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蝶になった夢を見るのは私か それとも 蝶の夢の中にいるのが私なのか 夢はうつつ うつつは夢


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狭い部屋は、大柄な魔女と、その客だという、魔女よりも随分小柄な人物の二人がいるだけで既に一杯で、もうサフィラの入る余地がないように思われた。

「取り敢えず」 マティロウサが枯れた手を組んで、揶揄うように言った。
「この度は良い縁談がおありになったそうで、誠におめでとうございます、サフィラ王女」

「嫌がらせだな。顔が 『ざまをみ』って言ってるぞ」

「ふふん、式はもう直ぐらしいじゃないか。何でもあと二十日もないとか」

「言うな。うんざりだ。今もウィーラに八つ当たりしてきたところだ」

「おやおや、いけないねえ、花嫁様がそんなに不機嫌そうな顔してちゃあ」

「年寄りの野次馬根性で好きなように面白がるがいいさ」

「昨日今日生まれたようなヒヨコが何か言ってるようだねえ」

「結婚がうらやましいのなら、マティロウサにも誰かお似合いの相手を見つけてやらんでもない。ああ、そうだ、城の侍従長のクェイドなんてどうだ。数年前に連れ合いを亡くして、今は一人だぞ」

「はいはいはい、自分が幸せなときは、その幸せを人にも分けてあげたいっていう心境はよく分かるよ。王女様も成長したもんだねえ」

老魔女は全く取り合わない。今日のところは取り敢えずマティロウサの勝ちという雰囲気である。
目に見えて不機嫌なサフィラを黙らせると、マティロウサは客人に向き直った。

「分かったろう。こういう子なんだよ、このサフィラっていう口減らずは」

「ふーむ、成程、口の悪さじゃお前さんとどっこいじゃな」

「何だって?」

「まあまあ」

魔女の怒髪にも一向に気後れするふうもなく、老人は小柄な体をひらひらさせながら椅子から降り、サフィラに近付いていった。その足運びはまるで春風の上に乗ってでもいるかのように軽やかで、とても普通の老人の歩みとは思えない。

この老人が、有名な老シヴィであることを勿論サフィラは知らなかった。
しかし、薄汚れた衣に似合わぬ輝かしい双眸の光を見て取り、見た目のみすぼらしさとは明らかに異なる深い魂を老人に見出した。
今にも歌か何かを口ずさみそうな楽しげな表情を満面に浮かべて、シヴィはサフィラの目の前で止まった。そのままサフィラと目を合わせる。手にした杖でこつこつと何度か自分の額を叩き、じっとサフィラの目を覗き込んだ。

サフィラは目を反らせないでいた。
シヴィの瞳の中に漂う容易ならない力が、サフィラ自身の目を通じて体の中に入り込む。心の中まで染み渡ってくるような気分をサフィラは味わった。
シヴィの穏やかな瞳が、今の時期の日の光にも似て優しくサフィラを包み込む。
『至福』 という言葉を突然サフィラは思い出した。自分が今感じているのはきっとそれだ。サフィラはいつの間にか目を閉じている自分に気付いた。
この人は、魔法使いだ。サフィラは確信した。しかも、偉大な力を持っている。善き力を。

「……分かった」
ゆっくりと目を開けて、夢の中にさえ響かないような微かな囁き声でサフィラは言った。
「あなたは 『老シヴィ』 だ。魔道騎士の授け名の親の一人」

「ほい、ご明察」 シヴィは邪気のない子供のように笑った。
「よくお分かりじゃな。紹介もしおうておらぬのに」

「そのくらいのことに気付かないようじゃ、魔道騎士失格さね」 マティロウサが鼻息も荒く口を切る。
「『授け名の親』 についての知識は試問の中に入ってるんだ。知らなきゃ騎士にはなれない。分からなきゃ、騎士の位を取り上げてやるさ」

