重い足取りで先程たどった廊下を戻り、階下へ降りた J は、
何とか玄関口までたどり着くと、
目に付いた使用人の一人をつかまえてミヨシの所在を尋ねた。
ミヨシはすぐにやってきた。
老人にしては素早い足運びで、しかし、その表情は相変わらず穏やかである。
J は、どうも、と頭を下げた。
「今日はこれで失礼しますが……」
「はい」
「ミヨシさんにも少々お尋ねしたいことが」
「私でございますか? お役に立てますかどうか」
「いえ、大したことではないんです。その、『当時』 のことなんですが」
J は声の調子を落とし、『失踪』 という言葉を控えて曖昧に尋ねる。
周囲には他の使用人達が何人か控えているため、それを憚ったためである。
ミヨシはすぐに理解したようだった。
「そうですか。では、こちらへ」
ミヨシは玄関口の脇にある小部屋に J を促した。
事務室的な造りのその部屋は、
先程目にした主人の部屋とは違って簡素な雰囲気を醸し出していた。
恐らく、笥村邸に出入りする業者などと打ち合わせるための部屋だろう。
ドアを閉めれば、話が他者にもれることはなさそうだ。
J とミヨシは、向かい合う形で椅子に座った。
「では、お尋ねしますけど」
「はい」
「笥村氏は、仕事が終わったら毎晩きちんと家に戻る方だったんですか?」
「はい。時刻の早い遅いはございましたが、だいたいは毎日お帰りになりました」
「だいたい、というと?」
「はあ ……時折、私どもにお知らせいただくこともなく外出なさって、
明け方にお戻りになることはありましたが」
麻与香が言っていた、笥村聖の 『子供っぽいところ』 というヤツらしい。
「なるほど。では、『当日』 も最初はそのクチだと思われた?」
「はあ、お恥ずかしながら」
「でも、朝になっても姿が見えなかった」
「はい」
呑気なものだ、と J は口に出さずに思った。
世の中を動かす VIP の周囲というのは案外ノンビリしたものなのかもしれない。
それとも、奇抜な主人の行動にもはや馴れきってしまって、
想定外の出来事が起こる可能性など思案の外なのか。
「『当日』 前後に、何か変わったことや不審なことは?」
J の質問に対して、ミヨシは懸命に何かを思い出そうとする表情を浮かべて見せる。
もとより3ヶ月近く前の話だ。
老人の記憶を呼び覚ますのは簡単なことではないだろう。
尋ねた J も大して期待してはいない。
「特に……なかったように思います。
あの日の前日も、その前も、
旦那様はいつものように出社されましたし、ちゃんと戻ってまいりました。
ただ、あの日の翌日以降は、かなりバタバタいたしましたが……」
麻与香と同じように、ミヨシも言葉を濁す。
聖の行方知れずが判明し、それによってもたらされた混乱を意味しているのだろう。
今でこそ穏やかな表情を浮かべるミヨシ老人も、
恐らく当時はかなり憔悴したに違いない。
その姿を想像して、J は目の前の老人が少し気の毒になった。
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