忍者ブログ
蝶になった夢を見るのは私か それとも 蝶の夢の中にいるのが私なのか 夢はうつつ うつつは夢


[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

なるほどね、とマティロウサがようやく口を開いた。

「血の気が多くて怖いもの知らずのどこかの国の王女なら考えそうなことだよ。結婚嫌さに家出とはね。その単純さは大したもんだ」

マティロウサの口調は平淡で、呆れているのか腹を立てているのかサフィラには判断がつかなかったが、言われたこと自体はまったくもってその通りなので言い返すこともできない。
神妙な顔をしながらも、恐らく次に来るであろう老魔女の説教に身構えつつ、心の中では何とか言い包める方法がないものか模索していたサフィラだったが、魔女よりも先に、老いた魔法使いが口にした言葉は非常に意外なものだった。

「わし、王女の好きにすればいいと思うんじゃが」

老シヴィの言葉に、え? という表情を浮かべたのはサフィラだけではない。もしや聞き違えたか、とサリナスは老人の顔を見返し、タウケーンはタウケーンでその言葉を自分にとって良しと取ればいいのか、あるいはその逆かを図りかねている。
動じなかったのはマティロウサだけであった。魔女の顔にはやや複雑な表情が浮かんでいて、老シヴィの意見に反対とも賛成ともつかない微妙な感情が深い皺の間から滲み出ていた。

「えーっと、老シヴィ?」 サリナスは腑に落ちない顔で老いた魔法使いに向き直った。
「好きにすればとは、どういう」

「言った通りの意味じゃよ、お若いの」
大したことではない、というように、老シヴィは小さく欠伸をかみ殺した。
「だって、結婚するのは王女の問題じゃもん。その王女が決めたことに、当事者以外のわしらがああしろこうしろと偉そうに言えないじゃろ?」

「そういう言い方は少し無責任では?」
偉そうに、と言われてサリナスは少しむっとした表情で反論した。
「常識的に考えて宜しくないと思ったからこそ、ここは説得するべきではないかと」

「まあ確かに、ここまで式が間近に迫っている時期に言い出す話ではないかもしれんが、だからと言うて、ここまで本人が嫌がっているものを、その気持ちを無視してまで無理やり結婚させたとして、それが果たして良い結果になるかどうか」

「しかし、結婚も王族の務めならば仕方がないと……」

「お若いの」 シヴィは諭すように言った。
「『王族とはかくあるべき』 という言葉を王族でも何でもない者がもったいぶって説くのは、いささか僭越な気もするのう」

「いや、しかし、それは……」

何となくサリナスの口調に勢いがなくなる。老シヴィの言葉はどちらかというと詭弁に近いが、まったくもって間違っているわけでもないので、真面目に受け答えするサリナスとしては返す言葉が見つからない。

老シヴィは続けた。

「いやいや、お前様の言っていることは間違いなく正論じゃよ、お若いの。じゃが、正論だからというて、必ずしもそれがまかり通るかというと、ちょっと疑問じゃな。まあ王女だって愚かではない。そこまで決断するにはよくよく悩んでのことだと、わしは思うんじゃ。そのあたりをもう少し汲み取ってやっても、良いのではないかな」

そう言われて、実際はさほど悩むこともなく短絡的に今回のことを決めたサフィラは何となく気まずさを感じ、いやまあ、と頭を掻いた。

「でも、そうすると俺はどうなるんだ?」

口を挟んだのは、タウケーンだった。こういう真面目な話し合いの場は苦手だという理由で、結論が出るまでは半分寝たふりを決め込む積もりだったが、話の流れだけは耳に入っていたらしい。