「ふむ、お前さんならやりかねんな。じゃが、15で魔道騎士になった優秀な逸材じゃ。簡単に潰してもらっては困る」

シヴィの言葉に、サフィラは老人に目を向けた。

「あなたも私の事を少しは知っておられるようだけど」

「ああ、それはこの」 シヴィは杖でマティロウサを指し示した。
「この怖い怖い魔女様に色々聞かされておったところ……おっと、何もそう怒らんでも、マティロウサ」

「誰が怖いって? え?」 マティロウサがシヴィを睨みつける。
「そんな憎まれを言ってるんだったら直ぐにここから出てってもらうからね」

「分かった分かった、だからもう一杯アサリィ茶を。ポットが空じゃよ」

「あ、ついでに私の分も、マティロウサ」

サフィラが抜け目なく便乗する。

魔女は何か怒鳴りかけようとはしたが、シヴィのにこやかな笑顔と、サフィラのお定まりの知れ顔を見ると、無言のまま、それでも『世にも不機嫌そうな』表情をその顔に浮かべることだけは忘れずに、ポットを机の上からひったくって重そうな体を震わせ部屋から出ていった。



          → 第二章・兆候 7 へ

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実に久方ぶりに訪れた街は、道端に生えている草の一本一本までが、サフィラにとっては心地好かった。城の窓から嗅ぎとる空気とはまるで違う不思議な匂いが、街の中には漂っているような気さえした。
サフィラは上機嫌で馬を駆った。

ただ一つ気に入らない点といえば、サフィラが並足で通り過ぎる度に、道行く人々が、

「これはサフィラ様、この度はおめでとうございます」

「サフィラ様、御婚約おめでとうございます」

「この度は、本当におめでとうございます」

と、さも親しげに声を掛けては、その度にサフィラに不愉快な事実を思い出させることであった。

何がめでたいものかと大声でわめき散らすわけにもいかず、何より人々の純粋な祝福の言葉を聞き捨てることも出来ずに、サフィラは優雅に微笑んで感謝を表し、顔を強張らせながら街外れへと馬を急がせた。
ヴェサニールの善良な民人の数と同じほどの悪意のない祝福を受け、マティロウサの家に辿り着いた頃にはサフィラはすっかり精を使い果たし、杭に馬を繋ぐのもいい加減に古ぼけた扉を叩いた。

「まあ、サフィラ様」

窓から差す光の中で薬草を選り分けていたウィルヴァンナが、驚いたように椅子から立ち上がるとサフィラに駆け寄った。

「お久し振りですわ。もう随分長い間お顔を見ていないような気がします」

「実際長い間だったよ、ウィーラ。何ていったって、もう半月ぶりぐらいだからな」

「本当に」

答えながら、ウィルヴァンナは扉の向こうにもう一つの人影を探すように目をやったが、そこにサリナスがいないのを知ると、少しばかり表情を曇らせた。

「今日はお一人ですのね」

「ああ、うん、サリナスの所へは後で顔を出そうと思って。久し振りだから、まずマティロウサの顔に増えた皺の数を数えてやろうと思ってね」

「そうですの」

サフィラの冗談にお愛想程度の笑みを返し、一瞬大きく溜め息をつきそうになったウィルヴァンナは慌てて口元を押さえ、そして思い出したようにサフィラに笑顔を向けた。

「ああ、そういえば、サフィラ様、この度は……」

「『おめでとうございます』 なんて言う積もりだったら、頼むから止めてくれ。聞く気はないぞ」

ウィルヴァンナの言葉を急いで遮って、サフィラは言った。

「はっきり言って私はうんざりしている。もう一万回ほども聞かされた。いや、百万回だ。まったく、結婚のどこがめでたい? めでたくなんかあるか、そんなもの」

「相当お冠のご様子ですこと」

「そりゃもう、城中が結託して私の結婚を盛り立てようとしてるもんだから、こちらは苛々しっぱなしだ。父上は私の機嫌を取るか、さもなくば陳腐な文句で私を脅しにかかるし、母上は母上でいきなり態度が強くなって、あれこれ采配を奮っては、暇があれば花嫁の心得云々を講義しに毎晩部屋へと押し掛ける。はっきり言って、あの人は今は父上よりも怖いぞ。なにせ嫁ぐのが女の幸せ、と本気で思ってるような人だからな。女の一念は雨季の洪水よりも激しく強い。下手に逆らうとどうなるか。それに、忠義一筋の老いぼれ侍従や騒ぎが好きなお喋り侍女も加わって、ドレスの仕立てがどうだ、礼儀作法がどうだ、言葉遣いがどうだ、もうやいのやいの煩いったら! いっそ誰かと変わってやりたいよ」

