やがて、黙っていたサリナスがようやく口を開く。
「どんな理由があろうと、やはり俺は反対だ、サフィラ。お前個人の思いは分かったが、だからといって、周囲の人々に迷惑をかけてもいいということにはならん」
やっぱりな、とサフィラは肩を落とした。
タウケーンが、ホント真面目だねえ、と半ば感心するようにサリナスを見る。
そう、サリナスはすべての物事を真面目に受け止め、真面目に考え、真面目に結論を出す。サリナスは常にサリナスなのだ。
親友でもある魔道騎士を説得し損ねたサフィラは、しばらくサリナスを見つめていたが、静かに、しかし頑固なまでに決心を押し通す意志を込めて言った。
「確かにこれは私個人のことだ。だから、お前には関係ない話だ。だから、お前が何と言っても、私はもう決めてるんだ、サリナス」
「これだけ言ってもか」
「これだけ言われても、だ」
「……」
「……」
サフィラとサリナスが正面から睨み合い、両者の間に、やや険悪な雰囲気を伴った緊張感が満ちてくる。タウケーンは代わる代わる二人を見つめ、緊迫するなあ、と独り言を呟きながら事の成り行きを見守っていた。
突然サリナスが立ち上がり、扉に向かった。
「どこ行くんだ、サリナス」
ふいを突かれたサフィラが尋ねる。しかしサリナスは答えずに家の外に姿を消した。
「何だ、あいつ」
呟くサフィラに、タウケーンが、
「王女サマが反抗したから、ショックで泣いてるんじゃないの?」 とからかう。
馬鹿なことを、とサフィラが言おうとしたとき、外で小さな馬のいななきと、ひづめの音がした。
「サリナス?」
怪しんだサフィラは急いで家の外へ出る。
サリナスがみずからの愛馬に騎乗している姿を見て、サフィラは驚いた。
「どうしたんだ、サリナス」
どこに行くつもりだ、と尋ねる前に、サリナスが馬上からサフィラを見下ろして言った。
「マティロウサのところに行く」
「何!」
「俺は反対しても、お前は俺に反対する。このままでは埒があかない。マティロウサの意見も聞く」
そう来たか。
突然出てきた魔女の名前に、サフィラは心の中で舌打ちした。
あの口うるさい魔女に知られたら、それこそ何を説教されるか。
「サリナス、それは非常に困る!」 サフィラは必死にサリナスを止めた。
「第一、こんな夜中に訪ねたら迷惑だろう。年寄りは夜が早いから、きっともう寝てる。無理やり起こしたら、後が怖いぞ。だから止めろ」
「こんな夜中に俺の家を訪ねてきたお前が言うな」
サリナスはつれなく言い捨てて、そのまま馬の鼻先を街外れへと向けて歩を進めた。
「サリナス! 待てって!」
呼ばれても止まらない後姿を見送りながら、しばしサフィラは茫然とした。
「なあなあ、マティ何とかって、誰?」
と呑気に尋ねるタウケーンの言葉にサフィラは我に返り、家の前で草を食んでいた愛馬カクトゥスの背に急いで飛び乗った。
サリナスの後を追おうと手綱を取ったサフィラの背後に、身軽にタウケーンが同乗する。
「あ、何だお前! 降りろ!」
「ここまで来たら、この先どうなるか知りたいからね。俺も連れてってもらおう」
「邪魔だから降りろって!」
「あ、ほらほら、お友達がどんどん先に行っちゃうよ。早く追わないと」
「うー」
サフィラは観念してカクトゥスの腹を蹴った。常ならぬ二人分の重さに、カクトゥスが非難めいた鳴き声をあげるが、それを無視してサフィラは馬を走らせ始めた。
「なあ、だから、そのマテ何とかって誰なんだよ」
「魔女だよ! ヴェサニールの魔女!」
「魔女? 若い? いい女?」
「婆さんだ! 皺くちゃの婆さんだ!」
夜の路上にサフィラの怒号が響き、辺り一帯の家では何事かと人々の起き出す気配がした。
しかし、騒ぎの原因を探しに恐る恐る表に出てきた人々の目には誰も映らず、ただ、夜の空気の中、馬が駆ける足音と 「婆さんだ!」 と叫ぶ女の声がこだましながら、次第に遠ざかっていくのを耳にしただけだった。
(第三章・完)
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