「俺だって判ってたんだろ?」
「いーや、これっぽっちも気付かなかった」
無表情に答える J の皮肉に動じる様子もなく、
那音は J のすぐ側まで来ると、ようやくサングラスを外した。
J は素早く目の前の男を観察する。
背が高い方ではなく、真っ直ぐに立つと目の位置が J とそう変わらない。
自分の貧弱な体格を隠すためなのかどうかは知らないが、
この男は、いつも実際の体型より一回り大きいサイズの服を身につけていた。
その習性は今でも健在のようで、
スーツの肩幅は那音の肩の線よりもかなり下の方に下がっている。
自分では颯爽と着こなしているつもりかもしれないが、傍から見ると滑稽だった。
J に言わせれば、子供が父親の服を黙って持ち出して着ているような印象しか沸いてこない。
おまけに童顔で実際の年よりも若く見えるため、
なおさらこういう恰好をされると違和感を覚えてしまう。
確か、麻与香よりも10歳ほど年上の筈だが、
明るい日の下で見ると、麻与香よりも年下に見えた。
麻与香自身もそうだが、那音も時間の流れを無視して生きているようだ。
どうしても好きになれない人間は必ず何人かいるものだ。
この男も J にとってはその中の一人に当たる。
人格的なことをとやかくいう気はない。
それを言い出したら切りがない。
ただ、麻与香の親類というだけでも、J にとっては充分、会いたくない理由となるのだ。
数年振りに出くわした相手の軽そうな表情にちらりと目をやると、
J はアリヲの手を引いて、そのまま那音を通り過ぎようとした。
その腕を那音が掴む。
「そりゃないぜ、フウノ。久し振りに会ったのに。
もうちょっと愛想よくしてもいいんじゃねえ?」
J は応えない。
聞こえないフリをしている、というよりも、那音の存在そのものを無視している。
那音と J の顔を交互に見ながら、傍らのアリヲが J に尋ねた。
「このヒト、J のトモダチ?」
「違います」
きっ、とアリヲに目を向けて、きっぱりと否定する J に、那音は恨めしそうな視線を向けた。
「もう、相変わらず冷たいね、フウノは。……それにしても」
今度は那音が J とアリヲを見比べる。
「フウノが子連れとはねえ。いつの間に母親になっちゃったの……う、うわっ」
那音の言葉が終わらないうちに、J が無言で目の前の男のネクタイを引っつかんだ。
近い距離で J に睨まれた那音は急いで訂正する。
「……って、ンなワケねえよな。分かってる、分かってる。
その年で、こんな大きな子ども、いるわきゃないもんな。
髪の色も全然違うし。冗談だって、冗談」
那音は身体をよじって J の視線と手から何とか逃れると、
乱れたネクタイを直しながら、改めて J に目をやった。
「しかしまあ、しばらく見ないうちに、いい女になっちゃって。
いや、昔も勿論いい女だったけどさ、青臭さが取れて熟してきたというか……」
「人のことを木の実か何かのように言ってんじゃないよ。
失せな、チンピラ。こっちは忙しいんだ」
これ以上この男との会話を続けていたら、
つい先程までは悪くもなかった機嫌のメータが秒刻みでレッドゾーンへ突入してしまう。
そう考えた J は、早々にこの場を切り上げようと、
目の前の男の言葉を遮って、きつい目で睨みつけた。
しかし、那音の方は J の不穏に気づいていないのか、
あるいは気づかないフリをしているのか、動じた様子はない。
「フウノ、子どもの前でそんな言葉使っちゃダメだろ。なあ、坊や」
那音は傍らのアリヲの頭に手を乗せて、ガラにもない台詞で同意を求めたが、
アリヲにとっては、J の乱暴な言葉遣いなど今さら珍しいことではないので
(それもまた、アリヲの情操教育にはよろしくないことなのだが)
那音の言葉にきょとんとした表情で答えただけだった。
「アリヲに触んな」 J はオレンジの髪をなでる那音の手を振り払った。
「ロクデナシが伝染する」
俺そんなヒドくねえよ、とぼやく那音の言葉を、当然 J は無視した。
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