サフィラは馬の手綱を馬舎の番人に渡して、今では毎日の日課とも言える王の呼び出しを予想しながら、自分の部屋へと向かった。
今頃は侍従が恭しく王の御前で敬礼してこう言っているところだろう。
「御主人様。サフィラ王女が今お戻りになりました」
ところがその日はいつもと様子が違っていた。
いつまでたっても侍従は現れず、珍しいこともあるものだとサフィラは半ば腑に落ちない面持ちで自分の部屋の扉に手を掛けた。
「まあ、お帰りなさいませ、サフィラ様」
扉を開けた途端、けたたましくも礼儀正しくサフィラを迎えたのは、侍女の双子姉妹トリビアとリヴィールである。明るい空色のメイド用ドレスをばたつかせながら二人はサフィラに駆けよった。
「今日はいつもよりお早いお帰りでしたのね」
サフィラの肩からマントを取り外しながら、妹の方のリヴィールが尋ねた。
「うん? そうだな。魔女殿のご機嫌を損ねそうになったので、早めに退散したんだ」
「そんなこと、どうでもよろしいですわ。それより」
姉のトリビアが運んできた新しい衣装を椅子の上に置くと、サフィラにずいっと近寄り小声で言った。
「それより王様がお呼びですのよ」
「父上が?」
サフィラはがっかりしたように寝台の上に腰を下ろした。
「あーあ、クェイトの爺様がいつまでたっても呼びにこないから、今日は説教なしだと思ったのに」
クェイトとは例の忠義一途の老侍従の名前である。
「爺様、倒れたのか? それとも頭の血管でも切れたか? いると欝陶しいけど、いないとそれはそれでつまらん。あいつの 『王がお呼びです』 が聞けないと城に帰った気がしないな」
「呑気なことを。クェイトさんはいつも通り、必要以上にお元気ですわ、サフィラ様。ね、お姉さま」
「ええ、そうですの。いえ、実は王様直々のお達示ですのよ。サフィラ様がお帰りになったらすぐに王様にお顔をお見せになるようにって」
「それが不思議なんですの」 リヴィールが一段と声をひそめて囁いた。
「いつもだったら、サフィラ様がこっそり城をお出になると、まあ王様の不機嫌なことといったらもう手の付けようがないほどですのに、今日に限って、ね、お姉さま」
「そう、今日に限って、これがまたえらく様子が違っていらっしゃるものだから、あたくしたち二人、一体どうなさったのかしらって先程も話しておりましたのよ」
「そうそう。心ここにあらずっていう感じで、妙にソワソワなさって。それでいて時折思い出したようにニコニコなさって、いつものご不興ぶりはすっかり影をひそめて。ね、お姉さま」
「そうなんですの。そうかと思えば、いきなりムッツリと難しいお顔をなすって、何か考え込まれたり。きっと何かフクザツな思いが心の内におありに違いありませんわ」
「ソワソワしてニコニコしてムッツリ…。我が父ながら不気味だな。近頃の陽気がついに頭にきたか」
「その言い様では、王様がお可哀相ですわ、サフィラ様」一応、姉の方がサフィラをたしなめる。
「だって、あの父上だぞ。訳もなく様子が変わる筈もないだろう。何か心当たりは……」
「それそれ、そのことなんですが」
サフィラに言葉を続ける暇を与えず、ひたすら二人の姉妹侍女は喋り続けた。
「妹が今日、サフィラ様が城を出たすぐ後でどこぞの国のお使者らしき人を見たと申しますの」
「ほんのすぐ後でしたのよ。窓からサフィラ様を見送って、こう、わたくしが一度外へ背を向け、ふと何気なく振り返った時にそのお使者の姿が見えましたの。丁度サフィラ様とサリナス様が行かれたのとは逆の方角から」
「きっとその方が何かそのフクザツな知らせを持っていらしたに違いありませんわ」
「それでね、お姉さまったら、そのお使者がフィランデの国の方だ、なんて自分が見てもいないのにそう言い張るんですのよ」
「だって、リヴィール、あなたその方が緑の色の衣装を着てらしたって言ったじゃないの。フィランデは森の国よ。森の国の人間が緑を着てどこがおかしいっていうの?」
「森の人々だからって緑ばかり着ているとは限りませんわよ、お姉さま。緑を好むなら草原の民だって同じですわ」
「でもあの街道はフィランデからアクウィラへと続いてこの国ヴェサニールを通っているのよ。お使者がいらっしゃったのはフィランデの方角だったんでしょ?」
「フィランデの向う側にだって国はありますわ。フィランデからとは限りません」
「リヴィール、あなたこそまるで分っているような言い方をするじゃないの」
「あら、そんなことありませんわ、ねぇ、サフィラ様、どう思います?」
二人は答えを求めるようにサフィラに目をやった。
「要するに」
二人の会話が跡切れるのを待っていたサフィラが、疲れたように頭に手をやって口を開いた。
「要するに、どこぞの国から使者が来て、それが緑の服を着ていて、今日の父上の様子が不可解で、私はその父上に呼ばれているんだな」
トリビアとリヴィールはお互いの顔を見合わせ、サフィラの方に目を戻すと言った。
「要するに、そういうことですわ、サフィラ様」
話の長い侍女というのも考え物かもしれない。
部屋を出て王の間に向かいながらサフィラは心の内で思った。
しかも、似たような顔つきの二人が交互に話すものだから、聞いている方は少なからず混乱する。この姉妹侍女と言葉をかわす度にサフィラが幾度ともなく思うことである。
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