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灰色の闇。
ところどころ濃い薄いのある靄が、水面に落とした古いインクのようにゆらゆらと漂いながらサフィラを包み込む。
まただ。
サフィラは、マティロウサの家で、そしてサリナスの家で体感した灰色の空間に再び自分が佇んでいることに気づいた。
ならば、今この瞬間も、夢のひとときに過ぎないのか?
誰にともなく問うサフィラに、勿論答えは返ってこない。
音もなく、周囲も見えない得体の知れない空間は、たった三度夢に描いただけなのに何故か昔から見知っていたかのような、むしろ「得体が知れない」こと以外はすべてを知り尽くしているかような不思議な既視感をサフィラにもたらした。
以前感じた息苦しさはない。まるで自分自身が灰色の闇の中に溶け込んでしまったかのようだ。
『あの人』 はどこだろう。
サフィラはゆっくりと首をめぐらせた。
厳しく凍てる眼で自分を見つめた、白い帷子の女騎士。
灰色の闇の中で出会った、やわらかな陽射しのような髪と沼のように深い瞳の騎士は。
さほど遠くないところに、サフィラは気配を感じた。
意図せずともサフィラの体がその方向へ向かって、空気の流れとともに緩やかに動き出す。
……お前を選んだことを……
声がした。
……許せとはいわぬ
……受け入れろ
声がするたびに先ほど感じた気配は濃くなり、やがてサフィラの目の前に人影が、最初はおぼろげに、そして次第に明らかな輪郭を伴って現れた。
……運命として
最後の言葉とともに、その人はサフィラの目を見た。
『あの人』 だ。白き騎士。
サフィラは今しがた耳にした言葉を己の口に出して確かめた。
「運命……選ぶ…」
自らの声が灰色の闇の中に四散するのを感じながら、それでもサフィラは騎士に問うた。
「運命とは……?」
女騎士の目が、初めてサフィラから反らされる。
初めてこの人を目にしたときは、ただ恐ろしかったサフィラだった。
だが今、その神々しいまでの美貌が曇り、まるで心のうちにある重い枷から逃れようとしているかのように、かすかな苦悶を浮かべている。
その表情は痛々しかった。
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