「アタリかハズレか知らないが、自分だけが相手を品評する立場だと思うなよっ」
いまやタウケーンのペースにすっかり乗せられている感があるが、サフィラは何とか反論の余地を見出そうと懸命である。
「こっちに言わせれば、ハズレもハズレ、大ハズレもいいところだ、バカ王子!」
「何でだよ。俺はハズレてないでしょう。国じゃ女性には大人気だぞ、俺」
自信ありげなタウケーンに、うんざりしたようにサフィラが言い放つ。
「フィランデではどうだったか知らないが、お前、自分で言うほど男前ではないと思うぞ」
「……」
「サリナスの方がよっぽどいい男だ」
い、いきなり何を、と第三者風を吹かせていたサリナスが、思いもよらぬサフィラからの誉め言葉に顔を赤らめて反応する。
「サフィラ、今はそういう話じゃないだろうっ」
「だって事実だろう」
「はっはっはっは」 タウケーンが少し顔を引きつらせて乾いた笑い声をあげる。
「ハッキリ物をいう女性は嫌いじゃないけど、ハッキリ言い過ぎるのは抵抗あるね。……まあ、愛しい男を美化する王女サマの気持ちは分からんでもないけど」
「言ってろ、バカ王子」
さすがにもうタウケーンの軽口には乗せられないサフィラである。
「そもそも、何でお前は今回の結婚を了承したんだ、王子」 サフィラが尋ねる。
「会ったこともない相手と結婚するのがイヤなら、断ればいいものを。父上は、お前が乗り気だと言っていたが、今までのお前の言葉を聞いている限りでは、独り身で自由気ままに暮らせる今の状況の方が性分に合っているんじゃないか?」
「それは、俺自身そう思った。だがね」タウケーンはにやりと笑った。「俺は第三王子だから、今のままだと兄貴がフィランデの王位に就くだろう。そうなると俺はどうなる?」
タウケーンの質問に、サフィラは少し考えて答えた。
「まあ、まがりなりにも王弟だから……せいぜい領地を分け与えられて領主暮らしってところじゃないのか? 執務を仕切って王を補佐する役が回ってくるほど頭が良さそうでもないし」
「……本当にハキハキした性格だね、あんた」
「私は常にこうだ」
「いいけどさ。ま、でも、あんたの言う通りだよ。フィランデの片田舎でちっぽけな領土を守って細々と生きていくしかない」
「約束された安泰。楽でいいじゃないか」
「でも、詰まらない。俺がそんな生き方を望んでいるとでも? で、そんなところに今回の結婚話が振って沸いたわけだ。結婚は正直気が向かなかったが、小国といえども王座がついてくるとなると話は別。王として国を動かす立場に就くのも悪くない」
「……そんなところだろうと思っていたが」
タウケーンの安直な言葉は、すでにかなり斜めに傾いているサフィラの機嫌を著しく損ねた。
「ここまでハッキリ言われるとさすがに腹が立つ。こんな不心得者が将来の王になるかと思うと、ヴェサニールが哀れでならない」
「俺が不心得者なら、あんたは魔道好きの変わり者王女。規格外という点では俺達は似た者同士だ。結構お似合いの夫婦になるんじゃないか」
「やめてくれっ。もう戯言はたくさんだ」
サフィラは手にしていた銀星玉をタウケーンに投げつけた。
わ、危ないっ、と言いつつタウケーンは奇跡的にそれを受け止める。その慌てた顔に、これまでの我慢をそっくりそのまま、いや、数倍にして叩きつけるようにサフィラは言葉を吐いた。
「誰がお前みたいな男と結婚するか! 冗談じゃない!」
「だって、もう決まった話だし」
「知るか! そんなに王位が欲しければ、玉座とでも結婚しろ!」
苛立ちの頂点にあったサフィラは、つい口をすべらせた。
「どうせ私はいなくなるんだから」
→ 第三章・悪巧み 23へ
「まったく父上も大した相手を結婚相手に選んでくれたものだ。何が『似合いの一対』だ。面白がりで目立ちたがりなだけの軽薄男じゃないか」
サフィラは、突然父王から結婚を言い渡されたときのことを思い出し、思わず手にしていた銀星玉で机の上を苛立たしげに何度も打ち鳴らした。傷がつくから、と慌てて止めようとするタウケーンを「やかましいっ」と一蹴する。