「御苦労なさってるんですのね、サフィラ様」

一気にまくし立てたサフィラに向かって、同情するようにウィルヴァンナがやんわりと言った。

「苦労も何も……いや、愚痴を言ったって今更どうにもならん。それよりマティロウサはいる?」

「ええ、でも、今、丁度お客様が見えていて」

「客?」 驚いたようにサフィラは尋ねた。「客って、マティロウサに?」

「ええ。今、奥の部屋でお話しなさっておられますわ。何でも、かなり旧くからのお知り合いとか」

「ふーん。珍しいな、客なんて。どんな人?」

ウィルヴァンナが答えるよりも早く、奥の扉の向こうから魔女の嗄れた声がサフィラの耳を打った。

「魔白だね。お入り」

「客人がいるんじゃないのかい? 入っていいの?」

「おや、それでも 『遠慮』って言葉の意味を少しは覚えたらしいね」

「あいにく今はそんな憎まれを聞いたって動じるような心境じゃないのでね。『遠・慮』 なく入るから」

サフィラの皮肉めかした言葉に続いて重々しい悲鳴を上げて木の扉が開き、相変らずのすえた匂いが隙間から漂ってきてサフィラの鼻を突く。臘の溶ける音が静かに響いた。



          → 第二章・兆候 6 へ

老人は、マティロウサの久方ぶりの客人である。
まさしくこの魔女の知己に相応しく、幾星霜もの時を生き、この世で起こる全ての事をその穏やかな瞳で見据えてきたであろうような風貌である。

マティロウサに出されたアサリィ茶を啜りながら、老人は今、まるで美しい音楽でも聞いているような表情で目を閉じ、考え事をしている。
それをマティロウサが腹立たしげに、そして幾分不安げに睨んでいた。

「ふむ、じゃあないだろ? さっきから話をはぐらかしてばっかりじゃないか。いい加減、本題に入っとくれよ。ただでさえこっちは驚いてるんだからね。谷に籠って以来なんの音沙汰もなかったあんたが、今になって顔出すなんてさ。一体どういう訳があって……」

「谷にも飽きてな、というのは理由にならんか」

「ならないよ」

にべもなくマティロウサが否定する。

「はっきり言っとくれよ、シヴィ。何で今更あたしを訪ねてきたのさ」

「予想はついておるんじゃないのかね? え、マティロウサ。お前様だって感じておらん訳じゃなかろうが」

「何をさ」

老人は答えず黙り込む。

「シヴィ」 マティロウサは、もう一度声をかけた。

シヴィと呼ばれたその老人は、アサリィ茶を一啜りして、ようやく言葉を絞り出した。

「……時が経てば、期は満ちる。どうやら、そういうことじゃ」

今度はマティロウサが口を閉ざす番だった。老いた魔女の表情が少しずつ強張っていくのを見つめながら、シヴィはゆっくりと、そして一言一言はっきりと言った。

「わし等はずっとそれを知っていたじゃろう? マティロウサ。いずれこの時が来るのをな。いわゆる……伝説の具現を」

「……七と一つの水晶」

マティロウサの声が震える。普段の魔女からは考えられないことである。

シヴィが静かに頷いた時、マティロウサはほんの少し青褪めながらも、落ち着きを取り戻した

「『目覚め』 が、近い……と?」

「ううむ」

マティロウサは眉根に深い皺をよせ、半分目を閉じて何事かを思い悩んでいる様子で再び黙り込んだ。部屋の中を沈黙が支配する。

やがて魔女が口を開く。

「でも、あたしたちには手出しができない。あんただって分かってるんだろう」

「直接関わるわけにはいかん。じゃが、『騎士』 達の手助けをするぐらいは出来る。それに 『黒き歌人』 はもう既に目覚めておる」 シヴィは言葉を切った。「谷でな」

「一人だけが目覚めていても意味はないよ、シヴィ。他の 『騎士』 達が必要だよ」

「水晶が 『目覚め』 れば、『騎士』 達もそれに魅かれて世に現われよう。その逆もまた然り。『騎士』 達の気配があれば、水晶はそれを追う。あの古の詩のようにな」

「あの詩……」

マティロウサは心の中にしまいこんだ記憶のかけらを静かに呼び起こすように、我知らず一つの詩を口ずさみ始めた。

「 その上 ナ・ジラーグというありて
 かの地ダルヴァミルにとどまり
 奇しく織り成す数多の彩を縒り集めて
 七と一つの水晶を造れり……

 ずっと伝説のままでいてほしかったね、出来ることなら」

「それも叶わぬことじゃ」

マティロウサは大きく溜め息を一つついた。まるで国を一つ消してしまう程の魔力を使い果たした後のように、貌からは血の気が引き、鋭い瞳にはいつにない疲労の影がありありと見て取れた。
シヴィすら、話し終える前と後では顔付きが少しばかり変って見え、先程マティロウサに軽口を叩いていた時に比べると、やはり表情は暗い。

