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その夜、サフィラがこっそり城を抜け出して自分に会いにこようとしているとは思いもよらず、サリナスはマティロウサに分けてもらったアサリィ茶をすすりながら、夜の静けさを楽しんでいた。
手元には一通の手紙があった。久しぶりに実家の母親から届いた手紙である。
筆不精で極端な照れ性である父と違い、サリナスの母はこまめな性分で、折に触れて家の様子や知り合いの近況を報告してくる。
癖のある華奢な母の字に目を走らせ、懐かしい人の名を紙面に見つけるたびに、サリナスは故郷のことを思いやった。
サリナスはヴェサニールよりも南に位置するダレックという国の出身である。
ダレックはヴェサニールに劣らぬ小さな国であったが、西に広がるアピ山では良質の鉱石が採掘され、そのせいでダレックには掘り出した鉱石を加工する者、さらに剣や矢尻などの武器を造る者などの技術者が多く育ち、サリナスが生まれ育った家も祖父の代から続く鍛冶屋だった。
幼い頃から鍛冶場を遊び場にしていたサリナスは、誰も教えぬうちから剣や刀の良し悪しを見る目を自然に育み、いずれは父の跡を継ぐものと、両親はもとより近所に住む誰もが思っていた。
しかし、いつの頃からかサリナスの興味の対象は武器を作ることではなく、使うことへと向けられていった。サリナスは誰もが自由に剣術を学べる街の修練所に通い始めた。
あの頃は。
サリナスは手紙から目を離し、ふと幼い頃を思い出した。
あの頃は剣の腕前が上がっていくのが何よりも楽しかったし、それだけが目標だった。
魔道など針の先ほどの興味もなかったのに。
それが今は一介の魔道騎士として人々にも認められ、毎日を呪文や薬草や古文書に囲まれて暮らしているとは、まったく人間の運命とは予測もつかないものだ。
魔道に対するサリナスの無関心を追い払って、その領域内に足を踏み入れさせたのは、一人の老いた魔道騎士だった。
ある夜、ダレックの街の一角で火事が起こった。
多くの子供達がそうであるようにサリナスも自分の物見高さを押さえることができず、母親の制止も振り切って当の現場に駆けつけた。
大人たちは井戸から順に桶を手渡して必死に火を消そうとしていたが、轟々と燃え盛る炎は勢いを増すばかりで、サリナスの目には炎が人間達の努力をあざ笑っているかのように映った。
そのとき、一人の老人が姿を現わした。
最近ダレックに移り住むようになった魔道騎士であった。
老人は燃え上がる炎を前に、二言、三言小さく呟いた。
途端に、一陣の突風が人々の頭上を吹きぬけ、炎の周囲を旋回し始めた。風は炎の芽を少しずつ摘み取って夜空に散らし、やがてそこには焼け落ちた柱や屋根の隙間からちろちろと覗く小さな火だけが残った。
人々は歓声を上げて老人を称えた。
サリナスも純粋に老人のことを、そして魔道のことを 「すごい」 と思った。
このとき初めてサリナスは魔道騎士という存在の偉大さを知ったのである。
そして考えた。
自分は剣を使うし、上達した腕前を自分なりに 「すごい」 と思う。
でも、どんなに剣がうまく使えても燃え上がる火を一瞬で消すことはできない。
魔道には、それができる。
幼さゆえの単純な思考ではあったが、老人の姿はサリナスの持ち前の向上心に火をつけた。
翌日から、サリナスが通うのは修練所ではなく街の外れにある老人の住家になったのだ。
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