「さっきも王女サマに言ったんだが、俺は今回の結婚話がなくなると、ちょっと困ることになるんだ」

「このバカ王子は王座が惜しいだけなんだ」 とサフィラが老シヴィに呟いた。

老シヴィは、ほうほう、と面白そうに言った。

「それなら、ヴェサニール以外にも王女はたくさんおるじゃろうに。何も、ここまで嫌われて結婚することもあるまい。他の王女を探したらどうじゃ?」

老シヴィの本気とも冗談ともつかない提案にタウケーンは一瞬黙り込み、成程、と少し考え込む様子を見せた。新たな王位への可能性に、多少興味が沸いたらしい。

「それに」 サフィラがサリナスに聞こえないように小声でタウケーンに耳打ちした。
「うちの父上と母上はまだ30代半ば。もう一人くらい子どもが生まれるかもしれない。それが王女なら、お前も堂々と結婚できるぞ」

自分の両親に対して、とんでもない王女の言い草である。

「それは気の長い話だな」

「ヒマだから待ってもいいって、お前、さっき言っただろう」

「そこまで待てるか」

声を潜めたにもかかわらず、不謹慎なこの会話はしっかり真面目な魔道騎士の耳に届いていたようで、普段なら、このようなサフィラの冗談には困ったように眉根を寄せてため息をつく程度で終わらせるサリナスだったが、今回は状況が状況なだけに辛辣な視線を浴びせて二人の口をつぐませた。



          → 第四章・伝説 10 へ

PR

まあまあ、と老シヴィが小突かれた頭をさすりながら、なだめるようにマティロウサに声をかける。

「マティロウサ、そのくらいにしておいてはどうじゃ。これ以上小言を続けると、皆ますます恐れ入って、お前様を訪ねてきた理由さえ語ることもできん」

「どうせ、ろくな理由じゃないさ」 マティロウサが鼻を鳴らす。
「しかも、厄介そうなのが一人増えてるし」

マティロウサはフィランデの王子へ冷たい視線を向ける。
タウケーン王子は老魔女の辛辣な視線を避けるように周囲に目を泳がせ、せめて先ほどまで姿を見せていた若い方の魔女がこの場にいればいいんだが、と心の中で密かに考えていた。マティロウサに言われてウィルヴァンナが再び奥の部屋に消えたのは、つい先刻のことである。

「とりあえず、お茶でも飲んで落ち着かんかな」 とシヴィが人数を数え出す。
「ひい、ふう、みい……と。マティロウサ、アサリィ茶を五人分」

「あたしが入れるのかい?」

その積もりならただじゃおかない、とでも言わんばかりの形相でマティロウサがシヴィを睨む。

「ああ、それなら私が」

何となく心にやましいところがあるサフィラが席を立ちかけたが、お前は座ってろ、とサリナスがその腕を掴んで引き戻す。

「長居する積もりはないんだ、マティロウサ」
サフィラが逃げないように腕を掴んだまま、サリナスが改めて口を開く。
「実はあなたにぜひ聞いてもらいたいことがあって」

「いや、サリナス、それは私の口から言う」

このお堅い男に説明させたら、どうしたって自分が悪者になってしまう。それはマズイ、とサフィラは慌ててサリナスの言葉を遮ろうとする。

「私がちゃんと話すから」

「だめだ」 サリナスはきっぱりと言った。
「どうせお前は自分の良いように話を持っていこうとするに決まっている。さっき俺に話したように」

長い付き合いゆえに、サリナスの方もサフィラの性格を充分把握していた。
しかしサフィラも負けじと言い返す。

「そんなことはない。第一、私自身の話だぞ。お前にある事ない事言われては私の立場がない」

「ある事ない事とはよく言う。全部ある事ばかりだろうが」

「失礼な。私にだって言い分はあるぞ」

収まりかけた二人の言い争いに再び火がつきそうな気配が濃くなったとき、マティロウサが拳で机を力任せに叩き、瞬時にして二人を黙らせる。その音にタウケーンまでもが身体をびくりとさせ、怖い魔女様だな、と聞こえよがしに呟いた。

