とりあえず、麻与香の言葉が嘘か本心かは置いておくとして、
J は一応『何でも屋』的なスタンスを取り戻し、麻与香に幾つか質問を始めた。
「……で、亭主がいなくなったってのは、いつから」
「そうねぇ……」
麻与香は涼しげに言った。まるで飼っている熱帯魚の健康状態を聞かれたかのようだ。
「ここ3、4ヶ月ってところかしら」
「3、4ヶ月……3ヶ月と4ヶ月じゃエラく差がある。いつ消えたのかもはっきり判らないってこと?」
「ふふ、もっと正確に言えば夏の初め頃よ。7月半ばね」
「丸々3ヶ月半か。……よくもそんな長い間表沙汰にならなかったもんだ。
世界を手玉に取るハコムラの総帥がいなくても、
実は世の中すべて事もなし、ってところか。皮肉なもんだ」
「主人の補佐をしているスタッフが優秀でね。
最初のうちは替え玉 - ダブル - を使って何とかなってたのよ。
ウチの亭主、表メディアには滅多に顔を出さないから」
笥村聖のメディア嫌いについては、J も何かの雑誌で読んだことがあった。
知名度の割には、テレビを始め、あらゆる媒体での露出度は極めて低い。
そのことが逆に笥村聖のカリスマ性を高めているフシもある。
「でも、そろそろ限界」
麻与香はため息をついて見せた。
「どうやら、スペルの連中が胡散臭く思い始めているらしくって」
スペル。正式にはスペル・コーポレーション。その名は J も最近よく耳にしていた。
ハコムラに次ぐ勢いを持つ外資系の新進企業である。
ハコムラの傘下に入ることを良しとせず、
己の器量だけでハコムラ印の世の中に斬り込んでいこうという、
その心意気は見上げたものだと J は思うが、
いかんせんトップとの差があり過ぎて、二の足を踏んでいる、というのが実情だろう。
「どうも連中、最近ハコムラの周辺を嗅ぎ回っているみたいなのよね。
何を嗅ぎつけたのかは知らないけど」
「そんな状況だったら、あんたがノコノコとダウンエリアにやってきて、
ウチの事務所に顔を出すのはマズいんじゃないの? しかも、たった一人で。
どう見ても、怪しさ満載だけど」
「大丈夫よ。尾行はまいたから」
尾行がいたのか。
J は、初手から避けられない厄介事の匂いを衝き付けられた気がして、さらに気が滅入った。
「護衛もいるし、車は少し離れた場所に止めたから、
アンタの事務所が割れる心配はないと思うわ」
分かってない、この女。
麻与香の自信に満ちた言葉に、今度は J がため息をつく番だった。
たとえ、どんなに身分や素性を隠そうと、
モノトーンの街の中では、麻与香の美貌はどぎつい原色さながらに目立つこと、この上ない。
鐘を鳴らして居場所を知らせながら歩いているようなものだ。
もしも麻与香の懸念が真実だとしたら、
スペルの連中とやらが、この事務所を突き止めるのも、そう先のことではないかもしれない。
そして、依頼を受ける受けないに関わらず、
自分は遅からず面倒な事に巻き込まれることになるのではないか?
J の憂鬱のゲージは、頂点の少し手前まで上がりつつあった。
→ ACT 2-8 へ