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「……痛い、痛い」 シヴィが頭を抑えて唸っている。
「何も本気で殴らんでもいいのに……」
「うるさいよっ」
マティロウサは一喝した。かなり腹を立てているようで、その両の眼が険悪に吊り上がっている。
「まったく、いちいち人の気持ちを逆撫でするようなことばかり言って、腹が立つったら」
「わしはただ、場の空気を和ませようと思って」
「今のあたしが和んでるように見えるとでも?」 とマティロウサがシヴィを睨む。
「うーむ」 シヴィが頭をさすりながらマティロウサの顔を窺う。「どちらかと言うと、怒っとる」
「その通りだよっ」
「だからと言うて、お前様、そんな太い腕で……」
「やかましいっ。大体ね、さっきだって、この世の終わりみたいに深刻そうな顔をして何を言い出すかと思ったら、本当に紛らわしいんだよ、あんたはっ」
「悪気はなかったと言うとるのに……」
マティロウサとシヴィの諍いが続く部屋の中、その様子を神妙に見守る数人の顔ぶれがあった。
マティロウサの家をサリナスが突然訪れ、その数秒後に慌しくサフィラとタウケーンが現われたのは、つい先ほどのこと。
「実はサフィラがとんでもないことを言い出して」
「いや、それにはちゃんと訳があるんだ、マティロウサ」
「へええ、この婆様が魔女? 魔女って初めて見たなあ、俺」
薄暗い部屋の中に押し入るなり、三人が三人とも他の二人の言葉を押しのけるように自分の言いたいことを思い思いに騒ぎ立てた。
サフィラとサリナスの間には再び険悪な空気が流れ始め、やめろ、いややめない、といつまでたっても平行線の口喧嘩が再開されて、どうにもマティロウサの意見を聞くどころではない様子であった。
その騒々しさに、奥の部屋で疲労困憊して眠っていた筈のウィルヴァンナまでもが目を覚まし、何事が起こったのかと少し青白い顔で姿を見せた。
ウィルヴァンナを目にするや否や、タウケーンはこの年若き魔女に過大な関心を示し、サフィラとサリナスの諍いなどそっちのけで、ここぞとばかりに口説き始めてウィルヴァンナを困惑させた。それを見たサフィラが、ウィーラに手を出すなバカ王子、と、矛先をタウケーンに向け、ますます事態を混乱させる。
そして老シヴィはといえば、魔女に小突かれた頭を撫でさすりながらも、ほうほう、と目を輝かせて成り行きを見守り、明らかにこの騒然とした状況を楽しんでいるように見えた。
突然静けさを破られた上、有り難くもない騒ぎを持ち込まれ、しかも一向にその騒ぎが収まる気配がないのを見て取ったマティロウサは、当然激怒した。
「お前たち、いい加減におしっ」
部屋中にマティロウサの怒号が轟き渡った。周囲の壁や床に魔女の怒気が走り、机の上に置かれた巻物や棚の横に吊り下げられた古文書の束までもが、その声に恐れをなすかのようにバタバタと紙面を震わせる。
老魔女の声音の中に剣呑な響きを嗅ぎ取った三人は、さすがにぴたりと口を閉ざし、とりわけサリナスとサフィラはこれまでの経験上、こんなふうにマティロウサの怒りを誘ったときはどうなるかを充分過ぎるほど承知していたので、どこかしら畏れ入った面持ちで言葉を飲み込んだ。
そんな三人を見て止せばいいのに老シヴィが、やーい叱られた、と余計な一言を付け加えたことがますます老魔女の怒りを買い、さらにもう二、三回小突かれることになった。
そして、今。
ようやく騒ぎと怒りが収まった部屋の中、家の主とその客、ほとんどが招かれざる客であるが、その全員が古ぼけた机を取り囲むようにして伏し目がちに席に座している、というわけである。
「まったくお前達ときたら」
不機嫌極まりない、という表情でマティロウサはぶつぶつと呟く。声を荒げることはなくなったが、まだ幾分気が済んでない、という様子である。
「他人様の家に勝手に押しかけておいて、礼儀も何もあったもんじゃないよ。人の迷惑なんかこれっぽっちも気にかけず、言いたいことばかり喚き散らして。騒ぎたいだけなら、他所に行って好きなだけ騒ぐがいいさ。まったく忌々しいったらありゃしない」
言われていることは至極もっともなことであるため、もとよりサフィラとサリナスには返す言葉がない。タウケーンにしても相手がこの魔女では分が悪いと思ったのか、例の軽口は鳴りを潜めて大人しくしている。
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