アサリィ茶がすっかり冷えきって茶碗の中に残っているのを見て、マティロウサは大儀そうに手を延ばし、机の端に置いてあるポットを引き寄せた。

「しかし」

少しばかり忌々しそうに、マティロウサは呟きよりも大きな声で言った。

「しかしまあ、一体何て話を手土産に持って来てくれたもんだろうね、まったく。そうと分かってたら、家に入れるんじゃなかったよ。ああ、腹が立つったら」

「八つ当たりはいかん、八つ当たりは。運命には逆らえんよ、いくら魔女のお前さんでもな。まあ、ここでうだうだ言っていても仕方のないことじゃ。そういうわけで、わしにも茶をもう一杯」

いつの間にか、シヴィは元の穏やかな顔に戻っていた。差し出した茶碗にマティロウサがぶつぶつ言いながら薬草茶を注ぐのに目をやり、シヴィはぽつりと呟いた。

「わしらがこの世に生を受けるそれ以前からの約束事じゃ。妖精達すら覚えておらぬ昔の事ゆえ」

「伝説の具現、か」

マティロウサが面白くなさそうにシヴィの言葉を引き取った。

「そういえば、この間、氷魔が同じような事を言ってたよ」

「氷魔というと? 魔道騎士の名らしいが」

「あたしが位を授けてやった子でね。まだ16のくせに一度で受かっちまった可愛げのない若造さ」

「ほう、16才でのう」

シヴィが興味をそそられたように身を乗り出す。先程までしていた深刻な話のことなどもう忘れてしまったかのようだった。話題が変わってむしろ喜んでいるようにも見える。

「それは、さぞ優秀な騎士であろうな」

「年若くして資格を得るのが優秀だというなら、もっと優秀な子がいるよ」
皮肉めかした口調で魔女は言った。
「そっちの方はもっと問題の多い子だけどね。魔白っていって、15になって五日も経たないうちに騎士になっちまったよ」

「15?」 さすがに驚いたようにシヴィが尋ね返した。「そんな子がいるのかね?」

「いるんだよ、それが」

「ほう。逢うてみたいもんじゃな」

「あんたとなら話も合うだろうさ。何てったって憎まれ口と減らず口と軽口しか知らない子だからね。しかも厄介なことに、このヴェサニールの跡継ぎで、やんごとない王女の身ときている」

「変わった娘じゃな。ますます逢うてみたくなった」

「逢えるかどうか。前はちょくちょくここに顔を出してたけど、今はそうもいかないらしくてね。何しろあんな話がいきなり持ち上がっちまっちゃあ」

「あんな、とは?」

シヴィの問いに、複雑な表情でマティロウサは答えた。

「結婚話さ」



          → 第二章・兆候 5 へ

一人になったサフィラは寝台の上に寝そべって、ぼんやりと取り留めのない考え事をしていた。
が、暫くして突然身を起こし、先程立ち去ったトリビアとリヴィールをもう一度呼び付けた。

「お呼びですか?」

明るい空色のドレスをひらひらさせてトリビアが、少し遅れてリヴィールが再び部屋に姿を現した。

「マティロウサの所へ行く。ブーツとマントの用意を」

「あら、まあ、随分お久し振りのことでございますわね」

「うん。夕方までには帰ると思うから」

「でも、父王様がお許しになられますかしら? ご結婚間近で、ただでさえ神経を磨り減らしておいでですのに」

リヴィールがマントの留め金をサフィラの肩に回しながら訝しんだ。

「何、どうせいつものお忍びだから、許そうが許すまいが構わないよ。でも、そうだな、もしお前達が咎められでもしたら 『結婚してやるんだから、文句は言うな』 とでも言っておけ」