「それで?」

ぶっきらぼうにマティロウサに促されたサフィラとサリナスは顔を見合わせ、不承不承サフィラは語り手の役割をサリナスに譲った。サフィラとしては、先ほど心の内をサリナスに指摘されてしまったこともあり、後ろめたさも手伝って何となく肩身が狭いのである。

サリナスの話はさすがに簡潔で無駄がなく、話題の主であるサフィラですら文句のつけようがないほど事実のみを語っていた。隙あらば口を挟んでやろうと狙っていたサフィラだったが、その余地もないことに腹が立ったくらいである。
マティロウサは半分目を閉じながら無愛想に耳を傾け、それとは対照的に老シヴィは好奇心満々の表情を浮かべて話に興じている。

「……というわけで、俺としては是非あなたにサフィラを止めてほしいんだ、マティロウサ。老シヴィでもいい。とにかく、サフィラがやろうとしていることは、良くないことだと思う」

やがてサリナスが語り終えると、マティロウサはしばらく黙ったまま、ちらりと老シヴィに目を向ける。同時に老シヴィの方も、マティロウサに意味ありげな一瞥を投げた。一瞬のうちに両者の間で交わされた視線に気づいた者はいない。



          → 第四章・伝説 9 へ

                            ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「……痛い、痛い」 シヴィが頭を抑えて唸っている。
「何も本気で殴らんでもいいのに……」

「うるさいよっ」
マティロウサは一喝した。かなり腹を立てているようで、その両の眼が険悪に吊り上がっている。
「まったく、いちいち人の気持ちを逆撫でするようなことばかり言って、腹が立つったら」

「わしはただ、場の空気を和ませようと思って」

「今のあたしが和んでるように見えるとでも?」 とマティロウサがシヴィを睨む。

「うーむ」 シヴィが頭をさすりながらマティロウサの顔を窺う。「どちらかと言うと、怒っとる」

「その通りだよっ」

「だからと言うて、お前様、そんな太い腕で……」

「やかましいっ。大体ね、さっきだって、この世の終わりみたいに深刻そうな顔をして何を言い出すかと思ったら、本当に紛らわしいんだよ、あんたはっ」

「悪気はなかったと言うとるのに……」

マティロウサとシヴィの諍いが続く部屋の中、その様子を神妙に見守る数人の顔ぶれがあった。


マティロウサの家をサリナスが突然訪れ、その数秒後に慌しくサフィラとタウケーンが現われたのは、つい先ほどのこと。

「実はサフィラがとんでもないことを言い出して」

「いや、それにはちゃんと訳があるんだ、マティロウサ」

「へええ、この婆様が魔女? 魔女って初めて見たなあ、俺」

薄暗い部屋の中に押し入るなり、三人が三人とも他の二人の言葉を押しのけるように自分の言いたいことを思い思いに騒ぎ立てた。
サフィラとサリナスの間には再び険悪な空気が流れ始め、やめろ、いややめない、といつまでたっても平行線の口喧嘩が再開されて、どうにもマティロウサの意見を聞くどころではない様子であった。

その騒々しさに、奥の部屋で疲労困憊して眠っていた筈のウィルヴァンナまでもが目を覚まし、何事が起こったのかと少し青白い顔で姿を見せた。
ウィルヴァンナを目にするや否や、タウケーンはこの年若き魔女に過大な関心を示し、サフィラとサリナスの諍いなどそっちのけで、ここぞとばかりに口説き始めてウィルヴァンナを困惑させた。それを見たサフィラが、ウィーラに手を出すなバカ王子、と、矛先をタウケーンに向け、ますます事態を混乱させる。
そして老シヴィはといえば、魔女に小突かれた頭を撫でさすりながらも、ほうほう、と目を輝かせて成り行きを見守り、明らかにこの騒然とした状況を楽しんでいるように見えた。