「だいたい、自分が楽しむために騒動の元を起こすなんて、少なくとも一国の王子の地位にある者が考え付くことじゃないぞ。不謹慎な」
数日後には、一国の王女の地位にある自分自身も不謹慎なことを仕出かそうとしていることなど、すっかり忘れているサフィラである。
「おやおや」 タウケーンがからかうような表情を見せる。
「親の目をかすめて好き勝手している王女サマには言われたくないね」
むっとしたサフィラが反論する。
「私はお前のように酔狂でやってるわけじゃない。ちゃんと思うところがあって、私なりに考えて行動しているんだからな。一緒にするな」
「ほう、ご立派なご意見だな」 タウケーンは、果たしてそうかな、という表情でサフィラを見る。
「その 『思うところ』 ってやつをぜひお聞きしたい気もするが、それを言うなら、思うところがあるのは俺も同じさ」
「ほう」 今度はサフィラが疑わしげな表情を見せた。「それこそ聞いてみたい」
「それは、あんただよ、王女サマ」
「私?」 いつの間にか 『あんた』 呼ばわりされていることにも気づかず、サフィラが驚く。
「私が何なんだ」
「今回の例に限らず、大概において、王族同士の結婚は当人の意志とは別のところで決定されるのが普通だ。だがね」
タウケーンは身を乗り出し、それに反してサフィラが思わず身を引く。
「会ったこともない、ましてや顔を見たこともない相手と結婚するなんて、分の悪い賭けを押し付けられているようで俺の主義に反するんだよね」
「か、賭けだと!」
サフィラは思わず目をむいたが、その怒号が飛び出す前に、タウケーンは手でサフィラを制して言葉を続けた。
「その後の人生が懸かっているんだ。ある意味、賭けみたいなもんだろう。で、式の前にぜひ一度あんたに会って、せめてアタリかハズレかを確認しておきたかった……っていうのが、まあしいて言えば理由の一つかな」
「……」 もはや言葉もないサフィラである。
「実際会った感想としては、そうだな……」 タウケーンはじろじろとサフィラを見回した。
「ま、アタリだな。幼さはともかく、将来性のある美形だし、俺としても一安心」
「……」
しゃあしゃあと言ってのけるタウケーンに、サフィラは思わず隣のサリナスを見た。
「……サリナス、お前、飲んでばかりいないで何か言ってやれっ」
話を振られたサリナスは、王子の戯言にはもう付き合いきれぬという様子で、かなり前から二人の会話にも加わらず、喉の渇きを癒すことだけが自分の役割とばかりに茶碗に手を伸ばし続けていた。
当然、サフィラへの答えはつれない。
「俺には関係ない」 サリナスはそっぽを向いた。
「俺は第三者だからな。結婚前の痴話ゲンカは当人同士でやってくれ」
「痴話ゲンカとは何だ、痴話ゲンカとはっ」
「大きな声を出すな。夜中だぞ」 抗議するサフィラにも、あくまで素っ気ないサリナスである。
「できれば、ケンカの続きは城に帰ってからにしてもらいたい。いや、城でなくても、俺の家以外ならどこでもいい。とにかく頼むから」
頼むから、二人ともここから出て行ってくれ。声を大にして言いたいサリナスだった。
サリナスとしては、ついさきほど故郷からの手紙を読んでいたあの静かな時間までさかのぼって、今まで起こったすべてを消し去りたい、という心境である。
やれやれ冷たい男だ、とタウケーンが首を振る。「王女サマ、恋人は選んだ方がいいね」
「恋人じゃないっ」 サフィラとサリナスが同時に叫ぶ。
からかわれていると分かっていても、ついムキになって答えてしまうところが、タウケーンに言わせるなら非常にからかい甲斐のある二人である。
→ 第三章・悪巧み 22へ
サフィラがサリナスの家を訪れて、やがて一刻。
家の中では古い木製の机を取り囲むようにして、家の主と訪問客が押し黙ったまま座っている。
二人の客のうち、一人は主にとって明らかに招かれざる客であった。
楽しげな表情を浮かべているのは、この招かれざる客だけで、他の二人つまりサリナスとサフィラは不機嫌そのものである。
