「恐れながら申し上げます」
悩める王の思考を遮る声が、王の間の入り口から響いた。
家臣の一人が、手に何かを携えて佇んでいる。
「ただ今、城下の者が、このようなものを持ってまいりましたが……」
「何じゃ、こんなときに」
王は不機嫌そうに言った。家臣は不興を買ったのではないか、と恐れながら、さらに付け足した。
「それが……妙なことでございますが、使いの者が、こちらにおわすフィランデの方々に渡してほしいとの言伝てを申しておりまして」
「フィランデの?」
王と使者は顔を見合わせた。いずれも、心当たりがない、という表情を浮かべている。
確かに妙である。ヴェサニールの民が面識のないフィランデの使者に何を渡すものがあるのか。
「誰じゃ、それを持ってきたのは」
「はあ、城下にある酒場の主人でございます」
「酒場?」
またもや王と使者は視線を合わせた。
使者は怪訝な顔をして、家臣から何かを受け取った。
それは一枚の紙を数回折りたたんだものだった。使者は忙しない手つきでそれを広げた。
紙面には何事かが走り書きしてあり、しばらくそれに視線を走らせていた使者は、読み進めるにつれて次第に目を剥き、表情を強張らせる。
「何事かな、御使者殿」
使者の面相の変化に不審を抱いた王が尋ねる。
尋ねられた方は、はっと目を上げると、消え入りそうな声でそれに答えた。
「それが、その……」 使者は非常に言いにくそうである。「王子からの、手紙でございます」
「手紙? タウケーン王子の? まことか!」
「はあ……」
「差し支えなければ、ぜひ見せていただきたいが」
すぐにでも引っ手繰ってしまいたい、という気持ちを抑え、一応の礼儀を持って王は使者に言った。
しかし、それは頼んでいるというよりも、使者の耳には有無を言わさぬ命令めいた口調に聞こえた。抗うことはできず、使者は王の視線を避けるようにして手紙を差し出した。
王が目にした紙面には、あまり達筆とはいえない筆跡が記されている。
普段から書物を読むことに余り慣れていない者が書いたであろうと一目瞭然のその文章は、ところどころ誤字を線で消して正しい文字が書き直してあり、読みにくいことこの上ない。
書かれていたのは、次のような内容だった。
一度は結婚すると決めたものの
一人の妻を迎えることで
世の中にいる幾千もの女性を悲しませることになると思うと
非常に心が痛み、結婚する気がなくなってしまった。
偶然にも、その気がない、という点では王女も同じ意見らしいし
まあ、お互い様ということで。
国に戻るのもどうかと思うから、しばらく他国で過ごすことにした。
そのうち戻るから、心配するな。
皆には代わりに謝っといてくれ。
それはそうと、この手紙を持ってきた男に酒場の支払いをしておいてくれ。
数日分の飲み代が未払いなので。
それから、当座の出銭のために
お前達の持ち金を借りていくが、悪く思うな。いつか返すから。
手紙を読み終えた王は、しばし無言であったが、やがて無作法であるのを承知でそれを床に投げ捨てた。慌てて使者が手紙を拾い上げるのを無視して、玉座にどっかりと腰を落とす。
誰もがその顔色を窺っている中、王は苦いものを噛み潰すような面持ちで視線を泳がせた。
どうやら、馬鹿者という称号を与えられるのは、我が娘だけではないらしい。
あの馬鹿婿。
いや、むしろ、王子の方がサフィラよりも質が悪いではないか。
放蕩者との噂は知っていたが、聞きしに勝る無茶ぶりである。
タウケーン王子をヴェサニールに迎え入れることができなくなった今となっては、むしろその方が良かったのでは、という気持ちすら沸いてくる。
もう、どうとでもなれ。
王はその日何度目かの大きなため息をついた。
→ 終章・旅の始まり 9 へ
悩める王の思考を遮る声が、王の間の入り口から響いた。
家臣の一人が、手に何かを携えて佇んでいる。
「ただ今、城下の者が、このようなものを持ってまいりましたが……」
「何じゃ、こんなときに」
王は不機嫌そうに言った。家臣は不興を買ったのではないか、と恐れながら、さらに付け足した。
「それが……妙なことでございますが、使いの者が、こちらにおわすフィランデの方々に渡してほしいとの言伝てを申しておりまして」
「フィランデの?」
王と使者は顔を見合わせた。いずれも、心当たりがない、という表情を浮かべている。
確かに妙である。ヴェサニールの民が面識のないフィランデの使者に何を渡すものがあるのか。
「誰じゃ、それを持ってきたのは」
「はあ、城下にある酒場の主人でございます」
「酒場?」
またもや王と使者は視線を合わせた。
使者は怪訝な顔をして、家臣から何かを受け取った。
それは一枚の紙を数回折りたたんだものだった。使者は忙しない手つきでそれを広げた。
紙面には何事かが走り書きしてあり、しばらくそれに視線を走らせていた使者は、読み進めるにつれて次第に目を剥き、表情を強張らせる。
「何事かな、御使者殿」
使者の面相の変化に不審を抱いた王が尋ねる。
尋ねられた方は、はっと目を上げると、消え入りそうな声でそれに答えた。
「それが、その……」 使者は非常に言いにくそうである。「王子からの、手紙でございます」
「手紙? タウケーン王子の? まことか!」
「はあ……」
「差し支えなければ、ぜひ見せていただきたいが」
すぐにでも引っ手繰ってしまいたい、という気持ちを抑え、一応の礼儀を持って王は使者に言った。
しかし、それは頼んでいるというよりも、使者の耳には有無を言わさぬ命令めいた口調に聞こえた。抗うことはできず、使者は王の視線を避けるようにして手紙を差し出した。
王が目にした紙面には、あまり達筆とはいえない筆跡が記されている。
普段から書物を読むことに余り慣れていない者が書いたであろうと一目瞭然のその文章は、ところどころ誤字を線で消して正しい文字が書き直してあり、読みにくいことこの上ない。
書かれていたのは、次のような内容だった。
一度は結婚すると決めたものの
一人の妻を迎えることで
世の中にいる幾千もの女性を悲しませることになると思うと
非常に心が痛み、結婚する気がなくなってしまった。
偶然にも、その気がない、という点では王女も同じ意見らしいし
まあ、お互い様ということで。
国に戻るのもどうかと思うから、しばらく他国で過ごすことにした。
そのうち戻るから、心配するな。
皆には代わりに謝っといてくれ。
それはそうと、この手紙を持ってきた男に酒場の支払いをしておいてくれ。
数日分の飲み代が未払いなので。
それから、当座の出銭のために
お前達の持ち金を借りていくが、悪く思うな。いつか返すから。
手紙を読み終えた王は、しばし無言であったが、やがて無作法であるのを承知でそれを床に投げ捨てた。慌てて使者が手紙を拾い上げるのを無視して、玉座にどっかりと腰を落とす。
誰もがその顔色を窺っている中、王は苦いものを噛み潰すような面持ちで視線を泳がせた。
どうやら、馬鹿者という称号を与えられるのは、我が娘だけではないらしい。
あの馬鹿婿。
いや、むしろ、王子の方がサフィラよりも質が悪いではないか。
放蕩者との噂は知っていたが、聞きしに勝る無茶ぶりである。
タウケーン王子をヴェサニールに迎え入れることができなくなった今となっては、むしろその方が良かったのでは、という気持ちすら沸いてくる。
もう、どうとでもなれ。
王はその日何度目かの大きなため息をついた。
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本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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