」
J はしばらく考えて自分の胃袋に相談した。
起き抜けは食欲がない。
先程口にした安物のワインが、それに輪をかけている。
「いいや、いらない。代わりにコーヒーを」
「かしこまりました」
ごく丁寧で事務的な動作と共に頷いて婦人はドアの向こうに消えた。
千代子は数年前に J が手がけた仕事がきっかけで知り合った女性だった。
以来このビルの 3階に住み込みで働く勤労婦人である。
彼女がどういう素性の人間なのか、詳細な経歴については雇い主である J ですら知らなかった。
背が高く体格がいい女である。
褐色の髪は、ところどころ白髪が混じり、寄せる年波を感じさせる。
恐らく、50代前半といったところだろうか。
目の色が微妙に青緑がかっているのは、複数の人種の血が混じっているからかもしれない。
姿勢が良いために、黙って立っていれば
歴史の資料に登場する 『大災厄』 前の貴婦人に見えなくもない。
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