「……すごいな、老シヴィ」 サフィラはため息をついた。
「あなたが語ると、一枚の羊皮紙ですら命を吹き込まれて動き回りそうだ」
「ほほう、やはり、お前様は優秀な魔道騎士じゃな。詩文の持つ魔力をみずから体感したと見える」
シヴィは満足げに微笑んだ。
「とは言うても、実はところどころ端折った部分もあるんじゃ。本当はもっと長い詩じゃが、まあ、大体のあらましは今話した通りじゃよ」
机の上には、いつの間にか三人分のアサリィ茶が用意されていた。シヴィが語っていた間に、マティロウサが入れたものだ。
それに手を伸ばしたサフィラは、しばらく考え込んだ後、マティロウサへ目を向けた。
「マティロウサが言った通り、これは英雄達の頌歌だね。明らかに一つの伝説を謳った詩だ。でも、あのときマティロウサは 『予言詩でもある』 と言ったが、この詩の内容に予言すべき要素があるとは私は思えないんだが。それに、老シヴィ」
今度は、アサリィ茶をすする魔法使いに向き直る。
「先ほどのあなたの言い方では、この詩に語られているのは 『かつて実際にこの世界で起こったこと』 である、という印象を受けたが、こうして聞いてみると……魔者だの、勇士だの、どうも今の世では現実味が沸かないことばかりだ」
実のところ、シヴィの深い語りに心を動かされはしたものの、語られる内容自体はありふれた英雄譚であり、幾分サフィラは拍子抜けしていた。つい先刻にシヴィが見せた厳粛さは一体何だったのか、と思わずにはいられない。
「子どもを寝かしつけるために親が使う、もっともらしいおとぎ話、と言われる方がまだ納得できる」
「ほうほう」 シヴィは面白そうに笑った。
「話の最後に 『早く寝ないと魔者がやってきて、お前を食べてしまうぞ』 と付け加えるなら、そういう使い方もあるじゃろな」
「それに……」 サフィラは言いかけて言葉を止めた。シヴィが先を促す。
「それに?」
「……水晶は?」 サフィラは心の中の疑問を口にした。
「これは水晶の物語ではなかったのか? あなたもさっきそう言った。かの魔の者が七と一つの水晶を造った、と。その水晶は一体?」
ふむ、とシヴィは顎をさすった。その表情が少し曇る。
「さっきも言うたが、この伝説にはまだ続きがあってのう」
「続き? どんな?」
シヴィは再び目の前の羊皮紙に目を落とし、サフィラもつられるようにそれに倣う。
「勇士達は確かに魔の者を打ち倒した。しかし……決して消滅したわけではないのじゃ」
「え?」
「かの魔の者が造り上げた七と一つの水晶。そこには、ありとあらゆる美と彩が集められたという」
シヴィの声の中に、再び遠い響きがこだまする。
「天と土を分かつひずみから最初に流れ出た白銀の光、木々の梢を吹き抜けた風に染まる萌黄の葉、眠り覚めぬスピルヤヌスの湖に姿を落とす深き水面の緑、天かける神々の腕も届かぬ空の澄青、黄昏時の雲が抱く斜陽の鴇色……不毛の地に在りながら、ナ・ジラーグが造り出したものは禍々しいほどの美しさを放っていたという。まるで、かの魔の者の姿そのもののように……」
サフィラは茫然とした表情を浮かべてシヴィの語りに耳を傾けていた。
「ナ・ジラーグが何故このようなものを造ったのか、それは分からぬ。じゃが、七と一人の勇士に打ち倒され、最期を迎えたとき、かの魔の者は七と一つの水晶にみずからの力の一部を移し、永劫までも逃れることができない禍言をかけたのじゃ」
フィラの心臓がどきりと波打った。
何故かは分からなかった。ただ、奇妙な息苦しさを感じて、サフィラは戸惑った。
その感覚は、以前見た幻視の予兆に似ていた。
シヴィは言葉を続けた。
「美しき水晶はナ・ジラーグの善ならぬ思いに染まり、その意志に従って、傷つき疲れ果てた七と一人の勇士の魂をみずからの内に封じてしもうた」
サフィラは自分の中にじわじわと何かが膨れ上がっていくような感覚を味わっていた。
こめかみが痛い。
何かが頭の内側でサフィラに杭を打ち立てている。強く、規則正しく。
サフィラはそれが自分の脈拍だと気づくまで、しばらくかかった。
「やがて水晶は呪われた地を離れ、世界の何処かへ散らばり、行方も知れず、何人の目に触れることもなくなった」
シヴィの口調が陰を増した。語られる一つ一つの言葉がサフィラの周囲を漂っている。蜘蛛の巣のように少しずつ、少しずつサフィラの身体にまとわり付きながら。
手足の指先がしびれ、感覚が薄くなってくるのをサフィラは感じた。
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