数秒間の微妙な沈黙の後、諛左から目をそらした狭間は、ふむ、と切り出した。
「研究所というのは、つまり?」
「もちろん、ハコムラ・ケミカル・アンド・サイエンスのことですが。
そう伺いました。違いましたか?」
「いや……」
再び狭間が口を閉ざす。
それまでの能弁さとは対照的なその姿には、
より一層慎重であろうとする狭間の心情があからさまに見て取れる。
この場で C&S の話題を持ち出したことについて、
諛左に何らかの意図があったわけではなかった。
たとえ狭間が C&S の金を実際に使い込んでいようといまいと、それはどうでもいいことで、
自分達にとって本筋である聖の捜索に関係があるとは思えない。
少なくとも、1分前まではそう考えていた。
だが、それにしては。
どう返答すべきか逡巡している様子の狭間を見て、諛左は思った。
その話については触れられたくない、そんなオーラが狭間の身体からほのかに立ち上っている。
「よく、ご存知ですね」
ようやく狭間が口を開き、諛左の言葉をあっさりと認めた。
しかし、その目からは先程までなかった迷いのような、焦りのような微妙な感情が
ちらちらと覗いて相手を伺っているかのような、そんなふうに諛左には見えた。
「しかし、そのこと……つまり私が C&S の管理責任者であることについては、
ハコムラ内部の者しか知らないと思っていましたが……夫人からお聞きに?」
「いえ、実は夫人の叔父上から」
「……ああ、ミスター・トリガイね」
一瞬の躊躇の後、納得の表情を浮かべた狭間が軽く鼻を鳴らす。
「ミスター・トリガイか……。
どうも、あの人は……ハコムラの役員であるにも関わらず軽挙妄動が多い。
本来なら外部の人間に言わずともよいことを、何の疑問もなく口にするものだから……」
まったく、と呟く狭間の口調は、
得心と、反感と、不愉快と、諦めと、そういったものが複雑に混ざり合っている。
眉間に寄せられたシワが一層深くなり、
その表情から、この男が鳥飼那音の存在を決して快く思っていないことが容易に見て取れた。
諛左からすれば、
笥村麻与香も鳥飼那音も程度の差はあれ同じカテゴリー内に属する人種である。
享楽的で、自由で、掴みどころがない。
狭間の方でも、そう思っているのだろう。
笥村麻与香が苦手だ、という狭間の言葉が真実なら、
きっと鳥飼那音のことも苦手に違いない。
窺うような諛左の視線に気づいた狭間は、取って付けたように2、3度咳払いをした。
神経質そうに、またもや眼鏡に触れる。
「ああ、誤解のないように。
別に私と C&S との関わりが極秘事項である、というわけではありません。
今でこそ総帥秘書という身分をいただいていますが、
元々私は C&S の所長でしたからね。
恐らく、そのこともミスター・トリガイからはお聞き及びでしょうが。
しかし、現在では別の者が所長として実務管理をしています」
「ああ、女性の方ですね。確か、ミス・ワタナベという」
「……本当によくご存知だ」
忌々しげな表情が狭間の顔面に浮かぶ。
目の前にいる諛左へ向けられた感情なのか、
あるいは喋りすぎる男・鳥飼に対する怒気の表われか。
多分、どちらも含まれているのだろう。
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