三人の周囲には微妙な沈黙が流れていた。
いや、ただ一つ、サフィラが頬杖をつきながら机の上で無造作にコロコロと転がす銀星玉だけが、部屋の中に硬い音を響かせている。
サフィラの隣ではサリナスが無愛想に、その夜何杯めかの茶をすすっていた。
そして今一人はといえば、物珍しげにサリナスの部屋のあちらこちらに青い瞳を走らせ、魔道騎士の住処に対する好奇心を押さえきれない様子である。
招かれざる客すなわちフィランデの使者が、実はタウケーン王子その人であったという事実をサフィラとサリナスが知ったのは、つい数分前のことである。
「だって面白そうだったから」
身分を白状したタウケーンが、使者への扮装の理由を問われてひねり出したこの言葉は、勿論サフィラ達が納得いくものではなかった。むしろ、呆れ果ててものが言えないというところである。
「つまりだね」 とタウケーン王子は聞かれてもいないのに話し始める。
「まず、俺が使者のフリをしてヴェサニールにやってくる。そして王子は後日現われる、と思わせておいて、結婚式当日に俺が正体を明かすっていう予定だったんだよ、最初はね。使者とは世を忍ぶ仮の姿、実は自分こそがフィランデの第三王子タウケーン・ノアル本人である、てな感じで」
使者と偽っていたときの大袈裟な話し方はすっかり鳴りをひそめ、かといって王子らしい口の利きようかと問われれば決してそうではなく、大仰な身振り手振りは相変わらずで、さらにどこか得意げな表情までもが加わっている。タウケーンは、面白そうだろう、と二人に同意を求めたが、勿論、誰も賛同しない。
「まあ、そのときの演出方法も幾つか考えておいたんだけどねえ。しかし、事前に見破られたとなると趣向をちょっと変えないといけないな」
「……何故わざわざそんな真似を」
「俺、目立つの好きだから」
「……」
もう充分すぎるほどに呆れていたサフィラだったが、タウケーンの言葉が追い討ちをかけて、さらにサフィラを唖然とさせる。
「ま、そんなカタく考えずにさ、型通りの詰まらない式典に、ちょっとした刺激をもたらす余興って考えてもらえばいい。皆きっと驚くぞ」
そりゃ驚くだろう。サフィラは心の中で思った。
特に、娘の結婚式に万全の準備を整えている父王などは、その『ちょっとした余興』に腰を抜かさんばかりになるかもしれない。その情景を想像したサフィラは、一瞬、それはそれで見てみたいな、とふと思ったが、急いでその考えを打ち消した。
しかしまあ、このバカ王子は。サフィラは目の前の男を睨んだ。
どうやらタウケーン王子という人間は、どのような状況においてもその場の人々に一興と一驚を提供せずにはいられない人種らしい。婚約者どころか、一生の友にするのも考え物だ。
「サリナス」 ため息をつきながら、サフィラは眉間に指を当てて隣に座るサリナスに話しかけた。
「頭が割れるように痛いんだが、本当に割れていないかどうか見てくれないか」
「悪いが、サフィラ」 とサリナス。
「自分の割れ具合の方が気になって、人のを見てやる余裕はない」
この男にしては珍しく不機嫌さを隠そうともしない。もともと真面目な性格ゆえに、今回のタウケーンの悪ふざけには到底共感できないようだ。
サフィラはサリナスよりも柔軟な思考の持ち主ではあったが、いまだ王子に担がれたという思いをぬぐうことができずにいたし、さすがにタウケーンの享楽的な性格は勘に触った。
→ 第三章・悪巧み 21へ
「銀星玉?」 サリナスが近づいた。「へえ、大きいな」
「うん……大きい」 サフィラが同意する。
確かに大きい。昼間、自分が使者から受け取ったものよりも。
サフィラはしばらく黙った後、片方の手の銀星玉と、もう一方の手で襟元をつかんだままの使者の顔をかわるがわる見比べた。やがて、その視線が使者へと固定する。
「何故お前が、これを持っている?」
サフィラは使者に問うた。使者はサフィラから目をそらし、さきほどまでの軽薄な仕草とは打ってかわってそわそわし始めた。
「な、何故とは」
