「悪い、アリヲ。ちょっと長引いた」
なだめるつもりで J がアリヲの髪を軽くなでた。
しかし、触れた毛先の意外な冷たさが、少しばかり J を驚かせる。
「お前、もしかして図書館行った後、ずっとここで待ってたの?」
「そだよ。寒くなってきたからさあ、カゼひいちゃうかと思ったよ」
「事務所で待ってりゃ良かったのに」
「うん、行ったんだけどさ」
「だったら何で戻ってきたの。千代子さん、いなかったのか?」
「ううん、いた。でも、ダメ」 アリヲはぶんぶんと首を振った。
「J も、戻んない方がいーよ」
そう言いながら、アリヲは J に並ぶとその腕を取って、前へ行かせないように軽く引っ張った。
「何でさ」
「『NO(ノー)』 が来てるから」
「何っ、NO だって?」 アリヲの一言に、J は思わず歩き出そうとしていた足を止める。
「アイツ、また来てんのか……厄介だな」
アリヲが発した名を聞いて、J は心からそう思った。
この界隈で 『NO』 という名を耳にして、
J と同様の感想を抱かない人間は恐らくいないだろう。
通称・NO。
J の事務所があるブロックとその近隣一帯を所轄する警察署の名物刑事である。
本名は明日間濃(アスマ・ノウ) という。
しかし、その大仰な苗字でこの男を呼ぶものは、この界隈には誰もいない。
人々はこの男を 『NO』 と呼んでいた。
名前の 『濃』 ではない。
何かにつけて二言目には必ず 『NO (ダメだ)!』 と怒鳴り散らすことから、
いつの頃からか男の呼び名は 『NO』 になったのだ。
勿論、本人はそう呼ばれることを潔癖なまでに否定している。
本名はニホン名だが、異国人の血が入り混じっている。
NO の濁った沼のような緑の瞳がそれを証明していた。
しかし、本人はその事実に触れられるのを好まない。
だからこそ、人々の中には悪意を持って陰で 『グリーン・アイ』 と呼ぶ者もいた。
尊大で極端な権威主義者である NO は
巷の人々の反感を買うだけではなく、警察内部でもあからさまに厄介者扱いされている。
一度目を付けられたら末代まで祟る、という噂もあながち冗談ではない。
そして現在、目を付けられている連中のリストの中に、名を連ねている一人が J だった。
以前に遭遇した事件でぶつかって以来、NO は事あるごとに J を目の敵にしている。
巡回と称して J の事務所を頻繁に訪れる NO だが、
それも J が何かをやらかそうとしているのではないか、という
一方的な期待感による行動であり、J にとっては迷惑至極であった。
とにかく、J と NO が顔を合わせれば、そこには必ず不穏な空気が流れ、
どちらかの機嫌が悪い時には、かなりケンカ腰な応酬が始まってしまう。
そして大抵の場合、顔を合わせるや否や、2人とも瞬時に不機嫌になるので
つまりは、しょっちゅう度の過ぎた悪口雑言が飛び交うことになるのだ。
その辛辣さは、J と諛左の皮肉な会話の比ではない。
いずれにしても、J にとっては諛左とは違う意味で極力視界に入れたくない類の男である。
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