「お前の方から電話してくるとは珍しいな。仕事中だろう」
モニターに写るあーちゃんの背後に、飲み屋の店内らしい光景を捉えて諛左が尋ねる。
『そうそう、今、店からかけてんの』
「その割には静かだな。書き入れ時なのに、客がいないのか?」
『へ?……ああ、違う違う。ピックアウトってやつだよん』
モニターの中で、あーちゃんが正面を指差してみせる。
自分の AZ を指したのだろう。
ピックアウト・モードは AZ の特徴のひとつであり、メーカーの特許機能である。
機体に声紋情報をインプットしておけば、
AZ を中心に半径3m以内なら、該当する声紋だけを識別・収集し、相手に届けてくれる。
どんなに騒がしい場所から電話をかけようと、
その喧騒はすべて排除され、相手には話し手の声だけが伝わるのだ。
恐らく今も、ママの存在を憚って少しばかり声をひそめているあーちゃんだが、
小声であっても、AZ の収音機能は変わらず高性能である。
『聞こえないだろうケド、客は相変わらず多いよん』 あーちゃんの声がクリアに響く。
『たとえ稼ぎがなくても、飲んで騒ぐことだけは忘れません、って連中ばっかだからねえ。
あ、そうそう、J もそうだけど、ユサも最近お見限りじゃん。
アンタが店に来ると、ウチの姫どもが喜ぶからさ、たまには顔出してよん』
「なんだ、いきなり連絡してきたと思ったら、客引きの電話か」 諛左はふっと笑う。
「あいにく、こっちもそれなりに忙しくってな。そのうち行くから、ママによろしく言っといてくれ」
『んもー、サラリーマンみたいな理由、言ってくれちゃって。
いや、客引きってわけじゃないんだけどね。まあ、今のはご挨拶。電話したのは別件だよん。
ホントはユサじゃなくて J に電話したんだけど、つながらなくてさぁ』
「J? こっちには、まだ戻ってないぞ」
『あ、やっぱりぃ? いや、さっきまでちょっと一緒だったんだけどねぇ』
「J なら、放っといても店に顔を出すだろう。わざわざ誘いをかけなくても」
『いやいやいや、そうじゃないんだよん。
さっきワカツの店で別れてさ、あの後、どうなったかなー、なんて気になったんで』
「あの後? あの後って? 何かあったのか?」
そう問われて、いや実はねぇ、とあーちゃんは、ワカツの店での出来事を話した。
つまり、J が黒づくめの奇妙な2人組に尾行されていた、という話である。
『J は、大丈夫だって言ってたんだけどねぇ』 少しばかり気がかりだ、というあーちゃんの口調。
『はい、そうですか、って、言われるままに放ってきて良かったのかな、俺……なんて思ってさ、
ちょっと気が咎めるっつーの? それで、電話してみたりしたワケさ』
「ふーん、わりと心配性なんだな、お前」
あーちゃんの話に、しかし、諛左はさほど興味がなさそうである。
「でも、アイツが大丈夫って言ったんなら、大丈夫なんじゃないのか?
その手のことは慣れてるだろうし。本人もいちいち気にしてないと思うが」
『相変わらず冷たいねぇ、ユサは』
諛左の反応が思ったより薄いのが、あーちゃんには少し不満らしい。
『自分トコのボスじゃん。心配じゃねぇの?』
「別に」 さらりと諛左が答える。
「それに、こっちで心配しようが、しまいが、
向こうが勝手に厄介事に首をつっこんでるとしたら、俺にはどうしようもないからな」
実際、これまでにも J は何度か危険な目に遭っているが、
それは、殊更に諛左が 「そうしろ」 と言った結果ではない。
むしろ、その手の面倒をできるだけ避けろ、と事ある毎に J に忠告しているのだ。
それなのに。
灯りを見つけた羽虫のように、蜜に誘われる蟻のように、
自分の方から、ふらふらと寄っていってしまう。
因果な性格の女だ、まったく。
そう思いながら、諛左も今では J の気質をすっかり諦めているのが実情である。
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