「フィランデの銀星玉を身につけられるのは王族のみと聞いている。一介の使者にすぎないお前が持つには不相応な品だ。どこで手に入れた? 盗んだのか?」
「め、滅相もございません! そ、それはですね、私の日頃の忠誠に対して、タウケーン王子よりご下賜いただいたものでして」
「私がもらったものより、はるかに大きいこの銀星玉をか? あり得ないだろう!」
何故かそこにこだわるサフィラである。
「おい、サフィラ、一体何が」
状況が分からないまま、さきほど火傷した手をさすりながら尋ねるサリナスを制し、サフィラは使者を問い詰めた。
「お前は何者だ」
不埒な者であれば容赦せぬとばかりに睨むサフィラを、使者はしばらく見つめていたが、やがて諦めたように力を抜いて投げやりな態度で椅子に腰を下ろした。襟元はつかまれたままである。
「……逃げやしないから、この手を離してもらえるかな」
突然、使者の口調が変わったことにサフィラとサリナスは軽く目を見開いた。サフィラはゆっくりと、それでも疑わしげに手を緩めた。やれやれ、と使者がため息をつく。
使者は腕組みをして二人を見た。その顔には、さきほどの人をからかうような表情が戻っている。
「……使者の役回りというのもなかなか面白かったが、盗人扱いされては困る。ああ、それを」
使者はサフィラの手の上にある銀星玉を指差した。
「返してもらえるかな。王女サマが引っ張るから鎖が切れたようだ」
使者の豹変ぶりに少しばかり戸惑いながらもサフィラは銀星玉を握り締めたまま、もう一度尋ねた。
「お前……誰だ」
「確かに銀星玉はフィランデの王族にのみ許される至極の宝玉だ」
使者はサフィラの問いには答えず言葉を続けた。
「下々の者は目にしたことすらないだろう。だが、そこまで分かっているなら、盗人などと言わずに、もう少し想像力を働かせてもらってもいいと思うがね」
目の前の使者、否、今は正体の知れないこの男の言葉に、サフィラは突然一つの考えに行き当たった。そして、呆然とした。
数秒遅れて、サリナスが同様のことを思いつき、同様の表情を浮かべる。
「……ご本人様?」
ひどく驚いている心中とは裏腹に抑揚のない声がサフィラの口からもれる。
それに続いて、サリナスは、もはや無表情で呟いた。
「タウケーン……王子」
王子、と呼ばれた男は、すでにサフィラとサリナスには馴染みになった薄笑いでそれに応えた。
サフィラは全身が固まってしまったかのように男を見つめた。
サリナスはといえば、事ここに至っては、もうお茶一杯分の時間だけで事態が収まらないことを暗黙のうちに悟り、思わずこめかみを押さえた。
→ 第三章・悪巧み 20へ
使者は軽く眉を上げ、サフィラの顔を面白そうに見つめる。まるで新しい玩具を見つけた子供のようだ、とサフィラは思った。
「言うなと仰いましてもねえ……」
「やかましい」 使者の言葉をさえぎってサフィラは目の前の男の襟元をつかんだ。
「とにかく物事に尾ひれをつけて面白半分に触れて回るのはやめてもらうからな。どうもお前はそういうことを嬉々としてやりそうな顔をしている」
「王女、暴力はちょっと」
自分の首に伸びたサフィラの手に目を落とし、さすがに使者が表情を引きつらせる。
しかしサフィラは手を離さない。
「ほう、フィランデの使者殿はたいそう噂好きのようだが、ヴェサニールの王女は気短かで手が早いという噂は耳にしなかったと見える」
さらに手に力を込めて使者を引き寄せ、サフィラは低い声で囁きながら相手の目を睨んだ。
「だが、噂が事実の場合もあるんだぞ」
「そ、そのようで」 と、思わず使者が身を引いたとき。
カツン……と硬い音が二人の足元から聞こえた。何かが落ちたような音だ。
それに続いて、コロコロと床を何かが転がる音。
「?」
二人は一瞬顔を見合わせ、怪訝な顔で音の行方を目で追った。
ちょうどそのとき、隣の部屋から片手にティーポットを、片手に新しい茶碗を二つ持ったサリナスがむっつりと現われた。
「これを飲んだら、二人ともすみやかに帰ってもらうぞ」
と言いながらポットと茶碗を机の上に置いたサリナスの足元で音が止まる。
