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「俺はさ」 馬に揺られながらタウケーンは言った。
「別に、最後まであんた達に付き合うつもりはないから。魔法とか魔道とかに興味もないし、魔法使いの谷とやらに行っても詰まらないだろう。それに爺さんに聞いたところでは、谷には俺好みの若い女なんてほとんどいないって言うしな」
「お前に好みがあるとは思えないがな」 サフィラが疑わしげに、それでも素っ気なく答える。
「年齢なんてお構いなしなんじゃないのか? お前が手を出さないのは60歳以上の婆さんだけ、と噂で聞いたことがあるぞ」
「60歳って、あんたね……。そりゃまあ、年上も悪くはないが、それは上過ぎる」
「ほうほうほう」 シヴィが笑顔で会話に加わった。
「魔法で外見を若く見せかけている者なら、谷に行けば山ほどおるがのう。まあ、実際は皆、百歳を越えておるけど」
「……年上にも程があるだろ、それは。いくら俺でもそこまでは」
「いいんじゃないか? そういう 『年上』 のお姉様とお付き合いすれば、いくらバカ王子のお前でも、人生の深遠さを悟って今より少しはマシな性格になるだろうさ」
「成程、そういうことなら、わし、何人か紹介してやってもよいぞ。あ、そうじゃ。わしと同じ 『授け名の魔法使い』 の中に一人、お前様にぴったりの魔女がおる。美人じゃぞ」
「……美人?」 タウケーンが少し興味を引いたようだ。「どのくらい?」
「相当、と言ってもよいな。じゃが、ちょいと気が多い上に、ちょいと気が強い。聞いた話では、惚れた男が自分になびかぬのを恨んで、相手を獣に変えたとか変えないとか」
「そ、それは、ちょっと危険な性格だな……」
「じゃが、何度も言うが、相当美人じゃ。もっとも、あれも、わしと同じで一つ所に居続けるのが苦手じゃから、谷におるかどうかは分からんが。まあ、そういうのでよければ、他にも選り取り見取りじゃよ」
「ちょっと考えさせてくれ……」
他愛無い言葉を交わしながら、ハリトム川の川岸に沿う形で三人は馬を進めていた。
川を渡る大橋が、さほど遠くない位置にうっすらと見える。橋を渡れば、そこはヴェサニール領外になり、サフィラにとっては未知の土地だった。
軽快に歩む馬の足取りに反して、サフィラの心は少しばかり重い。
城の中にいた頃は、まだ見たことのないさまざまな国々を無邪気に想像するのは楽しかったし、心が躍ったものだった。
だが、実際に国を離れる身となった今は、持ち前の好奇心よりも心細さの方が胸の内の多くを占めている。もし、シヴィが同行を申し出てくれなければ、今以上に滅入った気分での出立となっただろう。
そういう意味では、根っから楽天的なタウケーンが旅に同行していることも、サフィラにとっては多少気晴らしにはなった。もっとも、その軽薄で下世話な話にうんざりすることも多かったが。
しかし、サフィラの心には、離郷の念よりもなお強く圧し掛かる憂鬱があり、その原因は、愛馬カクトゥスの背に括り付けられているサフィラの皮袋の中にあった。
誰にも触れることができないよう分厚い獣の革で包まれた 『それ』 は、革を解いて中身を目にしたものには、一見、何の変哲もない普通の水晶玉のように見える。だが、決してそんな大人しい代物ではないことを知っているのは、シヴィとサフィラだけである。
「できるだけ、触れてはならん」 旅立つ前に、シヴィはそっとサフィラに耳打ちした。
「背負い手とはいえ、お前様にまったく影響がないわけではないからの」
「分かっている」
そう言って、サフィラは荷造りした自分の皮袋の奥底に 『それ』 をしまいこんだのだ。谷に着くまでは、決して中を開かないつもりで。
だが、どんなに視界から遠ざけたところで、一度 『それ』 から見せられた幻視は、サフィラの頭の中から簡単に消え去ってはくれなかった。むしろ、時間が経てば経つほど鮮明にサフィラの脳裏に浮かび上がる。中でも、白く輝く女騎士の美しい幻は、サフィラの夢にまで現われてその存在感を増すばかりである。
それらすべてが、拭うことのできない憂鬱となってサフィラの心の底に忍んでいるのだ。
「それよりもさ、王女サマ」 タウケーンの呼びかけに、サフィラの物思いが途切れる。
「俺の呼び名なんだけど、いい加減にちゃんと名前で呼んでくれないかな」
「なんて名前だったか忘れたな」
「また、そういうことを。タウケーンだよ、タウケーン。何なら 『ケーン』 とだけ呼んでもらってもいいけど。ガキのときは、ずっとそう呼ばれてたから」
「タウケーンか」 サフィラに代わってシヴィが答える。
「それは古い森の神にちなんだ名前じゃな」
「お、分かるかい、爺さん。さすがだね。その通り。フィランデは森の国だ。それもあって、王家の人間には代々、古くから伝わる森の守り神達の名前が付けられるんだ」
「ふーん」
普段ならその手の話には積極的に加わるサフィラだったが、このときは興味がなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
「神の名を与えられた赤ん坊が、今となっては神をも恐れぬ不埒な軽薄男に成長してしまった、というわけだな。残念なことだ」
「……もう言い飽きたけど、あんたホントに口が悪いね、王女サマ」
「これでも抑えてる方だ。それから」 サフィラは振り返ってタウケーンを見やった。
「お前の呼び名はともかく、私のこともこの先 『王女』 と呼ぶのはやめろ。それはヴェサニール国内でのみ意味のある名前だ。国を出てしまえば、ただの 『サフィラ』 でしかない」
「じゃあ、ただのサフィラ」
「『ただの』 はいらん!」
「じゃあ、サフィラ」
「……お前に呼び捨てにされると、何となく耳にザラついて不愉快だな」
「そう呼べって言ったくせに」
二人の応酬が続く中、まあまあ、とシヴィがやんわり口を挟んだ。
「気に入る、気に入らんはともかく、王女、王子と呼び合うのは止めた方がよいじゃろうな。恐らく、城を逃げ出した 『不埒』 な王女と王子を捜す者が両国から近隣に手を伸ばしてくるじゃろうし、見つかって連れ戻されるのも面白くなかろう」
シヴィの言う通りだった。
実はつい先刻も、騎馬の二人組が慌しく三人の傍らを駆け抜けていったところだった。顔はよく見えなかったが、身に纏う鎧にはサフィラが見間違えようもないヴェサニール国の紋章が象ってあり、明らかにサフィラの行方を追ってきた城の者に違いなかった。シヴィが変異の魔法を使わなかったら、たちどころに発見されていただろう。
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