そんなこと言えませんわ、と口を押さえる侍女達をどうにか取りなし、「安心しろ、ちゃんと戻ってくるから」と言って、サフィラは部屋を出た。

このまま逃げ出してしまいたいのは山々だが、と言い掛けて、思わず口を閉じたサフィラである。


街道の外れのマティロウサの家に、客が訪れることはめったに無かった。
薬草を分けて貰いに来る街の民や、魔道騎士の試問を受けに来る若者達、怪我をして運び込まれた人々以外に、この魔女の家の扉を叩く者は、サフィラとサリナスぐらいのものである。
もっとも、この二人は大抵の場合、呼ばれもしないのに押しかける口であるが。

訪れる人がないのは、人々がマティロウサを少なからず恐れていたせいもあるが、マティロウサ自身が人との付き合いを好まなかったことも一つの理由であった。

「こんな不健康な家の中に日がな一日閉じ籠って……」 サフィラはよくこう揶揄った。
「たまには外に出て人と話さないと、そのうち体に黴が生えて腐ってしまうぞ。まあ、もうそうなってるかもしれないが」

少しは年寄りに敬意を払ったらどうなんだい、と、その時はサフィラを罵ったものだ。

今、マティロウサは、例の暗く狭い小部屋の中で、相変わらず魔道の品々に囲まれながら、ぼんやりと蝋燭の灯りを睨んでいた。
その光に照らされて、マティロウサの他に今一人、壁に打ち付けられた棚の面に影を落としている人物がいた。

ウィルヴァンナではない。
ずっと小柄で、ずっと年降りている老人であった。
茶色とも緑ともつかない枯れ葉色の長衣は、薄暗い部屋の中では薄墨よりも濃い灰色に見え、向かい合っている魔女と同じくらいに皺を浮かべた、もっともマティロウサのそれよりは遥かに穏やかではあるが、その容貌は見る者の心に奇妙な親しみ安さを沸き上がらせる。

今、その老人は静かに目を閉じ、マティロウサの大きな机に片肘ついて頭を支えていた。
その表情は楽しげで、微かに微笑を浮かべているかのようにさえ見えた。

マティロウサは、本当に老人が笑っていると思ったらしく、思い切り眉をひそめて口を曲げた。

「一体、何が可笑しくてにやけてるんだい、え?」

その苦々しげな口調に、思わず蝋燭の火も影をひそめて細くなる。老人は文句を言われてなお楽しそうな様子で、言葉を返した。

「いや、別に何が可笑しいと言うわけではない。これがわしの地顔なんじゃから仕方がないじゃろう」

「ったく、何時見ても幸せそうな顔してさ。見てると腹が立ってくるね」

「お前さんは何時見ても怒ったような顔をしているから、ちょうど釣り合いが取れていいんじゃないのかな? うん」

「誰が人の顔の心配までしてくれって言ったかね」

「ほい、心配はしとらん。いい面相じゃ。人を怖がらせるにはもってこいの顔じゃな」

「そういう褒め方をされて、喜ぶ人間がいるとでもお思いかね。顔のことなんかどうだっていいんだよ、今は。あんただって、わざわざ人の御面相にケチつけに遠路はるばるあたしを訪ねて来たわけじゃないだろうが、ええ?」

「ふむ」

老人は、枯れた指先で白い髭に触れながら、相変らず人の良さそうな顔で思案に耽った。



          → 第二章・兆候 4 へ

「でも」 不審そうな目をサフィラに向けて、トリビアは言った。
「サフィラ様。父王様の命に従う、とか何とかおっしゃって、その実、何か良からぬ事を企んでいらっしゃるんじゃありませんの?」

一瞬、サフィラの心臓がぎくり、と音を立てたが、それを面に出すようでは魔道騎士の名折れである。努めて平然としてサフィラはトリビアに聞き返した。

「良からぬ事とは何だ、失礼な奴だな。十五年目にして漸く、親孝行でもしてやろうかなと思い立った私の真心を疑うのか」

我ながらよく言う、と思いながらも、サフィラは顔だけは大真面目で続けた。

「親の言う事に耳を貸さず、日がな一日魔道に明け暮れては、父上の心を悩ませ続けた。悪いことをしたと思っている。せめてこれからは父上に苦労をかけず……」

「私、はっきり申しまして」
サフィラの舌が浮くような言葉を遮って、トリビアが妙に強い口調で言った。
「今までずっとサフィラ様のお側務めをして参りましたが、私の経験から申しましても、サフィラ様がその様な殊勝なお方であるとは、失礼ですがとてもとても思えませんわ」

