そのしばらく後。
倒れた拍子に擦り剥いたところに一枚の薬草を当てながら、サフィラが面白くなさそうに言った。
「……お前と一緒にいると、私の中から王族の一員としての威厳が少しずつ失われていくような気がしてならないんだが」
サリナスが奥の部屋から小さな壺を持って現れ、自分も擦り傷を負った額に薬を当てて、サフィラの言葉に反論した。
「俺のせいにするなよ。大体、王族の威厳なんてお前が一番嫌がってた代物じゃないか。今更何だ。婚礼間近で王女としての自覚が芽生えでもしたか」
「その話はするなと言っているだろう。他人事だと思って。まったく、お前といい、マティロウサといい、人の不幸を楽しみたがる質の人間が私の回りには多すぎる」
「ほら、薬草の上からこれを塗って……なんだ、マティロウサの所に行って来たのか?」
サリナスが壺の中身を示しながら尋ねた。
「行って来たも何も……」
ぶつぶつ言いながら、サフィラは薬を塗った。
膝頭に当てた薬草の下で、傷口が少しづつ癒えていくのが分かる。
サリナスの薬にはよく効くという定評があり、それは確からしい。
「マティロウサめ、ここぞとばかりに嫌がらせを言ってくれたよ。『誠におめでとうございます、サフィラ王女』 ときたもんだ」
「まあまあ、マティロウサの憎まれはいつもの事だ」 サリナスが笑った。
「それがあの人の性分なんだからな」
「大した性分だよ、まったく……ああそうだ、クワシアとガネッシャの実をマティロウサに頼まれてた。切らしているんだってさ。余ってたら都合してくれないか」
「ちょうど昨日摘んできたばかりだ。沢山ある。今日は患者ももう来ないだろうし、俺も久し振りにマティロウサの顔を見に行くかな」
サリナスはついと目を先程の古文書にやった。
「そうだ、あの羊皮紙も返さなきゃならんし」
テーブルを壊したあの騒ぎの時、古ぼけた古文書に破れ目の一つも出来なかったのはまさに奇跡と言えるだろう。一緒に置いてあったサリナス所有の魔道書は、見事にバラバラになったが。
サフィラがサリナスの視線を追ってそれに気付く。
「何だ、さっき広げていたのはそれだったのか」
「危うく千々に破れてしまうところだった。そんなことになったら、マティロウサに張り飛ばされるぞ」
「あの力でやられては顔が元に戻らなくなるだろうな。それで、進んだか? どこまで読んだ?」
「ふむ、残念ながらまだ数行だ。えーと」
巻き物を手に取り、気をつけながらそっと広げる。古の魔法の香りが微かに部屋に漂った。
「一、二……四、五行ってところだな、面目無いが」
「たった? 氷魔ともあろう者が」
呆れたような口調でサフィラが言う。
15で魔道騎士になったサフィラは別として、現在ヴェサニール国に於いてまず一番に名を上げられるであろうサリナスが、どんなに難解であろうとはいえ、二ヶ月近くも掛けて古詩の四、五行しか読み取れぬとは。
サフィラは皮肉めいた口調で続けた。
「もっと進んでいるかと思っていたがな。拍子抜けした」
「そう言うな。たとえお前だってそう簡単にいくもんか。読んでみれば分かる。結構手強いぞ」
「ふーん。マティロウサが言っていた通りだな。どれ、見せてみろ」
サフィラは乾いた枯葉色に変色した巻紙をサリナスの横から覗き込んだ。
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