J は机の上で倒れているグラスを起こし、ボトルに残ったワインをしばらく見つめた。
諛左の当てずっぽうは、この際無視するとして、
このワインをグラスに移せば、ちょうど一杯分。
大した量じゃない。
逆に、これだけ残っているのも、なんだか気分が悪い。
別に構わないだろう。
どんな依頼が舞い込んでいるかは知らないが、
たかがワイン一杯で頭のメーターが振り切れるほどヤワな体質じゃない。
そう考えて自分を納得させた J は、
残りのワインをグラスにすべて注ぎ込み、一気に飲み干した。
美味いとも不味いともいえない渋い口当たりに、J の目が少しだけ冴える。
諛左が指摘した通り、この界隈の何処でも手に入る安い代物だ。
グラスを机に戻した J は、灰皿に置いたままの煙草を消して立ち上がり、窓へと向かった。
カーテンを半分だけ引き開けて、外の景色に目を落とす。
薄暗闇に慣れた J の目に朝の光が差しこむ。
日の光は明るいのに、眼下の街は奇妙にくすんでいた。
4階の高さから見下ろす光景は、いつもの通りどこか見覚えのあるものばかりだった。
狭く入り組んだ路地。
その両脇に不規則ゆえの規則性をもって雑然と並んだ家々。
そして、その隙間を蠢く人々。
古ぼけた車。
灰色の町並み。
この辺り一帯はダウンエリアと呼ばれる領域で、
住人のほとんどは中間より下の層、いわば 『やや持たざる者』 たちだった。
スラムほどひどくはないが、満足できるほど豊かな生活とは言えない。
どこか人生を疎む気配が漂っている。
視線を上げると、その先の遥か遠くにはビルの林が見える。
うっすらと靄がかかった空を突き抜けるように、
思い思いの高度を誇って生えそびえる金属の建物達。
センターエリアである。
あの辺りには、
こことは比べ物にならないほど夥しい数の人間たちが生息していることを J は知っている。
建造物の高さは、そこに住む人々の力の象徴だった。
そして、さらに人々の思惑を吸い上げて、
金属的な輝きを放ちながら、より高くそびえていく。
この街を一つの円に例えるなら、
繁栄を見せるセンターエリアこそ街の中心点に他ならない。
そして、外周に近付くにつれて、
エリアと住人のランクは徐々に寂れていく。
まるで同心円を描くように。
センターエリアとダウンエリアが同居する窓からの景色は
朝を迎えるたびに、一枚の絵画のように二つのエリアの違いを見せつけ、
いつも J をうんざりさせた。
選民・非選民という呼び方が許されるのであれば、その縮図はここにある。
生活の差は、まさに絵の中に描かれている通りだった。
J はふと思った。
もう何年前から、ここに住みついているだろう。
平和で凡庸な街ではない。
かといって、凶悪すぎることもない。
ただ人々を疲れさせる街。
世界中のほとんどの街がそうであるように。
それが、ここニホンの K-Z(ケージー)シティだった。
→ ACT 1-8 へ