「おい」
さすがに堪り兼ねて NO は千代子に口調も荒々しく尋ねた。
「J はいつ帰ってくるんだ? どれだけ待ったと思っている」
頼まれて待っているわけでもない癖に、まるで相手の不実を責めるような口振りの NOに、
千代子が返した答えは、
事務所を訪れた時に NO が耳にしたものと同じくらい淡々として、乾いていた。
「ミス J のお帰りになる時間は知らされておりません」
勿論、千代子の言葉には、事実を伝える以外の意図は全くない。
だが、悪意を含む深読みが得意な NO の耳には
『お前などに教えるか』 という拒絶に聞こえ、ますます苛立ちを募らせる。
第一、戻る時間が判らないというのなら、
連絡を取ってみる、行き先を確認してみる等々、やり様はいろいろあるだろうに。
まったく、この事務所の連中ときたら。
NO は心の中で毒づいた。
主といい、助手といい、使用人といい、
すべてが自分の寛容の許容範囲を大幅に超える、不愉快極まりない奴らばかりだ。
再び NO が尋ねる。
「『あの男』 も不在のようだが……J と一緒なのか?」
「ミスター・ユサのことでしょうか」
「ここで 『あの男』 と言えば、他にはいねえだろうが」
嫌味な大女だ。いちいち確認するな。
NO は不愉快さを隠そうともせず吐き捨てた。
しかし、千代子は動じない。
「ミスター・ユサは別件で出ておられます。
あの方も、もうじきお戻りになる予定ですが」
「ちっ……」
2人揃ってウロウロと、どこをほっつき歩いているのか。
NO は軽く舌打ちし、再び口を閉ざして、さらに度が増した不機嫌さを満面に表した。
それ以上会話がないことを見て取り、来た時と同様に音もなく千代子はドアへと向かう。
しかし、千代子がノブに触れるよりも早く、ドアは軋んだ音を立てて勢いよく開いた。
男が1人、立っていた。
諛左である。
「おっと、失礼、千代子さん」
ドアの向こうに千代子の姿を見つけ、諛左は軽く微笑んだ。
唐突に現われた諛左に、さすがの千代子も少しばかり目を見開いてみせたが、
すぐにいつもの無表情に戻る。
「おかえりなさいませ、ミスター・ユサ」
千代子は静かに口を開いた。
「お客様が……」
と、千代子が伝えるよりも早く、
諛左の目は、部屋の中央にふんぞり返る無精髭の男の姿を見つけていた。
同時に NO が振り返る。
2人の目が合った一瞬後、求めた人影ではないことを知った NO は、
あからさまに嫌そうな表情を浮かべてソファに座り直す。
諛左の方は、NO の存在には特に何の感慨もないようで、
コートを脱ぎながら、冷たい視線を放っただけである。
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