サリナスの固い態度は別として、ここにきてサフィラはこの場の風が自分にとって追い風になりつつあるのを感じていた。
見たところ、どうやら老シヴィはサフィラに肩入れする側に立っているようだ。名高い老魔法使いが相手では、さすがのサリナスもそう簡単に言い込めることはできないだろう。
後はマティロウサが何というか、だが。
サフィラはちらりと老いた魔女に目を向けた。
サリナスも同様に考えたらしい。老シヴィが口にする言葉の数々に途方に暮れて、黙ったままのマティロウサに助けを求めるように視線を送る。
それに気づいたマティロウサは無愛想に口を挟む。
「この爺様の言うことをいちいち真に受けるんじゃないよ、氷魔。ふざけた性格なんだから。とにかく、風習に縛られるのが大嫌い、人に指図されるのが大嫌い、型にはめられるのが大嫌い。最長老の魔法使いの癖に、その立場も放ったらかしで我儘、好き勝手し放題の困った爺様だ。たぶん今回の件では、あんたとは意見が一生合わないだろうよ」
「ひどい言われようじゃ」 老シヴィは憤慨したようにマティロウサに反発した。
「わしはただ、王女の気持ちも分からんではない、と言うとるんじゃ。わしだって無理やり結婚しろとか言われたら嫌じゃ」
「誰もあんたなんかに縁談を持ってきやしないよ。まったく、ああ言えばこう言う……」
ぶつぶつと小言を呟くマティロウサである。
「それはともかく、あなたも老シヴィと同じようにお考えか、マティロウサ」
サリナスがマティロウサを促した。その生真面目な口調には、まさかそうではないだろう、というサリナスの期待が見え隠れしている。
マティロウサはそれには答えず、老シヴィへちらりと目を向けた。
それが合図であったのか。
それまで穏やかに笑んでいた老シヴィの目が、一瞬すっと細くなる。
ゴトン。
突然、サフィラの隣で鈍い音がした。
何事かと目を向けたサフィラの視界に、机の上に突っ伏したタウケーンの姿が目に入る。
「? バカ王子?」
サフィラは怪訝な表情でタウケーンの顔を覗き込む。机の上に顔をつけたまま、タウケーンは目を閉じていた。漏れ聞こえる呼吸の深さで、サフィラはタウケーンが眠っていることに気づいた。
その唐突な眠りにサフィラが驚く間もなく、今度は反対側の隣で、カタン……と音がする。
サリナスの手が滑り落ちて机の脚にぶつかった音だった。
椅子の背もたれで首を支えながら天井に顔を向けたサリナスは、ぽかんと口を開けたままでタウケーンと同様に眠りについていた。普段のこの男からは考えられない間の抜けた寝姿である。
「サリナス……」
サフィラは両隣から聞こえてくる規則正しい呼吸音を耳にしながら、今やすっかり夢の世界の住人となっている二人の姿を代わる代わる見比べた。
どうしたんだ二人とも急に、と動揺した声で呟いたサフィラは、腑に落ちない表情でマティロウサと老シヴィに目を向けた。
老シヴィの顔に悪戯っ子のような表情を見つけたサフィラは、二人の寝姿を顎で指し示した。
「これは……あなたが?」
うむ、まあ、と老魔法使いは、頭を掻いた。
「このままじゃと、ちと話が面倒になるんでな」
「……やはりすごいな、魔法というヤツは」 サフィラは感嘆を込めて呟いた。
「何の素振りも見せずに一瞬にして人に術を施すとは。魔道では出来ない芸当だ。……だが、何も眠らせなくても良かったのではないか、老シヴィ。そりゃ確かに、起きているときは何かとうるさい二人だから、つい口をふさぎたくなるときもあるが……」
「いいんだよ」 サフィラの言葉を遮って答えたのはマティロウサの方だった。
「二人には関係ない話なんだから」
「それはまあ、私の結婚話だから関係ないと言えば関係ないけれど……」
「その話じゃないよ」
「え」
サフィラは訝しげにマティロウサを見上げた。魔女の表情には、いつもの不機嫌さに加えて何かしら苦々しい憂慮の相が浮かんでいる。
「実は、お前様にちと話しておかねばならんことがあってのう、サフィラ王女や」
老シヴィが机の上で枯れた指を組み直す。サフィラはますます不審な表情を見せた。
「家出への説教ではなく?」
「そんなもの、わし興味ない。どうでも良いことじゃ」
「では、一体何の話を?」
うむ、と曖昧に返事をしたものの、どう切り出したものか幾分迷いが見えるシヴィである。しばしの沈黙の後、ようやくシヴィは口を開いた。
「サフィラ王女、お前様は『伝説』というものを信じておるかな?」
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