足早に笥村邸の門を出て道路へ出た J は、ふと足を止めて背後を振り返った。
2人の警護役は、まだ J から目を離していない。
その様子は、まさに番犬そのものの警戒心を思わせる。
シェパードか、あるいはドーベルマンか。
どちらにしても、尻尾を振って擦り寄ってくることはない、獰猛な犬たち。
気の毒に。
男達の姿を目にしているうちに、今しがた感じた軽い憤りに代わり、
J の心の中には、奇妙な居たたまれなさが一瞬だけ湧き上がった。
かつて死線をさまよった、そんな経験を持つであろう男。
それが、今ではハコムラに金で雇われて飼い殺しにされ、
訪れる客相手に唸っているだけとは、やるせない話だ。
現在置かれている境遇に対する男の心境はいかがなものだろうか。
J は勝手に男の心中を推し量った。
さぞかし、甲斐のない毎日を送っていることだろう。
何を分かったようなことを、と、もう一人の J が心の中で囁きかける。
あの男達が番犬ならば、自分自身はどうなんだ?
麻与香に乗せられて事件の経緯を嗅ぎ回る自分は
さしづめ警察犬というところじゃないか。
J は軽い自己嫌悪の念に襲われた。
自分も、男達も、ハコムラからエサをもらって、ハコムラのために働いている。
エサを美味いとも思えずに。
どんなに不本意であろうとも。
Sigh, Sigh, Sigh……。
最近ため息が増えた、と自覚していながらも、
やはり、ついつい鬱にまぎれて吐息が絶えない J である。
似たような境遇の J としては、
いっそ、あの2人に飼い主についての感想を聞きたいところだった。
いや、正確には、飼い主の美貌の妻について。
『笥村麻与香のことを、どう思う?』
そう尋ねたら、何と答えるだろうか。
麻与香に対しては深く関わりたくないと思いながらも、
他者の考えを聞いてみるのはなかなか興味深い。
恐らく、2人の護衛役は顔を見合わせ、困惑するだろう。
そして、しばしの沈黙の後、
『余計なことを言うな』 という暗黙の合図が2人の視線の中で交わされ、
黒髪の方が、きっとこう言うに違いない。
丁寧かつ慎重に。
それでも、鋭い光を目に宿し、油断なく値踏みするように J を見つめながら。
『質問の意図が判りかねます』
あるいは、
『お答えする必要があるとは思えません』
とでも言うかもしれない。
そこまで想像した J の口元に、自嘲めいた笑みがかすかに浮かんだ。
J が抱く麻与香のイメージと、他人のそれとが
さほど違わないことを確認して安心したいだけなのだ、と気づいたからである。
大嫌いなあの女が、他人にはどういう風に映っているのか。
ダメだ。また脱線しそうだ。
いや、もうしてる。
J は舌打ちで自分の考えを制した。
調査の対象は笥村聖であって、その妻ではない。
関心を持つべきことがあるとすれば、それは聖本人についてでなくてはならない。
先程から何度も自分に言い聞かせていた筈なのに。
それでも、J の意識はやはり聖よりも麻与香の方へと流れていく。
J はしぶしぶ認めざるを得なかった。
カレッジ時代から引き続いて、
いまだに麻与香の存在は不本意ながらも J の中に居場所を置いている。
ごく強烈に。
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