突然静けさを破られた上、有り難くもない騒ぎを持ち込まれ、しかも一向にその騒ぎが収まる気配がないのを見て取ったマティロウサは、当然激怒した。

「お前たち、いい加減におしっ」

部屋中にマティロウサの怒号が轟き渡った。周囲の壁や床に魔女の怒気が走り、机の上に置かれた巻物や棚の横に吊り下げられた古文書の束までもが、その声に恐れをなすかのようにバタバタと紙面を震わせる。
老魔女の声音の中に剣呑な響きを嗅ぎ取った三人は、さすがにぴたりと口を閉ざし、とりわけサリナスとサフィラはこれまでの経験上、こんなふうにマティロウサの怒りを誘ったときはどうなるかを充分過ぎるほど承知していたので、どこかしら畏れ入った面持ちで言葉を飲み込んだ。

そんな三人を見て止せばいいのに老シヴィが、やーい叱られた、と余計な一言を付け加えたことがますます老魔女の怒りを買い、さらにもう二、三回小突かれることになった。


そして、今。
ようやく騒ぎと怒りが収まった部屋の中、家の主とその客、ほとんどが招かれざる客であるが、その全員が古ぼけた机を取り囲むようにして伏し目がちに席に座している、というわけである。

「まったくお前達ときたら」

不機嫌極まりない、という表情でマティロウサはぶつぶつと呟く。声を荒げることはなくなったが、まだ幾分気が済んでない、という様子である。

「他人様の家に勝手に押しかけておいて、礼儀も何もあったもんじゃないよ。人の迷惑なんかこれっぽっちも気にかけず、言いたいことばかり喚き散らして。騒ぎたいだけなら、他所に行って好きなだけ騒ぐがいいさ。まったく忌々しいったらありゃしない」

言われていることは至極もっともなことであるため、もとよりサフィラとサリナスには返す言葉がない。タウケーンにしても相手がこの魔女では分が悪いと思ったのか、例の軽口は鳴りを潜めて大人しくしている。



          → 第四章・伝説 8 へ

マティロウサの指が詩の途中で動きを止める。目で追ったのは次の一節だった。

               善ならぬ者の思いに染まりし七と一つの水晶に
               七と一人の勇士たちの魂は封ぜられ
               やがて行方も知れず 何人の目にも触れず
               ただ静かに時を待つのみ

「時を待つのみ……」

マティロウサの口から思わずため息がもれる。

千年も前に創られたと伝えられる、一つの詩。
この詩を創り上げた者にとって、待つべき『時』とはどれほど後の時代を意図していたのだろう。
そして、自分自身がその時代に生き合わせないことを幸運に思っただろうか。
あるいは、その時代に忌々しい運命を負うべき者を思って嘆いただろうか。

やり切れない。
マティロウサは目を閉じた。
シヴィの言葉が真実を語っているとしたら、サフィラにどのように話せばいいのか。

「……来る」

突然、シヴィが静かに言った。マティロウサが、はっと身じろぎする。

「シヴィ?」

「来るぞ、マティロウサ……」

「来るって、何が?」 マティロウサは思わず身を固くした。
「シヴィ! 何が来るって聞いてるんだよ!」

シヴィはそれに答えない。
シヴィの目は一点を見つめ、視線の先に何かを読み取ろうとしている光があった。

「近い……!」

マティロウサが息を呑んだそのとき。


ガタンと家の外で物音がした。

「来たか……」 とシヴィ。

一体何が来た?
『水晶』 に関わる災いか?
それとも、より忌まわしい何か?
マティロウサが、この魔女にしては珍しく心臓が激しく波打つ心地で扉の方に目を向ける。

そして、その視線の先に現われたのは。


「夜分遅くに失礼する、マティロウサ」

馬をつなぐのもそこそこに息を切らして、しかし礼儀正しく挨拶することだけは忘れずに扉から顔を覗かせたのは、老いた魔女がこの上なく見知っている黒髪の若き魔道騎士であった。

