あらゆる意味で大きな影響力を持つ当主の存在。
その当主に不穏な出来事が起これば、
外部は勿論、内部の人間にすら詳細を知らされないことが多い。
だが、本邸の全てを取り仕切る役目の老人だけは別らしい。
「じゃあ、ミヨシさん以外に知っている人間は?」
「そうはおりません」
ミヨシの言う 『そうはいない』 人間が一体何人いるのか
確認しておく必要はあるかもしれない。
やれやれ、また仕事が増える。J はまたもやウンザリした。
廊下を幾度か曲り、階段を上ったところでミヨシが言った。
「この棟の2階の奥が旦那様の私室でございます」
ミヨシが指し示す先には暗く長い空間が続き、
突き当たりは両開きの金属製のドアで終わっていた。
「……なんとも長い廊下ですね。部屋にたどり着くまでに何時間もかかりそうだ」
下手な冗談とも皮肉ともつかない J の言葉だが、ミヨシはかすかに微笑んだ。
決して相手に恥を欠かせまいとする老人の反応に
同じ雇用人として、どこかの誰かにも見習ってほしい態度だ、と J は思う。
『下手な喩えだ。センスがないな、お前は』
どこかの誰かなら、きっとこう言うだろう。辛辣は、あの男の得意技だ。
老人の案内はそこまでのようだった。
他人がいては J の 『仕事』 に差し障りがあるだろうという理由で、ミヨシは姿を消した。
何にせよ人がいないのは有難いが、
麻与香の計らいは完璧すぎて、却って J には気が重かった。
J は未だにズキズキと響く頭の痛みを何とか抑えながら、
憂欝な足取りで暗い回廊を通り抜け、数秒後に目的のドアにたどり着いた。
意外にも、笥村聖の部屋は何処にでもありがちな様子を呈していた。
入り口の正面の窓に背を向けて設置られた木製のデスク。
部屋の真ん中に場所を占めるテーブルとそれを取り巻くソファ。
壁には暖炉。
額縁入りの風景画。
反対側の壁には背の高い本棚。
ディスプレイ用の巨大なパネル等々。
とりわけ J の目を引くようなものは見当たらない。
半ば拍子抜けしたように J は回りにぐるりと視線を走らせ、再度そのことを確認した。
J は、座ってくれと言わんばかりに存在感をアピールしている来客用ソファに
ゆっくりと体を落ち着かせた。
コートの内ポケットから煙草とライターを取り出して火を点ける。
実のところ、笥村の屋敷の中で主人の消息が知れるような手掛かりを探す気など
J にはさらさらなかった。
また、そんな手掛かりが見付かろうとは更に期待していなかった。
3ケ月前に人が1人消えているのである。
今は主のいないこのありふれた部屋を探ったところで、無意味だろう。
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