「せめて『王女』でさえなかったらねぇ……」
結局のところ、マティロウサの結論はいつもそこに行きつくのだ。
サフィラが世継ぎの君などでなかったら、自分だってこの娘の才がどんなに立派に伸びていくか目を細めて見守っていられるだろうに。
「ああ、残念だったらないね」
「だからもう『王女』だとか言うのはやめておくれって、マティロウサ。この家にいる時は 『魔白(マギ・アシェ)』 と呼べって何度も言ってるだろう」
サフィラはじれったそうに言った。
『魔白』 というのは騎士の称号と共にサフィラに授けられた魔道名である。
「最近とみに口うるさくなったな、マティロウサは。こんなに文句を言われたんじゃ、これからはこの家に来にくくなってしまう」
「それこそ願ったりだね。どうせもう教えるようなことはないんだから。こう毎日毎日来られたんじゃかなわない。で、今日はどんな暇つぶしをなさりにおいでたのかね?」
「何という言い草。魔道に勤しむため来たに決まってるじゃないか」
こう言ってサフィラは思い出したようにさきほどの巻き物に目を戻した。
「この古文書、まだ私が読んでないやつだね」
「ああ、ずっとしまっておいたからね。しかし」 マティロウサはため息をついた。
「魔道に勤しむため、とはまた立派なことを言ってくれるじゃないか。魔道騎士の鏡だよ。でもね、いいかい、どんなに嫌がったって、やっぱりお前さまは王女、そしてこのヴェサニールの跡継ぎなんだから、そういう立場にある者としての自覚というものをだね……これ、聞いているのかい、サフィラ」
「無駄だよ、マティロウサ」 サリナスは割り込むように口をはさんだ。
「まったく耳に入ってないようだ」
サリナスの言葉通り、今のサフィラの関心はさきほどから気になっていた枯葉色の巻き物に注がれていた。マティロウサの話に聞き入っているようには見えない。
サフィラを弁護するようにサリナスは言った。
「自分がまだ目を通していない本や古文書があれば、読んでみないことには気が済まない。何とも勉強熱心な魔道騎士だ、と言うべきだろう。確かに王女ではある。だが、同時に若くして称号を受けることができた優秀な魔道騎士でもある。本人がああいうふうなんだから仕方がない。それに、サフィラは不遜になどなっていないさ。15というのは早すぎたかもしれないが、たゆまぬ努力はしているようだ」
「偉そうに。16で資格を取ったお前が言える台詞じゃないよ、氷魔(マギ・フロウ)」
氷魔というのはサリナスの魔道名である。マティロウサは言葉を続けた。
「大体、十代で魔道騎士になれる人間なんて、そうそういるもんじゃないんだよ。分かってんのかい? お前は今21才だけど……」
「22」
「……22才だけど、それでも普通に騎士になるには若すぎる年だ。これは 『幸運』 だけで片付けられる問題じゃないんだからね」
「分ってるよ。絶対に無駄にはしない」
「当り前さね」
「あれからもう六年だ。俺に称号をくれたのもマティロウサだったな」
サリナスが懐かしむように遠い目をした。
「マティロウサには本当にいろいろ教わった。感謝しているよ」
「ふん」
何を今更、という表情をしつつ、まんざらでもない様子のマティロウサである。
いつの間にかウィルヴァンナが部屋の中に静かに入ってきてマティロウサの側に控えていた。
マティロウサはこの 『夢解き』 の娘をちらりと見たが何も言わなかった。
サリナスが言葉を続ける。
「騎士の称号を授ける権利がある魔法使いたちの中で、居場所が確実に知れていたのはマティロウサだけだったからな。あなたの他は行方が知れなかったり、生きているのかどうかさえ分らなかった」
「そのせいでこっちは大忙しさ。なにしろあたしはヴェサニールの国が出来る前からここに住んでいたんだ。ア・アーカウラやカイナックなんて奴らは一つ所に落ち着いたためしがない。名は知られていても放浪の生を送ってるから今どこにいるかも分らない。おかげで魔道騎士になろうって連中は皆あたしのところに来るのさ。まったく面倒だったらないね」
「俺が試問を受けにきた時はさすがに驚いていたな」
「16才の志望者なんて見たことがなかったからね。あっさり合格した時はもっとたまげたさ」
サリナスは小さく笑って、困ったようにウィルヴァンナに視線を向けた。
一瞬、この若き魔女が体を強張らせたことには気づかなかったが。
老魔女が側にいる時、ウィルヴァンナはあまりサリナスと口をきこうとしない。
マティロウサに隠している(つもりの)思いを知られてしまうような気がしたからだ。
だから、こういう時ウィルヴァンナは口を開かずただひたすら皆の話に耳を傾け静かに微笑んでいるだけだった。燃える炎を押えるように時々サリナスの方へ目をやりながら。
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