諛左。
厄介な、そして時と場合によっては無制限に危険になれる男だろうと、しばしば J は思う。
穏やかな時ですら、何を考えているのか分からない常に冷静なその視線。
それは、時々薄情な光を帯びて見る者を突き刺す。
黒いのに、まるで氷のように感じるのはきっとその光のせいだろう。
獰猛な獣が獲物を狙って密やかに木の陰に隠れ待つ。
そんな秘めた狂暴さが諛左には付きまとっていた。
顔の造り自体は整っているだけに、剣のある表情が一層際立って見える。
諛左はいつも人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべて人を見る。
J はそれが気に入らない。
冷笑、というやつ。
その笑みとともに、今まで何度この男に鼻先であしらわれたことか。
事務所の主である J の方が立場的には上なのだ。
しかし、この男にはそんな意識はさらさらない。
J を平然と 「お前」 呼ばわりするのはフォンでの会話の通りである。
尊敬しろとは言わないが、せめて他人を見下すのはやめてもらいたいものだ。
折につけて J は思う。
この男とは毎日のように顔を付き合わせている J だが、
しかし、いまだにパートナーとして認めるのには抵抗があった。
非従順という点では誰にも引けを取らない男なのだ。
J は少し不機嫌の色を帯びている表情を隠そうともせず、ゆっくりとデスクに歩み寄った。
「似合うよ、諛左。そうやってると、まるであんたがオフィスのボスみたい」
「……」
諛左は黙って机から立ち上がった。
その鉄面皮からは相変わらず感情は読めない。
J は肩をすくめてデスクに近付いた。
すれ違いざま、ふと顔をしかめた諛左が J の腕をとり、その歩みを止める。
怪訝な表情で振り向いた J の顎をとると、諛左は顔を近づけた。
そのまま J の口元で、クン、と鼻を二、三度ひくつかせて呟く。
「お前……一杯空けてきたな」
しまった。
至近距離以上に近いところから一対の黒い瞳に睨まれた J は、ついと目をそらした。
傍から見れば、口説き口説かれの体勢に見える2人の姿だったが、
交わしている言葉と漂う空気は、甘さとは程遠い。
「……何のことかな」
「誤魔化すな。シャワーを浴びただけじゃ呼吸の匂いまでは消せない。
安物のワインの匂いはな」
こいつは犬か。
J は心の中で毒づいた。
もしも諛左並みの嗅覚を持つ人間が警察にいれば、
飲酒運転の取り締まり件数は今よりも飛躍的に増えるに違いない。
「仕事前は飲むなと、あれ程言っているだろう」
「……ちょっとだけだよ」
J は顎に触れている諛左の手を迷惑そうに振り払った。
諛左の小言は続く。
「ちょっともたくさんも同じことだ。
アルコールが多少なりとも脳の働きを鈍くするのは証明されている」
相変わらず、諛左の言葉は理屈めいていて、容赦ない。
J は諛左の言葉を無視して、デスクの向こう側にある椅子に深々と身を沈めた。
→ ACT 1-13 へ