一瞬、部屋の中を静かな空気が支配した。
「……いなくなる?」
沈黙を破ったのは、タウケーンとサリナスからほぼ同時に問い返された言葉だった。二人の視線がサフィラに注がれ、注がれた本人はそのときようやく自分が口走った言葉に気がついた。
「あ」
サフィラがしまった、と思ったときには、もう遅かった。
「それって、どういう意味」 とタウケーン。
「サフィラ、どういうことだ」 とサリナス。
「……」 そして、黙り込むサフィラ。
答えないサフィラに、さらに二人が問いかける。
「王女サマ」
「サフィラ」
「いや、深い意味は、特にない……」
サフィラは二人からの視線が徐々にきつくなってくるのを雰囲気の中で感じ取りながら、先ほどまでの威勢はどこへやら、落ち着きなく辺りを見回し、二人と目を合わせようとしない。
もしかして、とタウケーンが顎に手をやりながら、探るような目でサフィラを見た。
「……式を逃げ出そう、と思ってらっしゃる、とか?」
軽薄なバカ王子の癖に、こういうときだけ何故鋭い? とサフィラは内心ぎくりとしながらも表情は懸命に平静を保とうとした。
タウケーンの言葉に、サリナスが眉をひそめてサフィラを睨んだ。
「まさか……サフィラ、そうなのか?」
「そんな、わけ、ない、だろう?」
しかし、軽く動揺したサフィラが苦労して絞り出した言葉は、否定の意味を持ってはいたものの、聞く者の耳にはその反対の意図を伝えてしまったようだ。
「そうなんだな、サフィラ」
「本気か? 王女サマ」
「だから、違うって……」
サフィラの抵抗も、すでに弱々しい口調に変わっている。
そして、二人の男は、もうサフィラの言葉を信じていない。
「サフィラ、バカなことを考えるな」 サフィラの説得役をまず買って出たのは、勿論サリナスである。
「城ではお前の結婚式に向けて、何ヶ月も前から準備を進めているんだぞ」
そうだぜ、王女サマ、と割り込んできたのはタウケーン王子だ。
「第一、今さらそんなことをされたら俺はどうなる。結婚前に逃げられた男、なんて看板が立ったら俺の立場がないだろう」
「いや、だからな」
サフィラは何とか反論しようとしたが、サリナスとタウケーンがサフィラに二の句を継がせない。
「お前、以前言ってたよな。生まれに負わされた責任から逃れるつもりはないって。それが何だ。思いっきり逃げようとしてるじゃないか」
「個人的に言わせてもらえば、そういう行動力のある女は決して嫌いじゃないんだが、今の場合はちょっと困るぜ、王女サマ」
「……」
「第一、お前個人だけの問題じゃない。国を挙げての一大事なんだぞ。それをお前」
「そもそも、結婚式から逃げ出してどうしようっていうの。どうせ何も考えてないんだろう。勢いだけじゃ、どうにもならないことがあるんだぜ」
「……」
「呆れたものだ。よくもそんなことを思いつく。お前の今までの行動には目をつぶってきたことも多かったが、今度ばかりはそうはいかないからな」
「それはそうと本当に逃げ出すつもりなら、今日の婚約式で渡した銀星玉、返してくれな。持ち逃げされるには忍びないから」
「……二人とも、うるさい!」
堪りかねてサフィラが叫ぶ。もはや、近隣の住人への迷惑などお構いなしである。
「……」
「……」
サフィラの勢いに押されて、ようやくタウケーンとサリナスが口を閉ざす。
再び戻ってきた静けさの中、サフィラはぐったりと肩を落として疲れたように言った。
「とにかく、いったん、落ち着いて、くれ」
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