なるほどね、とマティロウサがようやく口を開いた。
「血の気が多くて怖いもの知らずのどこかの国の王女なら考えそうなことだよ。結婚嫌さに家出とはね。その単純さは大したもんだ」
マティロウサの口調は平淡で、呆れているのか腹を立てているのかサフィラには判断がつかなかったが、言われたこと自体はまったくもってその通りなので言い返すこともできない。
神妙な顔をしながらも、恐らく次に来るであろう老魔女の説教に身構えつつ、心の中では何とか言い包める方法がないものか模索していたサフィラだったが、魔女よりも先に、老いた魔法使いが口にした言葉は非常に意外なものだった。
「わし、王女の好きにすればいいと思うんじゃが」
老シヴィの言葉に、え? という表情を浮かべたのはサフィラだけではない。もしや聞き違えたか、とサリナスは老人の顔を見返し、タウケーンはタウケーンでその言葉を自分にとって良しと取ればいいのか、あるいはその逆かを図りかねている。
動じなかったのはマティロウサだけであった。魔女の顔にはやや複雑な表情が浮かんでいて、老シヴィの意見に反対とも賛成ともつかない微妙な感情が深い皺の間から滲み出ていた。
「えーっと、老シヴィ?」 サリナスは腑に落ちない顔で老いた魔法使いに向き直った。
「好きにすればとは、どういう」
「言った通りの意味じゃよ、お若いの」
大したことではない、というように、老シヴィは小さく欠伸をかみ殺した。
「だって、結婚するのは王女の問題じゃもん。その王女が決めたことに、当事者以外のわしらがああしろこうしろと偉そうに言えないじゃろ?」
「そういう言い方は少し無責任では?」
偉そうに、と言われてサリナスは少しむっとした表情で反論した。
「常識的に考えて宜しくないと思ったからこそ、ここは説得するべきではないかと」
「まあ確かに、ここまで式が間近に迫っている時期に言い出す話ではないかもしれんが、だからと言うて、ここまで本人が嫌がっているものを、その気持ちを無視してまで無理やり結婚させたとして、それが果たして良い結果になるかどうか」
「しかし、結婚も王族の務めならば仕方がないと……」
「お若いの」 シヴィは諭すように言った。
「『王族とはかくあるべき』 という言葉を王族でも何でもない者がもったいぶって説くのは、いささか僭越な気もするのう」
「いや、しかし、それは……」
何となくサリナスの口調に勢いがなくなる。老シヴィの言葉はどちらかというと詭弁に近いが、まったくもって間違っているわけでもないので、真面目に受け答えするサリナスとしては返す言葉が見つからない。
老シヴィは続けた。
「いやいや、お前様の言っていることは間違いなく正論じゃよ、お若いの。じゃが、正論だからというて、必ずしもそれがまかり通るかというと、ちょっと疑問じゃな。まあ王女だって愚かではない。そこまで決断するにはよくよく悩んでのことだと、わしは思うんじゃ。そのあたりをもう少し汲み取ってやっても、良いのではないかな」
そう言われて、実際はさほど悩むこともなく短絡的に今回のことを決めたサフィラは何となく気まずさを感じ、いやまあ、と頭を掻いた。
「でも、そうすると俺はどうなるんだ?」
口を挟んだのは、タウケーンだった。こういう真面目な話し合いの場は苦手だという理由で、結論が出るまでは半分寝たふりを決め込む積もりだったが、話の流れだけは耳に入っていたらしい。
「さっきも王女サマに言ったんだが、俺は今回の結婚話がなくなると、ちょっと困ることになるんだ」
「このバカ王子は王座が惜しいだけなんだ」 とサフィラが老シヴィに呟いた。
老シヴィは、ほうほう、と面白そうに言った。
「それなら、ヴェサニール以外にも王女はたくさんおるじゃろうに。何も、ここまで嫌われて結婚することもあるまい。他の王女を探したらどうじゃ?」
老シヴィの本気とも冗談ともつかない提案にタウケーンは一瞬黙り込み、成程、と少し考え込む様子を見せた。新たな王位への可能性に、多少興味が沸いたらしい。
「それに」 サフィラがサリナスに聞こえないように小声でタウケーンに耳打ちした。
「うちの父上と母上はまだ30代半ば。もう一人くらい子どもが生まれるかもしれない。それが王女なら、お前も堂々と結婚できるぞ」
自分の両親に対して、とんでもない王女の言い草である。
「それは気の長い話だな」
「ヒマだから待ってもいいって、お前、さっき言っただろう」
「そこまで待てるか」
声を潜めたにもかかわらず、不謹慎なこの会話はしっかり真面目な魔道騎士の耳に届いていたようで、普段なら、このようなサフィラの冗談には困ったように眉根を寄せてため息をつく程度で終わらせるサリナスだったが、今回は状況が状況なだけに辛辣な視線を浴びせて二人の口をつぐませた。
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