「ユサとは、何度か “現場” で一緒になったことがある」
“現場” という言葉が、
『戦地』 『戦線』 を意味するマセナリィ同士のスラングであることを、J は知っていた。
「俺の知っている限りでは、かなり優秀なマセナリィだった。ランクも高い」
遠い視線と声で呟きながら、阿南は空になったコーヒーカップをもてあそぶ。
興味がなさそうにそっぽを向いた J は、鼻で短く、ふーん、と答えただけだ。
「今もどこかの “現場” にいるものだとばかり思っていたが……」
一流のマセナリィであった男が、まさかこんなダウンエリアの寂れた一画で、
流行りそうにもない 『何でも屋』 に収まっているとは、阿南の予想外だったのだろう。
「何でまた……」
心の内に疑問を押さえつけておくことができなかったのか、ふと阿南が呟く。
その問いに対して J は、
「知らない。諛左に聞いてみれば?」
と、小さく肩をすくめただけである。
『何でも屋』 という仕事上の部下でもあり、パートナーでもある諛左だが、
何故、そのような冴えない状況に甘んじているのか、むしろ J の方が知りたいくらいなのだ。
もっとも、この男に関することで 「何故?」 と問われ、
J がすんなり答えられることなど、ほとんどない。
やがて。
「……静かになったようだな」
ぽつりと言った阿南の言葉に誘われ、J も階下へと意識を向ける。
先程まで絶え間なく聞こえてきた怒号めいた会話は、
成程、いつの間にかすっかり途絶えている。
ようやく厄介の嵐が帰ったか、と J がため息をついたところに、硬いノックの音が響く。
返事を待たずにドアが開けられ、そこには諛左の姿があった。
「やっと、お帰りいただいたぞ」 そう言う諛左の表情は、少し疲れている。
「1日のうちに2回以上 NO と顔を合わせるのは、正直キツい」
「こちらを 『クロ』 だと決めつけて乗り込んでくるからな、あのバカは」 と J。
「あいつが犯罪者になったとしたら、さぞかし立派な確信犯に仕上がるだろうな」
「呑気なことを。相手をさせられるこっちの身にもなってみろ。
途中でアーサーが割り込んできたから、なおさら話が長引いた」
「それは聞こえてた。あーちゃんは話を混ぜっ返す天才だから」
「とにかく、降りて来い……ああ、それと、悪かったな」
最後に付け加えられた、諛左らしからぬ殊勝な謝罪の言葉は、
J ではなく、阿南に向けられたものである。
「いや、別に」 阿南はゆっくりと立ち上がる。
「事情は簡単に聞いた。なかなか面倒な警官らしいな」
「その名を聞けば、泣く子も黙るってヤツだ。『面倒』 という表現では足りない」
「ここら辺の警官は、皆そうなのか?」
「冗談言うな。あんなのが大勢いたら、
この区画の住民は今頃1人残らず退去している」
低い声で言葉を交わしながら下の階へと向かう2人の男から数歩遅れて、
空になったコーヒーカップとポットを両手にした J が後に続く。
目の前を行く男達の後ろ姿に目をやりながら、J の胸中は複雑である。
諛左が笑っている。
冷笑以外の諛左の笑みを見るのは、久しぶりだった。
数年ぶりの再会だ、と阿南は言っていたが、
会わずにいた時間がもたらすわだかまりや、何を話していいのやら、という気まずさは
この2人には無縁のように見える。
昔の友人に会う、というのは、普通ならばこういう雰囲気になるものなんだろうか。
自分と麻与香の冷えた関係に比べると、大違いだ。
そこまで考えて、比較することの無意味さに気づき、ため息をつく J の腕の中で
カップがカチャリ…と硬質な音を立てる。
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