サリナスは足に当たった何かに気づき、それを拾い上げた。
「何だ、これは」
「あ」
サリナスの手の上にあるものを見て、使者が小さく呟いた。その声にサフィラはちらりと視線だけくれると、サリナスに手を伸ばした。
「サリナス、ちょっとそれを見せてみろ」
「お前のか、サフィラ?」 言われるままにサリナスはサフィラにそれを手渡した。
横から見ていた使者が慌ててそれを奪い取ろうとしたが、あいにくサフィラに襟元をつかまれたままで手が届かない。
サフィラは手のひらの中のものを間近に見つめた。
「銀星玉……」 サフィラは呟いた。
それは細い銀の鎖を幾重にも重ねた首飾りで、鎖の中心にはサフィラにも見覚えのある玉石が白銀の輝きを放っていた。
→ 第三章・悪巧み 19へ
「……確かに」 使者は二人をじろじろと見比べた。
「想いをかわし合う恋人同士にしては、お二方の間に色めいた空気がいささか足りないような気もしますな。ま、そういうことにしておきましょう」
「何だ、その顔は」サリナスの手を解いたサフィラが使者を睨んだ。「『逢引じゃなくて詰まらん』とでも言いたそうだな」
「いえ、そんなことは」
「フィランデの王子の従者というのは、そういうことまで気を回さなければならんのか」
「それはもう、我が王子の大切な花嫁のことですから」
「ふん、わざわざ人の跡までつけて御苦労なことだ」
サフィラはため息をつきながら、椅子に座り直し、立ちすくんだままのサリナスの方へ顔を向けた。
「サリナス。話し疲れて喉が渇いた。もう一杯お茶くれ」
「お前、帰るんじゃなかったのか」 サリナスが、ややうんざりした表情で尋ねた。
サリナスとしては、サフィラも使者もさっさと帰って、これ以上自分の家に面倒を持ち込むのは勘弁してほしいという心境だったが、「飲んだら帰るから」 と言うだけでサフィラは動こうとしない。
「あ、よろしければ私にも一杯」 と使者までが催促するにいたっては、サリナスも諦め半分でため息をつきながら、隣の部屋へ消えた。
サリナスが湯を沸かし直す準備をしている音を聞きながら、サフィラと使者は向き合ったまましばらく無言のままでいた。ここに至って、ようやくサフィラは使者の顔をじっくりと見る余裕ができた。
侍女達に 『整った甘い顔立ちで背が高くすらりとした体格』 と噂されていた使者であるが、やはりサフィラには侍女と同様の思いを抱くことができないでいた。
世間ではこういうのを 「素敵」 というのか、というのが正直なサフィラの感想である。顔立ちをどうこう言うよりも、人を小馬鹿にしたような表情やそこに浮かぶ意味ありげな薄笑いの方がサフィラには鼻についた。
臣下を見ればその主人の器が分かるというが、サフィラが見た限りでは、タウケーン王子の器も大したことがなさそうである。
短い沈黙を破るように、やがて使者が再び口を開く。
「しかし、ヴェサニールの王も王妃もお甘いことですな」
「何が」 と不機嫌なサフィラに、使者は、やれやれ、と言いたげに肩をすくめた。
「だって、そうでしょう。数日後に結婚を控えた御息女をこのように好き勝手にさせておいでとは。恐れ多いことですが、これでは不行き届きとそしられても仕方がないというもの」
その言葉に、サフィラがぴくりと反応する。
「お前……父上達に余計なことを言うなよ」
「余計なこと? ああ、サリナス殿とやらと逢引なさっていることとか?」
使者の言葉が届いたのか、隣の部屋でガシャーンと何かが落ちる音に続いてサリナスが
「あああ熱いっ」 と叫ぶ声が聞こえたが、サフィラも使者もそれを無視した。
「それは違うとさっきも言った」サフィラは険しい顔で使者に詰め寄った。
「だが、そういうデタラメな憶測も含めて、とにかく余計なことを言うなと言っている」
サフィラとしては、結婚脱走前に周囲に波風を立てたくないという思いがあるため、今のタイミングでこの使者からある事ない事を両親に告げられるのは、迷惑極まりないのである。
→ 第三章・悪巧み 18へ