城では、サフィラの婚礼の準備が滞りなく進められていた。
さぞや反発するであろうと王が予期し恐れていたのに反して、意外にもサフィラの態度は静かなものだった。王、王妃と全く口を利かなくなってしまったことは別として、侍女のトリビア、リヴィールが不審に思う程、サフィラは大人しかった。
付け焼き刃にも似た礼儀作法の練習、ウェディング・ドレスの仮縫い、歌、踊りの特訓、全ての事をサフィラは黙って、言われるがままにこなしていった。
大抵の人間は、サフィラのこの反応に驚いたが、どんなに男勝りの格好をしていたところで、所詮は娘、年頃になってようやく失われていた少女らしさが戻ってきたのだろう、という意見に落ち着いた。そう言いながらも、皆の心に一抹の不安がないわけではなかったが。
もしマティロウサがそんなサフィラの様子を聞いたら、鼻を鳴らしてこう言ったことであろう。
「ふん、あの子がそんなしおらしいタマなもんかい。逃げ出すスキを狙ってるだけだろうよ」
実際、隣国の王子タウケーンとの婚約が知らされた時から、サフィラは本気で城を壊して逃げ出してやろうかと考えた事もあった。
ヴェサニールの世継ぎとして生まれ、いつの日か統治者となり、この国を統べる覚悟はサフィラにもあったが、結婚という計画はサフィラの頭の中から抜け落ちていた。
考えてもみなかったことだった。しかし、よく考えれば、あって当然の話である。
フィランデの王子を婿にもらって、ゆくゆくはサフィラと二人でヴェサニールを治めていく。
となると、王子は未来の王となるわけである。
確かに、フィランデ側としては、おいしい話かもしれない。
実際、ヴェサニールの国の王位は世襲を基本としているが、必ずしも源を同じくする血筋の者が受け継いできたわけではない。
しかも、この結婚話は単なる政略結婚ではない。
今のところ、ヴェサニールは隣国フィランデと姻戚関係を作らなくてはならない理由は取り立ててないし、外交上、フィランデもそれは同様である。
要するに、今のままではまともな結婚は望めないであろう二人を娶せ、合法的に片付けようという二国の暗黙の了解が、この縁談の底に流れているのである。
こんなふうにいかにも厄介者扱いされて、それでも黙って両親の命令に従うほど、サフィラは寛大で物分かりの良い娘ではなかったのだ。当然ながら。
本当に逃げ出したらどうなるだろうか。サフィラは考えた。
結婚式までまだ間がある時に騒ぎを起こすのはまずいだろう。逃げるなら式の直前がいい。
いや、直前といわず、式の途中で姿をくらますのが、一番効果的なのではないか?
いつまでも来ない花嫁を待って、式場でぼんやりと突っ立っているタウケーン王子や、自分の父親の姿を思い浮かべると、ふさいだサフィラの気分も少しは良くなるというものだった。
そういうわけで、結婚式が行われるまでの間、心の中にさまざまな計画を秘めながら 「不承不承ながらも諦めた花嫁役」を演じてきたのである。
「そういえば、サフィラ様」
いよいよ式も半月後と迫ったとある日の午後。
サフィラの衣装の着替えを手伝いながら、トリビアが言った。
「明日、フィランデから正式に御使者様がいらっしゃるそうですわ。なんでも、花婿であるタウケーン王子からサフィラ様への贈り物を届けに参られるとか。さぞ美しい銀星玉ですわよ、きっと」
「銀星玉? 何だそれ」
「あら、サフィラ様、クェイト様がフィランデ国についてお話をなさった時に、言ってらしたじゃありませんか」 トリヴィアが大きな目をくるくるさせて言う。
「昔からフィランデの王族の方々は、その貴い血筋を現わすために、数ある宝石の中でも最も高貴と称される銀星玉の装飾品を身に着けておいでですのよ。サフィラ様も今度新たに向こうの王族の一員となられるのですから、婚姻の贈り物としてこれほど相応しい品もございませんでしょう?」
「ああ、そう言えばそんな話も聞いたような」
本当は聞いたことすら思い出せないサフィラだったが、適当にトリヴィアに相槌を打ってみせる。
「しっかりなさってくださいな、サフィラ様。結婚なさるのは貴方なんですから」
「そんな念は押さなくていい」
「でも、もし本当に銀星玉をいただかれたら、私達にも見せてくださいましね」
「そんな物欲しくはないがな、私は。そうだ、もし貰ったら、お前たちにくれてやろう」
「結婚なさるのはサフィラ様です。何度も同じ事を言わせないで下さいませ。侍女の私たちが頂いてどうするんですか」
サフィラの髪を梳きながら、きっぱりと言い放つリヴィールに、サフィラがため息をつく。
「そうは言ってもな、リヴィール。全ての事が自分の意に染まぬ方向へと向かっているのを目の当たりにするのは気が滅入る。しかも自分以外のほぼ全ての人間はそれを喜んでいるんだぞ」
「あら。ご結婚の覚悟をお決めになったのではなかったんですの?」
「覚悟は決めたが、だからといって結婚したいわけではない。だが」
サフィラはすっくと立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き出した。侍女達が、あらまあじっとしていてくださいな、と言いながらその後をついてまわる。
「だが、どんなに理不尽で、小心物のくせに強引で、愛妻家と見えて実際のところは恐妻家、自分勝手で、我儘で、見栄っ張りな父親でも、親は親だ。駄々をこねて困らせるのも大人げがない。例えどんなに理不尽で、強引で、自分勝手で、我儘な命令であろうとも」
「結構、根に持っていらっしゃるんですのね」
「当たり前だ」
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