「確かに、その通りですわ、お姉様」 妹のリヴィールが姉の言葉を継いで口を開く。
「サフィラ様が、いくらお父上の命とはいえ、意に染まぬご結婚を黙ってお認めになるなんて、絶対に変ですわ。サフィラ様、一体何を企んでおいでですの?」

痛いところをつかれながらも、サフィラは平静に答える。

「随分な言われ様じゃないか。じゃあ何か、私が腹立ちの余り見境をなくして、城の一つでも破壊してみせればそれはいかにも私らしく、充分あり得る行動だ、とでもいうのか、え?」

「そうですわね、その方がサフィラ様らしくて納得できますわ」

「お前ね、人のことを怪物か何かみたいに……」

サフィラは思わずむっとした。主人と侍女の間柄も何のその、乳姉妹の気安さで、つい生意気な口を利いてしまうのも困り物である。

「さっきから聞いてると、お前達はまるで私を思慮思案とは縁のない原始人か何かのように思ってないか? 私はそんな浅墓で無鉄砲じゃないぞ。私だってもう子供じゃない。分別くらい持っているさ。何時までも駄々をこねて、年寄り連中を困らせようなんて不心得なことは考えていないよ」

ああ、歯が浮く、と自ら思いながらも、サフィラはいかにも殊勝な態度で言葉を切った。魔道騎士も口八丁、素人相手に冷静さを装えないで何とする。

不審そうな二人の視線が互いに相手を見合わせる。

「『分別』ねえ……」
トリビアがサフィラの脱ぎ捨てた衣装を腕に抱えながら、部屋のドアへと向かった。
「サフィラ様の口からそのようなご立派なお言葉が出るとは思いも寄りませんでしたわね」

「本当に、お姉様」

それはかなり失礼だぞ、とサフィラが言うより早く、トリビアとリヴィールは、『私達が信用するとでもお思いですか』とでも言いたげな表情をありありと面に浮かべて、そそくさと部屋を後にした。

さすがに、幼い頃からサフィラと共に育っただけあって、この侍女姉妹はサフィラの性格をよく知っていた。
二人を誤魔化すのは容易ではないかもしれない。
詮索好きで、おまけに勝手な推測が得意ときている。二人の口から洩れてサフィラの『よからぬ企み』が王の知る所となったら、また厄介なことになり兼ねない。

魔道を使って二人の気を逸らすのは至極簡単なことだが、幼馴染みにそんな真似をしたくはないし、何よりもサフィラ自身、魔道で人の心を思うままに操るのは嫌いなだった。
それは人の意志を殺すことであり、心を弄ぶことに他ならない。
そういうサフィラの潔癖な考えこそが、今、自分を悩ませているのだが。



          → 第二章・兆候 3 へ

城では、サフィラの婚礼の準備が滞りなく進められていた。
さぞや反発するであろうと王が予期し恐れていたのに反して、意外にもサフィラの態度は静かなものだった。王、王妃と全く口を利かなくなってしまったことは別として、侍女のトリビア、リヴィールが不審に思う程、サフィラは大人しかった。

付け焼き刃にも似た礼儀作法の練習、ウェディング・ドレスの仮縫い、歌、踊りの特訓、全ての事をサフィラは黙って、言われるがままにこなしていった。
大抵の人間は、サフィラのこの反応に驚いたが、どんなに男勝りの格好をしていたところで、所詮は娘、年頃になってようやく失われていた少女らしさが戻ってきたのだろう、という意見に落ち着いた。そう言いながらも、皆の心に一抹の不安がないわけではなかったが。

もしマティロウサがそんなサフィラの様子を聞いたら、鼻を鳴らしてこう言ったことであろう。

「ふん、あの子がそんなしおらしいタマなもんかい。逃げ出すスキを狙ってるだけだろうよ」

実際、隣国の王子タウケーンとの婚約が知らされた時から、サフィラは本気で城を壊して逃げ出してやろうかと考えた事もあった。
ヴェサニールの世継ぎとして生まれ、いつの日か統治者となり、この国を統べる覚悟はサフィラにもあったが、結婚という計画はサフィラの頭の中から抜け落ちていた。
考えてもみなかったことだった。しかし、よく考えれば、あって当然の話である。
フィランデの王子を婿にもらって、ゆくゆくはサフィラと二人でヴェサニールを治めていく。
となると、王子は未来の王となるわけである。
確かに、フィランデ側としては、おいしい話かもしれない。
実際、ヴェサニールの国の王位は世襲を基本としているが、必ずしも源を同じくする血筋の者が受け継いできたわけではない。