マティロウサはサリナスの顔をしばらく見つめた後、険悪な面相でシヴィへと目を向けた。
ほーら来たじゃろ?、と、マティロウサの凍てつく視線に答えるように、老シヴィが得意げにマティロウサへ笑顔を向ける。

「わしの予感はよく当たる……おおっ、痛いっ」

マティロウサは皆まで言わせず、意味深なことを口走って肝を冷やりとさせた老シヴィの頭を力任せに小突き上げた。



          → 第四章・伝説 7 へ

「『あれ』 には意志がある」 
老いた魔女の物思いをよそに、シヴィは言葉を続けた。
「誰にも逆らいようがない、強大な意志じゃ。それを無視すれば、遅かれ早かれ悪しき 『魔』 によって誰にとっても酷いことが起こるじゃろう。今は大人しくしておるが、それは恐らく 『背負い手』 を見つけてしまったからじゃ」

「背負い手……」

マティロウサは眉間の皺を深めた。

『水晶』 の意志。
それは一人の男を操り、『背負い手』 として相応しい者の元へ己自身を運ばせた。
『背負い手』 に選ばれた者は『水晶』の気配を敏感に感じ取り、幻視を見た。
すなわち、それは……。

「やはりそれは……あの子だと?」

そう呟く魔女の言葉には苦いものがあった。
それを感じたシヴィは、少し表情を和らげて憐れむような目をした。

「なあ、マティロウサよ。お前様はさっき 『どうする?』 とわしに問うたが、わしにはどうにも出来ん。勿論、お前様にもな」

老人は言葉を切った。穏やかな双眸を心底苦しげな気配が一瞬よぎる。

「これから先、『あれ』 を運ぶ宿命を背負ったのは、お前様が愛してやまない幼い魔道騎士なんじゃ。それはもう」 老人は目を伏せた。「どうしようもない」

老人につられるように、老魔女も足元に視線を落とした。
無邪気で屈託ないサフィラの笑顔が魔女の脳裏に浮かぶ。

やがて魔女は、重い足取りで壁際の戸棚へと近づき、小さな取っ手を引き開けて中から筒状に丸められた一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、以前サフィラとサリナスが興味を抱き、マティロウサの元から借り受けた例の羊皮紙である。結局、二人には読み解くことができずに返却し、サフィラの幻視のこともあってマティロウサはそのままそれを戸棚の奥にしまいこんでいたのだ。出してみるのは、それ以来初めてである。

「長生きするのも、考え物だね」

マティロウサは羊皮紙の紐を解きながら、ため息混じりに呟いた。そこにはシヴィに語りかけるというよりも、幾分自虐的な響きがあった。

「もしも、あと百年、いや五十年、たった一年でも早く寿命が来ていたなら、あたしもこんなことに出くわさずに済んだものを。長く生きれば生きるほど見届けなきゃいけないことが、この先もきっと増えていくに違いない。まったく嫌になる」

「それを言うたら、わしなんてどうなる」 シヴィの言葉には、いつものおどけた調子が戻っていた。
「わしはお前様より、どれだけも年上なんじゃぞ」

「お互いここまできたら、年上、年下なんて関係ないよ」

魔女や魔法使いは、老いてからの時間が長い。同じように老人の姿をしてはいるが、シヴィとマティロウサの年齢には数百年の隔たりがあるのだ。
関係大ありじゃ、と少しむっとするシヴィを目で制して、マティロウサは机の上でゆっくりと羊皮紙を広げた。

一瞬、鮮烈な魔法の輝きがマティロウサの目を刺す。たとえ魔女であっても古の息吹に満ちた魔法を目の前にしたときには、どこかしら厳粛な気分になる。
サリナスとサフィラを手こずらせた詩の文言は、マティロウサの節くれだった指になぞられて隠された魔法の封印を少しずつ露にしていった。



