狭い部屋は、大柄な魔女と、その客だという、魔女よりも随分小柄な人物の二人がいるだけで既に一杯で、もうサフィラの入る余地がないように思われた。
「取り敢えず」 マティロウサが枯れた手を組んで、揶揄うように言った。
「この度は良い縁談がおありになったそうで、誠におめでとうございます、サフィラ王女」
「嫌がらせだな。顔が 『ざまをみ』って言ってるぞ」
「ふふん、式はもう直ぐらしいじゃないか。何でもあと二十日もないとか」
「言うな。うんざりだ。今もウィーラに八つ当たりしてきたところだ」
「おやおや、いけないねえ、花嫁様がそんなに不機嫌そうな顔してちゃあ」
「年寄りの野次馬根性で好きなように面白がるがいいさ」
「昨日今日生まれたようなヒヨコが何か言ってるようだねえ」
「結婚がうらやましいのなら、マティロウサにも誰かお似合いの相手を見つけてやらんでもない。ああ、そうだ、城の侍従長のクェイドなんてどうだ。数年前に連れ合いを亡くして、今は一人だぞ」
「はいはいはい、自分が幸せなときは、その幸せを人にも分けてあげたいっていう心境はよく分かるよ。王女様も成長したもんだねえ」
老魔女は全く取り合わない。今日のところは取り敢えずマティロウサの勝ちという雰囲気である。
目に見えて不機嫌なサフィラを黙らせると、マティロウサは客人に向き直った。
「分かったろう。こういう子なんだよ、このサフィラっていう口減らずは」
「ふーむ、成程、口の悪さじゃお前さんとどっこいじゃな」
「何だって?」
「まあまあ」
魔女の怒髪にも一向に気後れするふうもなく、老人は小柄な体をひらひらさせながら椅子から降り、サフィラに近付いていった。その足運びはまるで春風の上に乗ってでもいるかのように軽やかで、とても普通の老人の歩みとは思えない。
この老人が、有名な老シヴィであることを勿論サフィラは知らなかった。
しかし、薄汚れた衣に似合わぬ輝かしい双眸の光を見て取り、見た目のみすぼらしさとは明らかに異なる深い魂を老人に見出した。
今にも歌か何かを口ずさみそうな楽しげな表情を満面に浮かべて、シヴィはサフィラの目の前で止まった。そのままサフィラと目を合わせる。手にした杖でこつこつと何度か自分の額を叩き、じっとサフィラの目を覗き込んだ。
サフィラは目を反らせないでいた。
シヴィの瞳の中に漂う容易ならない力が、サフィラ自身の目を通じて体の中に入り込む。心の中まで染み渡ってくるような気分をサフィラは味わった。
シヴィの穏やかな瞳が、今の時期の日の光にも似て優しくサフィラを包み込む。
『至福』 という言葉を突然サフィラは思い出した。自分が今感じているのはきっとそれだ。サフィラはいつの間にか目を閉じている自分に気付いた。
この人は、魔法使いだ。サフィラは確信した。しかも、偉大な力を持っている。善き力を。
「……分かった」
ゆっくりと目を開けて、夢の中にさえ響かないような微かな囁き声でサフィラは言った。
「あなたは 『老シヴィ』 だ。魔道騎士の授け名の親の一人」
「ほい、ご明察」 シヴィは邪気のない子供のように笑った。
「よくお分かりじゃな。紹介もしおうておらぬのに」
「そのくらいのことに気付かないようじゃ、魔道騎士失格さね」 マティロウサが鼻息も荒く口を切る。
「『授け名の親』 についての知識は試問の中に入ってるんだ。知らなきゃ騎士にはなれない。分からなきゃ、騎士の位を取り上げてやるさ」
「ふむ、お前さんならやりかねんな。じゃが、15で魔道騎士になった優秀な逸材じゃ。簡単に潰してもらっては困る」
シヴィの言葉に、サフィラは老人に目を向けた。
「あなたも私の事を少しは知っておられるようだけど」
「ああ、それはこの」 シヴィは杖でマティロウサを指し示した。
「この怖い怖い魔女様に色々聞かされておったところ……おっと、何もそう怒らんでも、マティロウサ」
「誰が怖いって? え?」 マティロウサがシヴィを睨みつける。
「そんな憎まれを言ってるんだったら直ぐにここから出てってもらうからね」
「分かった分かった、だからもう一杯アサリィ茶を。ポットが空じゃよ」
「あ、ついでに私の分も、マティロウサ」
サフィラが抜け目なく便乗する。
魔女は何か怒鳴りかけようとはしたが、シヴィのにこやかな笑顔と、サフィラのお定まりの知れ顔を見ると、無言のまま、それでも『世にも不機嫌そうな』表情をその顔に浮かべることだけは忘れずに、ポットを机の上からひったくって重そうな体を震わせ部屋から出ていった。
→ 第二章・兆候 7 へ