しかも、この結婚話は単なる政略結婚ではない。
今のところ、ヴェサニールは隣国フィランデと姻戚関係を作らなくてはならない理由は取り立ててないし、外交上、フィランデもそれは同様である。
要するに、今のままではまともな結婚は望めないであろう二人を娶せ、合法的に片付けようという二国の暗黙の了解が、この縁談の底に流れているのである。
こんなふうにいかにも厄介者扱いされて、それでも黙って両親の命令に従うほど、サフィラは寛大で物分かりの良い娘ではなかったのだ。当然ながら。

本当に逃げ出したらどうなるだろうか。サフィラは考えた。
結婚式までまだ間がある時に騒ぎを起こすのはまずいだろう。逃げるなら式の直前がいい。
いや、直前といわず、式の途中で姿をくらますのが、一番効果的なのではないか?
いつまでも来ない花嫁を待って、式場でぼんやりと突っ立っているタウケーン王子や、自分の父親の姿を思い浮かべると、ふさいだサフィラの気分も少しは良くなるというものだった。

そういうわけで、結婚式が行われるまでの間、心の中にさまざまな計画を秘めながら 「不承不承ながらも諦めた花嫁役」を演じてきたのである。

「そういえば、サフィラ様」

いよいよ式も半月後と迫ったとある日の午後。
サフィラの衣装の着替えを手伝いながら、トリビアが言った。

「明日、フィランデから正式に御使者様がいらっしゃるそうですわ。なんでも、花婿であるタウケーン王子からサフィラ様への贈り物を届けに参られるとか。さぞ美しい銀星玉ですわよ、きっと」

「銀星玉? 何だそれ」

「あら、サフィラ様、クェイト様がフィランデ国についてお話をなさった時に、言ってらしたじゃありませんか」 トリヴィアが大きな目をくるくるさせて言う。
「昔からフィランデの王族の方々は、その貴い血筋を現わすために、数ある宝石の中でも最も高貴と称される銀星玉の装飾品を身に着けておいでですのよ。サフィラ様も今度新たに向こうの王族の一員となられるのですから、婚姻の贈り物としてこれほど相応しい品もございませんでしょう?」

「ああ、そう言えばそんな話も聞いたような」

本当は聞いたことすら思い出せないサフィラだったが、適当にトリヴィアに相槌を打ってみせる。

「しっかりなさってくださいな、サフィラ様。結婚なさるのは貴方なんですから」

「そんな念は押さなくていい」

「でも、もし本当に銀星玉をいただかれたら、私達にも見せてくださいましね」

「そんな物欲しくはないがな、私は。そうだ、もし貰ったら、お前たちにくれてやろう」

「結婚なさるのはサフィラ様です。何度も同じ事を言わせないで下さいませ。侍女の私たちが頂いてどうするんですか」

サフィラの髪を梳きながら、きっぱりと言い放つリヴィールに、サフィラがため息をつく。

「そうは言ってもな、リヴィール。全ての事が自分の意に染まぬ方向へと向かっているのを目の当たりにするのは気が滅入る。しかも自分以外のほぼ全ての人間はそれを喜んでいるんだぞ」

「あら。ご結婚の覚悟をお決めになったのではなかったんですの?」

「覚悟は決めたが、だからといって結婚したいわけではない。だが」

サフィラはすっくと立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き出した。侍女達が、あらまあじっとしていてくださいな、と言いながらその後をついてまわる。

「だが、どんなに理不尽で、小心物のくせに強引で、愛妻家と見えて実際のところは恐妻家、自分勝手で、我儘で、見栄っ張りな父親でも、親は親だ。駄々をこねて困らせるのも大人げがない。例えどんなに理不尽で、強引で、自分勝手で、我儘な命令であろうとも」

「結構、根に持っていらっしゃるんですのね」

「当たり前だ」



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プロフィール
HN:
J. MOON
性別:
女性
自己紹介:
本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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