          → 第四章・伝説 6 へ

「うーむ……どうすればいいかの、マティロウサ」

「それを聞いてるんだよ、こっちは!」
待たされた挙句の質問返しに、魔女の口調がつい荒くなる。
「あんたね、ウチに来てから日がな一日食っちゃ寝て食っちゃ寝て、食っても寝てもいないときは訓練の邪魔までしてくれて、ちょっとは 『あれ』 のことを考えているのかと思えば、何も考えなしかい! 何しに来てるんだよ、あんたは!」

「またそうやって怒る……」 シヴィが拗ねたようにそっぽを向く。
「本当に気短な魔女様じゃ。わし、この家にいる間に何回怒られたかのう」

「怒られるようなことをするからだろう! あたしだって、いい年した爺さんに何度も何度も目くじら立てたかないんだよ」

「だったら、もう少し優しくしてくれてもいいのに。老い先短い老人じゃよ、わし」

「老い先短いって言葉は人間様のためにあるんだ。あと数百年は生きようっていう魔法使いが使っていい言葉じゃないよ」

「使ってみたかったんじゃもん」

この爺は。
マティロウサの忍耐が尽きかけようとしたとき、ふいに老いた魔法使いの口調が変わった。

「『あれ』 をここに置いておくわけにはいかんよ」

目の前の老人の突然の変わりようにマティロウサは居を突かれた。
いつの間にか老シヴィの目には厳粛で深遠な光が宿り、同じ魔法を生業とする魔女ですら、その輝きに軽い畏縮を感じるほどの力を放っていた。どんなにおどけて見せようと、魔法使いはやはり魔法使い以外の何者でもない。マティロウサはそれを実感せずにはいられなかった。

老人は言葉を続ける。

「放っておけば、『あれ』 は必ず 『魔』 を放つ。マティロウサ、『あれ』 を……」
老人はいったん言葉を切った。
「……あの 『水晶』 をここまで運んできた、あの哀れな男をお前も見たじゃろう」

『水晶』 という言葉を発するとき、呼んではいけない者の名を口にしたように老シヴィの口調は固かった。そして、聞いてはいけない名を耳にしたように、マティロウサの反応も同じく固かった。

言われるまでもない。
マティロウサは半月ほど前にヴェサニール国の裏に広がる彼方森からシヴィが連れてきた一人の男のことを思い出した。
痩せ衰え、正気を失って焦点が定まらない男の空ろな瞳は、たとえマティロウサの魔力がどんなに強力であったとしても決して癒せぬ狂気をはらみ、豪胆な老魔女をして気を怯ませるほどであった。

男が身につけていた荷袋の中に、『あれ』 はあった。
あの忌々しい 『水晶』 が。

男が現れたとき、ここにはサリナスがいた。そして、サフィラも。
そう、あのときサフィラは得体の知れない幻視を見て気を失ったのだ。
それは古の詩によって引き起こされた。

あれは何の詩だった?
七と一つの……。

マティロウサはみずからの考えを打ち消すように頭を振った。
だが、そうすればするほど、さまざまな考えに思いが及ぶ。

サフィラは男のことが大層気になっている様子だった。
いや、正確には、男の持つ荷袋の中身が。

いくつもの断片が組み合わさって、一つの形になろうとしていた。
それはマティロウサにとって決して好ましいとは言えない紋様を浮かび上がらせる。



          → 第四章・伝説 5 へ

プロフィール
HN:
J. MOON
性別:
女性
自己紹介:
本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
最新コメント
承認制なので表示されるまでちょっと時間がかかります。(スパムコメント防止のため)
[02/07 名無権兵衛]
[06/20 ななしのごんべ]
[05/14 ヒロ]
[04/19 ヒロ]
[11/06 ヒロ]
いろいろ
ブログパーツやらいろいろ。
※PC環境によっては、うまく表示されない場合があります。


●名言とか





●ブクログ





●大きく育てよ、MY TREE。



●忍者ツール



ランキング参加中
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
月毎の記事はこちら
ブログ内検索
携帯版バーコード
RSS
Copyright © 日々是想日 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]